吉田一氣の熊本霊ライン 神霊界の世界とその源流

FC2BBSから移動しようと目論んでいます。
http://reyline.web.fc2.com/index.htm

九州からの東征の歴史と封印を破る風通しへの期待 No200

2011-01-12 15:26:15 | 日記
九州には九州の四国には四国の封印が今も残る。
ただこの封印が日本全体の安定に繋がっている。
しかしながら鄙(ひな)の地は永遠に鄙のままで
あるべきなのかに対しては異を唱えたい。
九州も新幹線が全線開通し風通しが良くなる気配を感じている。

過去の歴史を遡ると
神武天皇が日向から瀬戸内海を通って東征し
日本国の歴史を塗り替えることに成功している。

私見では卑弥呼の時代にも九州は東征に成功したように思える。

しかしその後の歴史を見ると

6世紀 筑紫君磐井の乱
物部麁鹿火により鎮圧

8世紀
藤原広嗣の乱
軍勢は九州各国の正規の軍団1万や隼人を含む豪族の手勢。
大野東人率いる朝廷軍により鎮圧

12世紀
鎮西八郎(源為朝)の九州平定
父・為義が検非違使を下官される等あって
源為朝が上洛することで落着

14世紀
南北朝の乱
後醍醐天皇の皇子懐良親王を擁する菊池氏が九州の南朝の中心となり
熊本県菊池市隈府に懐良親王を征西府として迎える。
今川貞世が九州平定 (1392年南北朝合一)

17世紀
島原の乱 天草四郎の乱
立籠もる原城の落城により鎮圧

19世紀
西南戦争 西郷隆盛の乱
谷干城率いる熊本城を陥落できず敗走。

など九州からの東征や乱の広がりはすぐに鎮圧され成功していない。
ちなみに8世紀から12世紀の間では10世紀に瀬戸内と東北で
平将門の乱と藤原純友の乱が起こっているが
これらは鎮圧されたものの武士の台頭のきっかけとなったと言われている。

なぜこうも九州からの火の手は脆弱ですぐ消されるのかの疑問があったが、
例えば西南戦争で西郷隆盛は薩摩から挙兵すればぞくぞくと友軍が集い
大挙して京へと進軍出来ると考えていたように思える。
敬天愛人を全うしようとした西郷隆盛に
なぜ天は見方しなかったのかは
結局のところこの九州に残る結界封印を理解出来ていなかったことに尽きる。
特に熊本霊ライン上の花岡山からの攻撃は
清正公の築城時からの罠に陥っている。

コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 諏訪上社七不思議のひとつ「... | トップ | 加藤清正公と昭君之間 No201 »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
質問ですが (三岳)
2011-01-13 16:59:57
質問よろしいでしょうか?
吉田さんは「龍神信仰 2 No159」で
元寇での神風とバルチック艦隊との日本海海戦で日本を守ったのは志賀海神社で祀られてきた龍神の神力のおかげと書かれていますよね。
それじゃあ島原の乱や西南戦争で良民が虐げられたのも竜神のせいということをいっているのですか?
返信する
三岳さまへの返信 (吉田一氣)
2011-01-14 00:42:06
コメントありがとうございます。
古くは志賀島の安曇氏や玄界灘の宗像氏が龍神を祭祀していて、
空海が唐から帰国した際に
宗像大社の目の前に神宮寺として鎮国寺を建立しました。
遣唐船が沈没しようとした時に龍神に救われたことを
よほど感謝したのでしょう。
龍神祭祀(八大龍王祭祀)を行っています。

ただ龍神に祈れば聞き入れられるというような簡単なものではありません。
神霊といえば何か意思を持った超生命体が人の心を全て読み取っていると
考える人がいますが、伝達にはプロトコルを一致させる手順が必要です。

一般に遣唐船を救った龍神は真言宗では波切不動明王と
されているようですがこれは不動明王とのプロトコルを使って
龍神の力を借りたのでしょう。

九州の霊ラインより北側には古来より鎮国のための呪が張られています。
朝鮮半島は日本に刺しつける尖角衝射のようなものです。
そしてこの呪は真言密教によりさらに強化されているという訳です。

筆者ブログ「龍神信仰 5 リメイク記事 No162」で
八大龍王祈願法について
大いなる白山大神の神力をもって
封印された八大龍王神の力を解き放ち
地球の再生健全化に役立つべく
これからの困難を乗り越える力と為さしめたまえと祈っていると
記載しているように直接的に龍神祈願をしていません。

私の場合は白山神との縁があるからその縁に頼っているし
空海は不動明王に頼った訳です。
唐で「金剛手光明灌頂経最勝立印聖無動尊大威怒王念誦儀軌法品」という
儀軌をマスターしていたから出来た技といえましょう。
http://www.lib.u-tokyo.ac.jp/tenjikai/tenjikai2001/gazo36.html
http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/doukyou/tirisanmaya.htm

さて前置きが長くなりましたが
島原の乱や西南戦争の結果、無辜な民の血が流されたのには
残念なものがあります。
しかしながらその責任は人にあり神霊界に責任は求められません。
あくまで封印を為したのは人であり
それはシステムとして無意識的に機能します。

熊本では神風連の乱が起こりましたが
一度目の宇気比では神霊に否定されています。
再びの死を決しての覚悟の後に許されています。
http://www.shinpuren.com/shinpuren-denki.htm
林桜園は神霊界探査の天才ですから当然呪のことは知っていた筈で
太田黒伴雄もそれを教わっていたでしょう。
それでも死を賭しての熱意があったものと思われます。
一矢報いてのち皆討ち死にしましたが、
その理念は今でも語り継がれています。
彼らはこの呪に必然性というか必要性を見ていたものと考えています。
龍神の意思などというものは関与してきません。

この返信文章は一部編集してブログ記事として
記載したいと考えています。
返信する

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事