なんとかなるもんだよZUYAさん! ( Hey, ZUYA. You Can Do It! ) 

『なんてこったいZUYAさん!!』をVersion Up.“崖っぷちブルーズマン”ZUYA(ずうや)の悲喜交々を綴る。

大西洋を越えて... ― Atlantic crossing ―

2015年04月11日 | A to Z(なんやかんや...)

『 世界の料理ショー 』

子供の頃にこの番組を観て“料理を作りたい!”と思った人は多いのではないかと。しかも“料理人になりたい”と言う意味ではなく、“料理を作るのって楽しいそう~”と

ZUYAさんの“料理好き”も彼の番組を幼少の頃に観ていたことに始まる(料理をしながらのお喋りも...)。世代的には 『 再放送 』 を観ていたZUYAさん。当時の70年代の日本では馴染のないレシピが多く自宅で再現することは裕福な家庭以外では難しかったのではないかと

イギリス人料理研究家のグラハム・カーが面白おかしく料理を作るカナダの番組。(その後続番組はアメリカで制作されたらしいのだが)。これまた超有名番組の 『 奥様は魔女 』 と同じように、程よく入る“笑い声”がさらに番組を盛り上げる。そして頻繁に飛びだす“おいっ、スティーヴ!”

ZUYAさんの可愛いエピソードとして、確か骨付き鶏肉を赤ワインで煮込むようなレシピを観て、小学校低学年だったZUYAさんは“ワイン”と“ワインビネガー”の違いがわからず、家中を酸っぱくしてしまった...



          



今度は逆にアメリカ人がイギリスに渡っての音楽の話


これは最初に声を大にして述べておくが、チャック・ベリーは誰がなんと言おうと 『 天才 』 である。Keith Richards (キース・リチャーズ)があの映画の中で“彼のオリジナル性に疑問を持っている。俺はピアノの Johnny Jonhson(ジョニー・ジョンソン)が作った曲が多いのではないかと睨んでるけどね...”と語っているが、その問題を抜きにしてもだ

ロックンロール元年と呼ばれる1955年。そこから近代音楽の中で“最大の発明”と言っても過言でないロックン・ロールの怒涛の快進撃が始まる

奴隷制度は当の昔になくなっていたとは言え“人種差別”は凄まじいものがあり、黒人、白人、その他の人種間での隔たりは深いものがあった。しかし人間の歴史上、文化と言うものは“融合”により発展・進化を遂げたことは否めない


話が大きくなったが、Muddy Waters や Howling Wolf に続いてイギリスで敢行されたチェスの“ロンドン・セッション・シリーズ”

今回はZUYAさんの好きな当時フェイセズのメンバーだった Ian McLagan (イアン・マクレガン)と Kenney Jones (ケニー・ジョーンズ)も参加。このアルバムからシングル・カットされた 『 My Ding-A-Ling (マイ・ディンガリング) 』 はチャック自身初の全米1位になっている。そう70年代になってようやく1位になれたのだ

それまでも数々のロックンロールの歴史そのもののような楽曲を世に出していたが、それらはあくまでも 『 R&Bチャート 』 において。こういう点からも当時の黒人差別の実態がわかる。この間、Elvis Presley (エルヴィス)は何度1位になりましたか?


ロックンロールの下火とともにチャックも言いがかり同然で刑務所に入れられてしまう。ところが“シャバ”に出てくると、イギリスの小僧たちがこぞって彼の曲で荒稼ぎしてやがると...

彼らのおかげで再び人気が出たのは否めないが、それでも根っからのチャックの“白人嫌い”あるいは“ビジネスへの固執”が 『 Come Together 』 の訴訟問題を引き起こしたのだろうか


ちなみにこの 『 マイ・ディンガリング 』 。歌詞の内容は子供の自慰行為の話で、そのライブ・バージョンが全米1位になるとは...

しかも、このアルバムに収録されているオリジナル・ロング・バージョンでは、ライブにおいて“野郎共はここの部分を歌いな!”、“娘達はこんな具合に~”とオーディエンス一体となっての合唱を指南している。“おいおい、まだ恥ずかしがって歌ってないやつがいるぜ~”ってとこが、チャックの魅力(意地悪さ?)が感じられる


John Lennon (ジョン・レノン)が言った 『 “ロックンロール”と言う語は“チャック・ベリー”と同義語だ 』 と言うセリフ、ZUYAさんも一切の異議はない


ザ・ロンドン・チャック・ベリー・セッションズ+8
クリエーター情報なし
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