book440 ガウディの夏 五木寛之 角川文庫 1991
タイトルのガウディを見て、五木寛之(1932-)がアントニ・ガウディ(1852-1926)をどう描写するのかと思い、読み始めた。冒頭に横浜で開かれているガウディ展が登場し、水科杏子に「サグラダ・ファミリアをp15・・気持ちわるいみたいな変わった教会・・、グエル公園をp20・・カタツムリの道・・」と語らせている。私は1994年にサグラダ・ファミリ、グエル公園を見たが、すでに写真集などでガウディの造形に圧倒されていたにもかかわらず、実物に出会って情念の造形を実感した。2015年に訪ねたときは完成に近づいていて、情念に包まれた厳粛な印象を感じた。気持ち悪いという印象にはならなかった。水科杏子の突飛な行動の伏線だろうか。
一方、p46では新居格(1888-1951)著「ジプシーの明暗」本から、・・浮き彫りのように立つサグラダ・ファミリア寺の正面は実にいい、ユーゴに引かせた図か、ポーに描かせた夢のようだ・・を引用している。ヴィクトル・ユゴー(1802-1885)、エドガー・アラン・ポー(1809-1849)の優れた文豪の表現を具現化したといった意味だろうが、ガウディがユゴーやポーの本を読んでインスピレーションを受けたとは思えないから、もう少しかみ砕いた解説が欲しかった。 さらに、p170では、岸矢吾郎に・・心臓を濡れた手でつかまれた・・異様な感じをうけた・・といわせ、p172では主人公峰井透に・・限りない自由の感覚と、人間の希望に満ちた幻想・・と語らせている。著者五木氏はp447あとがきで、この本は・・ミステリーではない、時代に警告する本でもない、ガウディに関する本でもない・・と書いているが、サグラダ・ファミリアから強烈な印象を受けたのは事実であろう。・・限りない自由の感覚、希望に満ちた幻想・・が五木氏の受けた印象ではないだろうか。
目次を記す。
第1章 ポーに描かせた夢のように
第2章 深い霧のなかから
第3章 醜家族教会の司祭
第4章 バルセロナの空の下で
第5章 最後の審判をくだす者
第6章 聖家族たちの大集会
主人公は、広告代理店宣報エージェンシーのコマーシャル制作責任者の峰井である。これまで女優の宮森陽子をつかって極東自工の車のコマーシャルをつくってきたが、新型を発売するので新人の水科杏子を登用しようと考えていた。そのころコマーシャル制作下請の堀沢から、ショウワ薬品のコマーシャルの女優原江知子が格安のギャラで出演していることを知らされる。どうやら、ショウワ薬品PR室長岸矢吾郎に秘密を握られているらしい。堀沢によれば、岸矢は人に知られたくない私生活にかかわる秘密を集め、情報の城をつくろうとしていた。
峰井は、宮森陽子からp153・・地獄にて統治するは天国にて仕うるにまさる(ダンテ『神曲』)・・権力を求めて情報という武力を・・岸矢は新しい武力をわが手に握りしめたドン・キホーテ・・と聞かされる。宮森陽子も岸矢に逆らえないようだ。峰井の情報も岸矢が握っているらしい。
峰井は真偽を確かめようと岸矢に会いに行く。そこで岸矢から「ガウディの生涯とその作品」の映画撮影を依頼される。峰井は岸矢がどの程度の力があるか確かめようと、極東自工の宣伝・販促本部長の押す原江知子に代わって水科杏子を起用することと、新番組に内定している女優橋本美也子を降ろすことを依頼する。なんと1週間後に、極東自工宣伝・販促本部長から呼び出され原江知子は取り下げるから誰を起用するかは峰井の任せるといわれる。社に戻り、橋本美也子が自殺したことを聞く。岸矢は、峰井にp206・・情報の圧力・・個人的な情報を確実に握っている・・人間はみんな他人を支配する快楽を願っている・・他人を動かし、したがわせる、そのとき人は自分の存在を実感する・・と語る。峰井は、岸矢の力を認めつつも同調できなかった。
峰井は、堀沢からもp250・・国家の土台は金と武器だった・・これからは情報が組織を動かし、国家の方向さえ左右できる・・岸矢はその先駆者となった・・と熱弁を聞かされる。後半になって堀沢が行方不明になる。知りすぎたために?岸矢に消されたらしいが、本題ではないので真実は追究されない。
水科杏子をつかった極東自工のコマーシャルの撮影がバルセロナで進められているとき自動車事故が起き、撮影のリーダだった峰井の信頼する部下・山本が足を骨折する。急きょ、峰井がバルセロナに飛び、撮影を完了させる。しかし、サグラダ・ファミリアの描写はない。五木氏があとがきでガウディに関する本でもないと述べたように、サグラダ・ファミリアの深追いを避けている。
ではこの小説から五木氏は何を語ろうとするのか。あとがきでは情報化時代に強く警告するでもなく、事件・事故のミステリーを解明するでもないと記している。後半で、岸矢の情報の城=K機関に対抗するC.I.Sが登場し、岸矢に情報を握られていた原江、宮森、水科たちが一堂に会する。峰井はC.I.S にもK機関からも離れ、自由の感覚、希望に満ちた幻想に向かって一人で進む。五木氏は、サグラダ・ファミリアのような強烈な印象は妄想として消しても消しても浮かんでくることを物語にしたかったようだ。
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