6/23(水) 福岡県も20日に緊急事態宣言が解除され、ふくおかウォーキング協会の楽しいウォークも約2か月ぶりに再開しました。
今日は、「春日市散策」コースで、集合場所は西鉄井尻駅。参加者は、36名。やはり皆さんの元気な顔を見ると嬉しくなってきますね。
今月と7月、8月は、私たちのグループの担当です。このコースも6/21に下見を済ませました。
このコース、本来は、春日神社を通り、大野城駅をゴールにしていましたが、久しぶりの例会で、また、今日も気温が30度近く上がる予報ですので、ゴールを春日駅に変更しました。
ミーティングの後、9:37スタート。
最初の休憩は、スーパー。ここで水分を補給します。
国指定史跡である須玖岡本遺跡の一角につくられた「奴国の丘歴史公園」には、弥生時代の甕棺墓などを発掘調査時の状態で展示しているドーム(覆屋)があります。
魏志倭人伝に出てくる「奴国(なこく)」。「明治32年(1899)、須玖(すぐ)岡本遺跡の一角で偶然発見された甕棺墓には、約2100年前に中国で造られた30前後の中国鏡、銅剣や銅矛などの
青銅武器、ガラス製の璧や勾玉など多数の副葬品が納められていた。この甕棺墓は、集団墓から離れて単独で存在することや、副葬品の質・量などから奴国王の墓と考えられている。
中国の皇帝から「漢委奴国王」の金印を授かったのは、この被葬者より数世紀後の王である。
王墓の北側一帯には、青銅器やガラス製品を生産していた工房跡が集中して発見されている。当時の先端技術が結集したこの地は、弥生時代のテクノポリス(高度技術集積都市)と呼ぶに
相応しい。
須玖岡本遺跡の周辺からは、銅剣、銅矛、銅戈、銅鏡、小銅鐸、銅鏃(どうぞく)などの鋳型や、坩堝(るつぼ)や銅滓(どうさい)などの青銅器生産関係の遺物が大量に出土しており、
鉄器生産を示す遺跡も見つかっている。」(奴国の丘歴史公園パンフより)
然し、2100年前にもう中国と交易があったなんてびっくりしますね。
奴国の丘で休憩のあと、再スタート。
春日ふれあい文化センターで最後の休憩。暑くなってきたので水分が欠かせません。
紅葉ヶ丘交差点から光町に向かいます。
11:40 JR春日駅にゴールしました。
今日のGPSです。