なんとかなるもんだよZUYAさん! ( Hey, ZUYA. You Can Do It! ) 

『なんてこったいZUYAさん!!』をVersion Up.“崖っぷちブルーズマン”ZUYA(ずうや)の悲喜交々を綴る。

古(いにしえ)の匂いに誘われて...

2024年04月10日 | 

 

何度も書いていますが

今回の異動の辞令を承諾した2日後に

父が倒れたわけです

 

そこからの怒涛の日々...

いま少し落ち着いて

ふと我に返ったら

 

あれ!?

何で俺こんなところにいるの...

 

近鉄上ノ太子駅前にて

 

こんばんはZUYAさんです

いきなりですが...

聖徳太子(厩戸皇子)

その名を知らない日本国民はいないと思います。その功績については近年色々と見直されているようですが、いずれにしても日本史を語る上で彼の名を無視して通ることは出来ないと思います。世代的に「日本銀行券の1万円札」は、やはり彼でないと...

彼の叔母である推古天皇が即位した593年から710年までの117年間を「飛鳥時代」と言うことは、歴史の時間で習いました(ZUYAさんは高校からは世界史を先行したので、詳細に関してはもうよく覚えていませんが...)

聖徳太子はその推古天皇の摂政としてその才覚を発揮したわけですが、その最期は意外にあっさりしていて夫人に続いて翌日に天然痘で亡くなっています

 

          

 

先月の帰郷は2週間以上と長くなったので、息抜きも兼ねて2、3日に1度は出掛けるようにしました。これは結構、介護や年老いた親と接する際にとても重要なことであり、周りからのアドバイスなどを通して改めてその(息抜きの)大切さを感じましたよ  

その出掛けた先の一つが、聖徳太子の御廟がある「叡福寺」(大阪府南河内郡太子町)でした。信じるか信じないかは別として、例のお声を頂き何かがZUYAさんの心に閃いた時ですね

 

 

 

 

 

 

大阪にはいわゆる太子信仰における「河内3太子」と言うのがあります。今回訪れたこの叡福寺は“上の太子”と呼ばれ、後の2つは羽曳野市にある野中寺(中の太子)、そして八尾市にある大聖勝軍寺(下の太子)になります

“そこのポニー・テールに髭をたくわえた中年よ、後の2つも参って帰りなさい!”と言われたかどうかは別として、せっかくなのでこの機会に残りの2つも参拝することにしました

 

          

 

数日後、近鉄南大阪線・藤井寺駅に降り立ちました。幼い頃に何度か訪れた記憶のある藤井寺市。昔は駅の傍に近鉄バッファローズのホームグラウンドだった藤井寺球場がありました(現在、跡地は私学の学校があります)。サッカーの試合とかでも、大和川を越えてよく自転車で来ましたが、たいていもれなく不良達に絡まれましたけどね

昔からある商店街を抜けて、先ずは藤井寺と言う地の由来となった「葛井寺(ふじいでら)」を訪れました

 

そそられる路地

 

 

 

葛井寺本堂

 

商店街を抜けると、住宅街に入って行きます。なんてつまらない道なんだろうと思っていたら、左側に仲哀天皇陵が見えるようになりました。第14代天皇と言われている仲哀(ちゅうあい)天皇。この辺は歴史マニアの方にお任せしたいのですが、この辺の天皇はいらっしゃったかどうかも怪しいですからね

とにかくそこを過ぎると市境を越えて羽曳野市に入ります。この付近は古墳が多いので有名ですが、“飛び地”もまた多くてその手のマニアには聖地なのかもしれませんね

ちなみに「飛び地」は嵌ると危険です。地理学上、こんなに面白いものはありませんよ。例えば和歌山県の北山村なんて...まぁまたいつかこの辺りのことは書きましょう

 

 

南大門

 

柵の向こうは仲哀天皇陵

 

仲哀天皇陵らしい

 

野中寺(やちゅうじ)に到着。伽藍配置が、その道の人達の心を掴むとか

 

中の太子、野中寺

 

 

駅に戻るのにはバスを利用しました。お昼時を避けて駅前に見つけておいたお好み焼き屋さんへ。久しぶりにモノ本のお好み焼き店に入り作法を忘れてしまったZUYAさん。食べたのは冬季限定の牡蠣入りお好み焼き、もちろんビールももれなくね~

 

 

 

 

もちろん麺も入ったモダン焼きに~

 

あら?鰹節...遠慮し過ぎました~

 

食事を終えて駅の反対側から、近鉄大阪線の八尾駅まで行くバスに乗って3つ目の大聖勝軍寺を目指します。この大聖勝軍寺の界隈は太子堂と言う地名で実に分かりやすいです。ここには四天王の像が若き頃の厩戸皇子の像と共にあります

 

大和川を渡って...

 

下の太子、大聖勝軍寺

 

ちょっとリアルすぎる四天王像たち...

 

 

聖徳太子が物部守屋の大軍に包囲されて絶体絶命の窮地に陥った時に、椋(むく)の大木が真っ二つに割れて、その幹の空洞に太子は身を潜めて九死に一生を得たという伝説のある木がこちらに残っています

 

さて本来なら3つ訪れてこれでコンプリートとなるわけですが...そこはやはりZUYAさん。せっかく大阪にいたのですから、帰京する前に聖徳太子ゆかりの地をもう一ヶ所訪れて来ましたよ。それに関しては、また今度書きますね~ 

 

          

 

突然ですが、今夜の夕食です

 

 

ワンプレートにしてみました。メインは鰤の塩焼き。ひじき煮と蓮根のキンピラは昨日の休日に作っておきました(まだ数日分はあります)。ご飯は例によって押麦入りで、味噌汁の具は新玉ねぎとシメジ、豆腐です 。家人の帰りは遅いと聞いていましたので、今夜は先に1人で頂きました~

 

 

さぁ今週はまだ始まったばかり。頑張って参ります

Have A Good Night,Folks!