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つれづれなるままにパソコンに向かいて旅日記・斜読・よしなしごとを綴る

1995 中国・内蒙古を走る、移動式テント住宅パオの解体1時間半・組み立て2時間半に挑戦

2017年10月11日 | 旅行

1995 中国・内モンゴルのパオ

 モンゴルのゲル、内モンゴルのパオは、遊牧の民、モンゴル族の伝統的な住まいである。かつてモンゴル族は、移動式、組立式、土着的、一室型、生態的などなど、様々な形容詞をもつゲル、パオを、遊牧のためにたたんでは移動して組み立て、たたんでは移動して組み立ててきた(写真、内モンゴルのパオ)。

 遊牧と聞くと、のんびりと自由気ままに家畜を飼育しているようにも思えるが、現実はなかなか厳しく、気ままさなどは微塵もないように見える。移動のコースもほぼ決まっていて、冬の野営地から春~夏、そして秋の野営地と、順に家畜を移動させていかねばならない。いつごろゲルをたたむかは牧草が決め手になるようだ。きっとゲルの主は雪解けや初霜が手に取るように分かり、「よし明日ゲルをたたんで移動するぞ、用意はよいか」など、家族に宣言するのではないだろうか。

 ところで家畜は五畜と呼ばれる馬、牛、羊(写真)、山羊、駱駝だが、なかでも馬がもっとも頼りになるのは日本と同じで、男も女も、ものごころついたころには平気で馬を乗り回すほど。そのため、かつては草地の続く限りを馬で駆け巡り、ついにはヨーロッパにまで及ぶ大帝国を築いてきた。しかし幸か不幸か、彼らは馬を駆って移動することは得意でも、とどまって都市を造営することは苦手だったようだ。モンゴルで古い絵巻を見ると、宮殿の回りをゲルがひしめき合っていて、堅固な都市の雰囲気は感じられない。そのうえ、五畜を相手にした自然順応の観念が進んでいたから、工業を興し国家の基盤を強固にすることも苦手だったようだ。そのためか、モンゴル帝国は衰退してしまった。

 現在のモンゴル族は、主としてモンゴル国(外モンゴル)と中国領内蒙古自治区(内モンゴル)に分かれている。蒙古の字を私たちは「もうこ」と読んでいるが、これは中国から伝来した蒙古の文字を和音で発音したためである。中国音ではmeng・guとなるから、多分、モンゴル語の「モンゴル」に当時の中国が「meng・gu=蒙古」の字をあて、それを当時の日本で「蒙古=もう・こ」と読んだのではないか、これが私の推理である。
 ちなみに、かつての中国は周辺の民族を野蛮と考えていて、漢字をあてるときは意識的に使い分けたといわれる。蒙・古は無知で・時代遅れの意味をももつ。これは大変失礼な話である。例えば、同じ発音の孟・鼓をあてれば大きな・鼓をたたくになり、モンゴル族への印象は変わったかも知れない。

 ゲルを中国では「包=パオ」と呼ぶ。形から連想した呼び方のようで、的を射ていると思う。今回は内モンゴルでパオの組み立てに挑戦してみた。規模が小さければ大人2人で解体に1時間、組み立てに2時間と聞いていたが、素人の私たちと見るに見かねて手を貸してくれたモンゴル人のあわせて7人がかりで、解体に1時間半ほど、組み立てに2時間半少しかかってしまった(上写真、解体中の骨組み、下写真、解体後の骨組み)。素人でもこの時間だから、パオがいかに簡便か想像できまよう。

 組み立てながら気づいたことがある。ゲルにはバガナと呼ばれる柱が2本立ち、真ん中にストーブが置かれていたが、規模の小さいパオには柱もストーブも見られない。しかもゲルの場合、手狭になれば隣にやはりゲルを建てていくのだが、パオの場合はレンガ造の離れを建てる。北京から北に700kmほど走るとフビライの時代、夏の都だった正藍旗という町がある。
 ここで訪ねたパオには若夫婦が住み、隣のレンガ造に老夫婦が住んでいた。レンガ造にはプロパンガスもあり、確実に定住化政策が実っているように感じた(写真、右が移動用のパオ、左が定住用のレンガ積み住居)。

 ゲルとパオ、出自は同じでも国家の違が住み方に影響することが分かる。本来、大草原にも天空にも自由に駆け巡る馬族にも国境はないはずなのだが。

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