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つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

スペイン・ロンダのヌエボ橋は新~旧市街をつなぐため深さ98mの峡谷に架けられた、圧巻

2016年12月29日 | 旅行

スペインを行く37 2015年ツアー9日目 ロック・バスティオン カサーレス ロンダ ヌエボ橋 ビエホ橋 /2016.12

 ジブラルタルの岩山を下り、町なかのロック・バスティオンRock Bastonというレストランに入った。King's Bastionと呼ばれるレジャー施設の一部で、施設全体がbastion要塞のつくりである。古来よりジブラルタは領有が争われたから要塞が残っていても不思議ではない。レストラン内部はレンガ積みのヴォールト天井で、確かに要塞の雰囲気を見せている。
 ・・略・・1時15分ごろジブラルタルのバスに乗り込む。空港でバスを降り、歩いて検問所を抜け、スペインに入国し、スペインのバスに乗って、今朝来た道を戻る。
 ・・略・・バスは地中海沿いの道を東に進み、途中から左に折れて山道に入る。茶色が圧倒する起伏の頂きにはこれまで何度か触れた風力発電が地中海からの風を受けてゆっくりだが力強く羽を回している。山間の緑は少なくないが、茶色が優勢で、緑地もくすんで見える。
 ジブラルタルから45分ほど走った2時15分ごろ、崖沿いの小さな村でバスが止まった。この町の名前はメモにないが、ここは白い町の一つであるカサーレスCasaresの眺望で知られていて、駐車場と展望所が設けられている。
 展望所から見下ろすと、一つ先の山の斜面が白い家並みで埋め尽くされているのが見える。カサーレスである。・・略・・古代ローマ時代にカエサルが近くの温泉で利用した?ことからここに侵攻したアラブ人がカエサルにちなんでカサラと名づけ、カサーレスと呼ばれるようになった歴史がある。
 山頂には13世紀ごろの城塞の廃墟があるそうだ。13世紀はまだグラナダを本拠とするイスラム勢力は健在だったから、アラブの城塞かも知れない。頂きに見える教会堂はレコンキスタ後であろう。・・略・・
 2時半過ぎ、バスに乗り、ロンダRondaに向かう。茶色が優勢な山あいをおよそ1時間走った4時半ごろ、ロンダの新市街の駐車場に着いた。
 ・・略・・ロンダは標高730mほどの台地の際に立地する町である。台地を流れるグアダレビン川Rio Guadalevinの浸食で旧市街シウダーciudaの四方は崖になっている。防衛にかなった土地としてこの場所が選ばれたようだ。
 町の発展に伴い居住地が不足し、グアダレビン川の北側に新市街メルカディーリョmercadilloが形成されていった。
 2015年10月28日、午後4時半過ぎ、ロンダ新市街の大型バス専用駐車場でバスを降りる。台地の際に広がった町だから土地にゆとりがあるわけではなく、バス専用駐車場が設けられたようだ。
 新市街は整った町並みで、通りには2~3階建ての石造建築が軒を連ねている(写真)。2~3階は住居になっていて、1階は店舗と住居が半々ぐらいのようだ。・・略・・写真中ほどのse vendeは販売中の意味で、けっこう空き家が出ているらしい。この町も活性化による定住化が急務のようだ。

 空き家の目立つ通りを抜け、大通りを南に5~6分歩くとヌエボ橋Puente Nuevo=新しい橋に出る。1994年ツアーでも見に来ているから予想はしていたにもかかわらず、またも壮観な眺めに圧倒された。
 ロンダの位置する台地の南端がグアダレビン川によって深くえぐられ、旧市街が台地から切り離された。正確には、切り離され、孤立した台地に旧市街がつくられた。
 暮らしには不便であっても、敵から身を守ることのできる立地が選ばれたのである。
 グアダレビン川を渡るためには橋が必要であるが、峡谷は深さが98mもある。台地の上の旧市街から反対側の開けた土地・・現在の新市街・・に行くには、崖を下り、橋を渡り、崖を上らなければならない。
 できれば崖の上り下りは短い方がいい。最初の橋の記録は分からないが、14世紀、まだイスラム支配下のころ、低い高さに橋がつくられた。17世紀、高さ31mに橋が架けられた。さらに1793年、崖を上り下りせず旧市街と新市街を平面でつなぐ橋が架けられた。
 土木技術が進歩したうえ、敵への備えが不要になったためであろう。
 イスラム時代の橋はアラブ橋Puenta Arabe、17世紀の橋はビエホ橋Puenta viejo=古い橋と呼ばれている。
 新しい橋はかなりの難工事で42年もかかったそうだ。100mに近い足場をどうやってかけたのだろうか?。犠牲も多かったに違いない。ジーと見下ろしていると吸い込まれそうになる。
 アーチ構造の橋桁には牢獄が設けられたそうだ。峡谷を見下ろしていると悪魔が手を伸ばしてくるような錯覚にとらわれて、すぐに改心したに違いない。
 
 峡谷沿いには絶景を観賞できる遊歩道が整備されている。遊歩道からビエホ橋がのぞける。峡谷の崖は凹凸があり、ビエホ橋は峡谷が狭まったところに架けられたようだ。
 ヌエボ橋と同じようなアーチ構造である。アラブ橋よりは便利になったのだろうが、それでも98-30=68mを上り下りしなければならない。1793年のヌエボ橋完成までの苦労が忍ばれる。続く

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