よっちゃんのおててつないで

よっくんとカブの夫婦ウオーキングブログです。
2018年12月長崎出島~東京日本橋完歩。

楽しいウォーク「桂川(けいせん)町を歩く」(福岡県嘉穂郡桂川町)

2024-05-14 04:36:48 | ふくおかウォーキング協会

GW明けの5/8(水)、ふくおかウォーキング協会楽しいウォークは、「桂川けいせん)町を歩く」でした。

今日は、朝から小雨が降っています。午後には上がる予報です。

集合場所は、JR桂川駅。参加者33名。

 

9:30 スタート 雲が低くいつ雨が降ってもおかしくない天気です。

 

穂波川を通り、旧筑穂町へ。

 

旧筑穂町役場(現飯塚市役所筑穂支所)で休憩。

 

雨は、何とか持ちそうです。休憩後再スタート

大分(だいぶ)小学校発祥地を通ります。

「大分(だいぶ)」とは、難解地名ですね。駅名は「筑前大分(だいぶ)」です。

調べてみると、神功皇后が三韓征伐の帰途、ここで兵を解散したそうで「大分かれ(おおわかれ)」が「大分(だいぶ)」と呼ばれるようになったそうです。

 

大分小学校発祥地の横には、「大分(だいぶ)八幡宮」があります。

大分八幡宮のHPによると、

神亀3年(726)の創建と伝えられる大分八幡宮は、神功皇后の所縁の地で、筥崎宮の元宮とされています。御祭神は応神天皇(八幡大神)、神功皇后、玉依姫命です。

神功皇后は、三韓征伐から帰国した後、粕屋の宇美邑にて応神天皇を御出産遊ばされ、その翌年の春、粕屋と嘉穂の郡境にある大口嶽(大口嶽の乳呑坂)を越えて当地に至ります。神功皇后は、当地にて引率していた軍士を解隊し、それぞれの故郷に返します。その大分から大分と称されるようになったと伝えられています。

御祭神である応神天皇(八幡大神)の神霊は、欽明天皇32年(571)に豊前国宇佐郡に所在する馬城嶽(御許山)に出現したと伝えられ、神亀2年(725)に現在の宇佐神宮の鎮座地である小倉山社へ遷座します。その翌年の神亀3年(726)、御神託により豊前地方と穂波地方、太宰府を行き来する拠点であり、大分の由緒ある当地に鎮西第一といわれる壮麗な社殿、穂浪宮(大分宮)が造営されたのが大分八幡宮の創始とされています。

宇佐宮御託宣集の延喜21年(802)6月1日の件にて『我宇佐宮より穂浪の大分宮は本宮也』と記され、箱崎の松原への遷座の神託があり、3年後の延長元年(923)に遷御したことから筥崎宮の元宮とされています。その遷座の前からの御神体で、神功皇后が腰裳に挟んでいたとされる「くしみ玉」は、大分八幡宮にて奉斎されていたとされています。

 

因みに「大分県」の「おおいた」は、「豊後国風土記」では、"おおいた"について景行天皇に由来を求めています。天皇がここに来たとき「広大なる哉、この郡は。よろしく碩田国

(おおきた)と名づくべし」とし、これがのちに"大分"と書かれるようになったといわれます。 しかし、実際の大分平野は広大とは言いがたく、むしろ地形は狭く複雑であり、

「多き田」→「大分」との見解が最近の定説です。これが"とよのくに""おおいた"の由来です。(大分ガイドO-BOOKより)

 

神功皇后は、三韓征伐から戻るときに三本の樟を持ち帰り、香椎宮・宇美八幡宮・大分八幡宮の三社にそれぞれ植えたと伝えられています。福岡県天然記念物指定を受けている御神木の樟は、その子孫とされています。大陸系の樟で、推定樹齢が約700~800年、胴周り径が約9mです。(大分八幡宮HPより)

  

大分八幡宮から再スタート

 

バラのきれいな民家の前を通ります。ご自由に見学してくださいということでしたのでお言葉に甘えお邪魔させていただきました。

 

 

 

 

赤いブラシの花

 

こちらは白のブラシの花

 

 

 

 

 

民家の方に話を聞くと、これだけのお庭にするには5年かかったとのこと。愛情をたっぷりかけて育てられたのでしょうね。

久しぶりにこんなきれいなバラを見ました。

民家のバラを見てから再スタート

 

ゴールの桂川駅が近づいてきました。桂川駅は、JR原田線と福北ゆたか線(篠栗線)の合流駅です。

 

12:04 桂川駅にゴールしました。

今日のGPSです。

 

 

 

 

 


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