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なんとかなるもんだよZUYAさん! ( Hey, ZUYA. You Can Do It! ) 

『なんてこったいZUYAさん!!』をVersion Up.“崖っぷちブルーズマン”ZUYA(ずうや)の悲喜交々を綴る。

崖っぷちブルースマン語る... - 3,000回記念 -

2021年05月12日 | Music & Life 

2008年4月に始めた当ブログ

今回は3,000回目の投稿です

初めの頃に比べると随分

文章も自身も大人になりました

これからもご贔屓に~

 

 

おはようございますZUYAさんです

ええ、3,000回記念ですからいつもより早く起きて(午前1時...)、休日恒例の(休み休みしながらの)深夜の更新です。たっぷり書こうと思います。グルメ、音楽、よもやま話、そして最後に猫写真と綴って行きますが、まぁ長いので適当に端折って読んでくださいませ~

 

先ず気になるのは、上の写真ですよね。ええ昨夜の晩酌です。行き付けの寿司処「寿司治」さんが満を持して「家飲みセット」(期間限定)を始めたので、早速予約してピックアップして来ました

 

 

幸いにも昨夜はワイフがいないので、家で独り静かな晩酌となりました。内容は観ての通りで、色々な物が詰まっている上に数種類の中から焼き魚を選べます。ちなみにZUYAさんは「ホッケ」をチョイス。これで奥さん!たったの2,000円ですよ、2,000円~!どうです奥さん!(←しつけー)

 

 

 

サラダだけは自分で準備しました。一昨日のサラダに入れようと、カリフラワーを茹でておいたのにすっかり失念しておりましたので、ご登場して頂きました~

 

 

           

 

さて第2部は音楽の話をちらりと  

2008年4月に音楽ブログ「なんてこったいZUYAさん!!」として開設しましたが、ZUYAさんの成長と共にブログの内容もグローバルなものになり(←言い過ぎやろ)、老若男女が楽しめる“痛快傑作大人気ブログ”となりました(←ええ加減にせぇ!)

米・シカゴに1956年から1959年まで「Cobra Records」と言うブルース専門のレーベルがありました。当時はもうChuck BerryやBo Diddley等の黒人ロックン・ローラーが世の中に旋風を巻き起こしていましたが、相変わらず黒人音楽は“Race music”と言われ、今の人達が思っているほど全ての白人がそれを受け入れて聴いていたわけではありません

そんな時代にあったのが、このCobra Records。実際騒がれたのは、“時間の洗礼”を受けてからのことです。Muddy Waters等が君臨したシカゴ・ブルースの次の世代を引っ張った、Otis RushMagic SamBuddy Guyらが名演を残していますが、特にオーティス・ラッシュの録音は全曲“神格化”されています。ちなみにIke TurnerもCobraでレコーディングしていますね

その名演の数々を集めた編集盤がこちら

 

 

         

 

さて第3部になります。四方山(よもやま)話と予告しましたが、何度かチラつかせていた“書きたいテーマ”を書きます

差別問題

ZUYAさんはブルースと言う音楽に魅了されて、それを自身の人生の柱として日々生活しています。ブルースの成り立ちは、16世紀から19世紀にかけて行われた奴隷貿易に端を発し、その後の黒人差別(人種差別)を抜きに語ることは出来ません

そんなわけで黒人差別にも興味を持ち、独学で学びました(んなことするミュージシャンなんか少数派ですがね)。そしていつしか“彼らと同じように農場でこき使われて働かされたい”と思ったのが、北米に渡るきっかけだったわけです。そう始めから音楽をやろうと思って行ったわけではないのです

 

日本に帰国・上京後は黒人差別に限らずユダヤ人、アイヌの人々、被差別の問題、その他の人種差別に付いて興味が絶えることなく自分のペースで勉強してきました。しかしこのテーマをこう言う場で書くのは、実に難しいものです

最近フォローさせて頂いているとあるブログで、もろに「用語」を出して書いている方がいらっしゃってびっくりしましたが、そろそろZUYAさんも書いてみようと思ったわけです

 

皆さんは「胞衣」をご存知ですか?

当ブログでもたびたび登場するZUYAさんのルーツである岐阜県恵那市。昔は「大井」と言う地名でしたが、1954年(昭和29年)に周辺の町・村と合併して恵那市となりました(2004年に更に合併して大きくなりました)。そしてその名を冠する恵那山。 深田久弥の日本百名山の一つ数えられていますが、実際の所在地は隣の中津川市と長野県阿智村にまたがっています

さて「恵那」は、大昔は「胞衣」と書かれました。天照大神が産まれた時の胞衣が納められたと言う伝説から来ているようです。さてここから更にディープな話になります。興味のない方は、この辺でお別れしましょう

 

          

 

「胞衣」はお産の時に出る産汚物の一種です。それを処理する会社は自治体の条例できちんと決められており、許可が必要です。動物の世界では産後に自身の胎盤を食べることが多々ありますが、(人間の)女性も出産後に胎盤を食べる習慣があります(※現在はどれほどあるのかはわかりません)

食肉産業、皮革産業、そして産汚物の処理と言った職業を語る時、「被差別」の事を抜きにして語ることは出来ません。ZUYAさんが育った大阪とは違い、東京は被差別の問題はわりと蓋をされていますね。そしてそのことについて知識のない人の多さに驚きます。もちろん“知らない方が普通に(先入観無しで)生活出来る”のかもしれませんがね

ZUYAさんはカナダに住んでいた時に、ユースホステルでボランティアとして働いていまして、色々な国の人達から日本の風習や文化について聞かれました。が、あまりにも答えられなくて恥ずかしい思いをしました。そんなこともあり帰国後は広範囲に渡って興味を持ち知識を高めています(継続中)

 

一つの国家の歴史を学ぶ上で、差別された人達の存在は重要です。罪などを犯したりしてカテゴライズされるならまだしも、生まれた時点からそのカテゴリーに当てはめられる、まさに「差別」の怖ろしい点ですね。江戸時代が終わり明治になり解放令が出たり、昭和、平成、令和と街並みも大きく変わってきたので、一目見て被差別とわかるような地域は激減しましたが(分かる人には分かる)、差別は残っているのです、そして永遠に続いて行くのです

それはね、ご存知のように昨年アメリカでもデモが起こったように、根深い物なのです。理由(原因)は至極、簡単です、

人間が存在する限り、差別は無くなりません

ZUYAさんに言わせれば、差別を無くそうと言うのは“綺麗事”であり、現実的には減らすのが精一杯だと思っています。また機会があれば綴りますね

 

         

 

さて少々重たい話から第4部へ

最後に3,000回記念として、過去に人気のあったZUYAさんが撮った猫の写真を再掲載しておきます(猫写真集を作る話は何処へ...)

さてZUYAさんは休日です。今日もひたすら休養に努めます

Have A Good Day,Folks!