こんにちはZUYAさんです
あれ~?ZUYAさんは実家に帰られているから、しばらくブログの更新は無いと思っていましたが...と思われている方々...
正解です
今回の帰省のために最短2週間の休みをもらい、大阪に来ています。その初日から“極上のネタ”がありスマホでの更新を試みたのですが、やはりろーがんずには勝てずそれを諦めました。で、これからの期間運動不足になるので散歩をしているとネット喫茶が目に入り、“これだ!”と思ったわけです(ただし実家のある町にはなく、例によって隣町…)





































こんにちはZUYAさんです
あれ~?ZUYAさんは実家に帰られているから、しばらくブログの更新は無いと思っていましたが...と思われている方々...
正解です
今回の帰省のために最短2週間の休みをもらい、大阪に来ています。その初日から“極上のネタ”がありスマホでの更新を試みたのですが、やはりろーがんずには勝てずそれを諦めました。で、これからの期間運動不足になるので散歩をしているとネット喫茶が目に入り、“これだ!”と思ったわけです(ただし実家のある町にはなく、例によって隣町…)
おはようございますZUYAさんです
今まで8年間、曜日は変っても“飛び石公休”だったわけですが、こりゃあ連休の方が楽ですね(今週は給料日前で行動制限がかかっていますが...)。でもこの休みの時だけ昼夜逆転してしまう癖をどうにかしないと...
さて、1月28日から30日までの車中1泊を含んで決行された「大阪滞在記Part2」の続き(後編)を綴ります。ええ、あっという間に最終回ですよ。前編、中編をお見逃しの方々は下記からどうぞ~
「男はつらいよ ~大阪プレイバックPart2~」(前編)
「続・男はつらいよ ~大阪プレイバックPart2~」(中編)
翌朝は母がいつも世話になっている美容室へ挨拶に行くことに。以前から帰省をする度に母との会話の中に「◯◯さんに~」、「◯◯さんが~」と髪を切ってくれる女性美容師の名前が頻繁に出て来るのです
実は◯◯さんはZUYAさんと同級生で、母親の後を継いで今彼女がお店を賄っているそうな。前回帰省した時に母からマイ・ナンバーのような高齢者にとって複雑な手続きの方法などは彼女が手伝ってくれたとの話を聞き、これは一度挨拶しておかないといけないなと思ったわけです、今後のことも考えてね
ZUYAさんは同窓会とか成人式とか言った類の物が嫌いなので、過去に一度も行ったことがありません。ですから当然小・中学校の同級生なんて云十年もの間一度も会ったことがないわけです。って言うかその時代って、20歳を超えて以降の人生の方が断然楽しかったのであんまり思い出したくもないと言うのもあります
でも今回は自分のポリシーやらモットーやらはさて置き、開店時間を見計らって彼女の店のドアを開くと、こちらが言葉を発する前に向こうが気が付きました(母に似ているから直ぐにわかったらしい)
30分ほど彼女の母親も含めて3人で色々と話しました。ええすっかり大阪のおばちゃんになってましたね(と言うことはZUYAさんは...どこのおっちゃんなんだろう?)
家人のためにシャンプーとリンスをくれた彼女。それを持って家に戻ると、前日から母に頼まれていた庭の剪定作業に取り掛かることに。父はもちろんですが母も脚立に乗って枝を切るなんてもう危険ですからね
無駄に広い実家の庭。松、柿、桜、ライラック、棕櫚(しゅろ)等々まぁ色々とありました。そして更に近年は何気なく捨てていたグレープフルーツの種が育ってしまい鈴なり状態に...
昔はまさに生い茂っている感じで、庭を歩くなんてことは中々出来ませんでした。同級生たちが遊びに来ると「ジャングルだぁ~」とお騒ぎ、そして騒ぐ子供達を容赦ながら怒鳴って威嚇するのが祖父の仕事でした(先ほどの美容師の彼女との話の中にも登場…)
祖父母が逝き(父と母に)代替わりすると大きく雰囲気が変り、それこそ“酔い冷まし”に歩けるようになりました。が、とにかくまぁ家が古いです。戦後直ぐに建てられたと思われる実家の家は両親が出ることになれば、この家の歴史も終わることになるでしょう。そんなわけで最近は行く度に写真に収めるようにしています
父と母は年金生活者ですから、これだけ広いと業者に払う料金は馬鹿になりません(そしてこれから介護費で更にお金がかかるので...)。母達はよっぽど太くて高さのある木を除いては自分たちの日常の作業として剪定したりしているようです
ZUYAさんが脚立に上り屋根よりも高い位置にまで伸びた枝を片っ端から切り落として行くと、母が太い幹から伸びる小枝の部分をハサミでせっせと細かくして大容量のゴミ袋に詰めていました。その数3袋...
ZUYAさんは途中から冷蔵庫に残っていた缶ビールを飲みながら母の作業を眺めていました。父方の祖母も母方の祖母もマメな人でせっせと庭仕事をしていた記憶があります。当たり前ですが、母の姿を眺めているとあの大好きだった(岐阜の)祖母に似ているなぁと思いましたが、“当たり前じゃん!”と思わず一人で笑ってしまいました
鈴なりのグレープフルーツ
お昼になり母に何か食べたい物があるかと聞くと、「ぺちゃ焼き」と即答して来ましたよ。ZUYAさんが子供の頃にはなかった食べ物です。関西を中心に遠く他府県にも進出している「あほや」と言うチェーン店が生み出したオリジナルメニューで、“たこ焼きとチーズを玉子でくるんだようなもの”です(今回初めてHPを見ると東京にも店舗があることを知りました)
普段は母が食べたいと言うと父が自転車に乗って駅前まで買いに行っていたようです。でも最近は店の場所がわからなくなったり、家への帰り道がわからなくなっていたようで...
久しく食べていないと言うことで、駅前にある「あほや」まで歩いて行きぺちゃ焼きとZUYAさん用にはたこ焼きを買いました。そして途中のコンビニでハイボール缶も忘れずにね
ぺちゃ焼き
たこ焼き
誰かがコメントで書いていたような気がしますが、「大阪人は粉もんにうるさい」と。でも大阪人に限らず、どの都道府県の出身の人でも自分の郷里の食べ物を今の所在地付近で食べたら味の違いに愕然として、“こんなの◯◯じゃない!”と言うものだと思いますよ~
ちなみにZUYAさんがお気に入りのお好み焼き屋は東京には数軒だけ。たこ焼き屋は無くなってしまったので、現在新規捜索中...(築◯銀◯こなんて最高にインチキの固まりかも!)
あ!
これを書いている今気が付きました。母は普通のぺちゃ焼きではなくて“もち入り”が好きだったことを...次回は忘れない様にしなきゃ~
食べ終わってしばらくしたら母に別れを告げて、新大阪駅に向かいました。家に母を一人残して帰るのは本当に心苦しいものです。もちろん涙は堪えますが、ZUYAさんの声のトーンから母には伝わっていると思います。でも自分の生活(今は全く“らしく”ないですけど...)に戻らないといけません
ええ流石に帰りは新幹線です。近年、「おおさか東線」と言うのが開通したおかげでゴミゴミとした大阪市内を通らなくても座って新大阪まで行けるのが有り難いです(市内経由だと最低2回の乗り換えが必要)
東京でもありますよね、新宿湘南ラインのように以前は貨物専用線だったのが、旅客線として有効活用されることってね
平日はこんなに空いてるんだぁ
前回の帰京時には名古屋から新幹線に乗り、横(窓側)に変な若い女性が座って気分を害したので今回は少々不安でした。ZUYAさんは窓側の席に座りましたが、結果的に隣の席は最後まで空席でした~
代わりに次の京都駅で前の席にとても美しい女性が座りました。座った後に背もたれを倒す前に、ちゃんと立ち上がって振り返ってこちらに微笑しながら会釈されて、その動きも上品極まりなく素敵でした。思わず跪こうかと思ったほどです
これは“お天道様からのサービスなんやぁ~”と心の中で大阪弁で思いました。独身だったら間違いなく声をかけていましたね~
京都が見えて来た~
賀茂川、タイミングが合わず...
伊吹山。独立峰って大好きです。
名古屋~
濃尾平野~
浜名湖~
富士山はちょっと隠れてしまいましたが、東京まで快適な時間を過ごしました。この日は夜に職場のリーダーくんの送別会があったので車内ではお酒はちょっと控えめにしましたけどね
初めて新幹線を品川駅で降りて、その会場である恵比寿へ向かいました。わずか数時間前まで関西弁にまみれていたのに、送別会の場で飛び交う東京弁にとても違和感を感じましたよ
以上で「大阪滞在記Part2」は終了です。最後まで読んで下さってありがとうございました~
「男はつらいよ ~大阪プレイバックPart2~」(前編)
「続・男はつらいよ ~大阪プレイバックPart2~」(中編)
最後におまけの写真です。実家にあるゴルビーちゃんと記念撮影~
さて今日は休日2日目。変わらず東京地方の天気はイマイチ。もつ煮もバッチリ仕込んであるので他にすることは...あ!仕事用の靴を買っておかなきゃ。となると上野・御徒町かぁ...こりゃ呑んじゃうなぁ
Have A Good Day,Folks!
古い町並みが残る実家のある町
こんばんはZUYAさんです
前回は音楽に関しても語ったので、「Music&Life」のカテゴリーに入れました。ですから一部の方が戸惑わないように、リンクを貼りつけておきますね
「男はつらいよ...~大阪プレイバックPart2~」(前編)
さて、ではその続きを書いて行きましょう。ちなみにタイトルの“続”は、大好きな高倉健の任侠映画のシリーズ物から肖りました~
夜明けが近づく天王寺界隈(スマホにて撮影)
1月29日(月)午前6時20分。ZUYAさんがバスから降りたのは、JR天王寺駅付近。“付近”と書いたのは“駅前”と書くには少々離れていたから。昨夜の東名高速道路の港北PAで一度切りの休憩をした後は、運転手交代と時間調整を除いてノンストップでひた走り、午前5時頃にJR京都駅、更に午前6時頃にJR大阪駅にて乗客をゾロゾロと降ろした後、御堂筋を南下して天王寺へ
大阪らしい看板ですね~
さて何処かで朝飯でも...と思いましたが、お決まりの定番のファストフード店ぐらいしかこの時間は開いていません。探せば朝までやってる居酒屋もありそうですが、今回はそんなことをするために遥々東京から来たわけではありません。でもせっかく約6,000円の新幹線との差を惜しんで、全くもって快適ではなかった夜行バスを選んだのに、そんな(ファストフードの)美味くも何ともない物にお金は使うのは嫌なので、さっさと電車に乗り実家のある駅へ
母には連絡をせずに来たので、いきなり玄関のチャイムを鳴らして驚いて倒れられると更に話がややこしくなるので、駅前のZUYAさんが子供の頃からある人気のパン屋さんでパンを買い込み、7時を過ぎるのを待ってから家に電話を入れてみました
「Hi, Mom. Have you had a breakfast? If you not, could you make me a coffee?」
と、まさか母に英語で話しかけることはなく、日本語で話しましたよ
最寄りの駅にいると言うので少し驚きましたが、がーさす。ZUYAさんらしいこう言う行動に慣れているので、「玄関の鍵は開けておくから、入っておいで~」とだけ答えていました
そう言えば日本に帰国後、初めてカナダに戻った時(2002年)には壮大な計画を立てて、一部の人にだけに知らせてカナダを電撃訪問した時のみんなの驚きようと言ったら。よく演奏していた店のオーナーなんか、もうあっちこっちに電話をかけまくりで、「ZUYAが目の前にいるんだよ、ZUYAが...」と電話を受けた側も「何を言ってるんだよ、ZUYAは今は日本だろ?」ってね。まぁその時の企画は大成功でしたよ
家までの道のりは、実に不思議な感覚でした。僅か3週間の間隔で再び育った地元にやって来たわけです(※ZUYAさんは東京生まれ大阪育ち)。あれほど嫌いだった大阪に初めて“お帰りなさい”と言われているような感じがしました。義務感ではなく純粋な心で来たからかな?(後日、家人にあちらの世界にいる母方の祖父母たちがきっとありがとうって言ってるよと)
家に着くと準備されていたコーヒーを、買って来たパンと一緒に頂きました。再びパン好き・コーヒー好き親子で朝食を楽しみましたよ、もちろんパンは前回同様に大量です~
お腹が満たされると、流石に眠気を催しました。これなんですよ、夜行バスの欠点はね。若い頃ならまだしも、中年には現地に着いてからの行動が制限されてしまうのです。ここから焼酎に切り換えて(←切り変える必要ある?)、ひと休みすることに。聞くと父の(2回目の)手術は15時からと言うことだしね
お昼近くに目を覚ますと、少し散歩に出かけることにしました。いつもの帰省では行かないところに行ってみたくなったのです。先ずは市内を流れる一級河川である大和川の土手へ
何だか懐かしい気分になり、卒業して以来一度も訪れたことのない中学校(の前)にも行ってみることに~
上の写真の右の方の山の中腹にあるのが母校。よくこんな坂道を毎日通ったものだと、我ながら感心しながら登りましたよ。その後も懐かしい神社や道を辿りながら1時間ほどの散歩を終えて家へ
(手術の)時間が近づいたので母と病院へ向かいました。コロナが再び流行しているために「面会は禁止」と聞いていましたが、手術室に入る前後に看護師さん達の粋な計らいで顔を見て少し話すことが出来ました。でもこの時、既に認知症が更に進んでいたので目の前にいるのが自分の息子であるかどうか理解できたのかは疑わしいです。“来てくれてありがとう”と、父らしくないか細い声で何度も言っていましたけどね
家に帰った後、母を連れて外食をすることにしました。母と2人で外食なんて...20年振りかなぁと思ったら、15、6年前にも一度ありました。居酒屋よりはゆっくり話せるほうが良いと思い、実家近くのお寿司屋さんへ
ZUYAさんは江戸前よりも関西の寿司の方が好きですから、自身が久しぶりに食べたかったと言うこともあります。いつも書いてますが、江戸前と関西の寿司には大きな違いがあります。ネタはもちろんですが、酢飯に大きな違いがあるのです。関西の方が甘いのです。まだ開店したばかりだったので最初の客でした。適当に一品料理を頼み、お寿司も堪能しました~
しかし...ほっそい身体なのに前回の訪問時と変わらず、母の食べっぷりには驚きます。お金のことを言っているわけではなく心の中で、“よぉ食うわ~”と思ってしまいました
(スマホにて撮影)
※写真はスマホにて
(スマホにて撮影)
やっぱり大阪の食べ物は美味いです。申し訳ないが肉から魚、ラーメンから和食等々、何を食べても大阪の勝ちですね。これに関しては本当の意味での“利益度外視”と言うのを、大阪の商売人はしているのだと思いますよ(※もちろん利益はちゃんとありますし、インチキな店もあります)
〆には今度いつ食べられるかわからない「押し寿司」も忘れずに頂きました。母は熱いお茶だけでしたが、ZUYAさんは瓶ビールに焼酎をロックで3杯、4杯呑みましたが、トータルでツェーマンにも届きませんでした。実に良心的なお寿司屋さん、また帰郷の際には訪れたいものです
今宵はここまでにいたしとうございまする(By Ayako Wakao)
To Be Continued...
さて休日初日はほぼ呑んだくれて終わりました。だって異動の際に餞別で頂いたビールの詰め合わせが12缶もあり、“私を試して~”と熱烈に訴えかけてくるものですから...夕方までに任務完了しましたけどね
さぁて今夜は冷凍しておいたカレーを使って、「コロッケカレー」にします。先日某ブロ友さんが作っていたのでキャベツもたっぷり添えてね。明日以降食べるために「もつ煮」も作りました(下拵えが大変でしたが、東京は天気が悪かったので...)
明日は何をしようかなぁ~
Have A Good Night,Folks!
※本投稿、更新が上手く行かず何度も修正しています。ご了承ください。
こんばんはZUYAさんです
今夜は「大阪滞在記」を完結させようと思います。でもねぇ...ちょっと(心が)病みそうです。誰かと話したい気もすれば、誰とも話したくない気もする...そんな時に何て便利なのでしょうか、ブログって~
でも今回はコメント欄はオープンにしておきますよ、何てったって大人気のZUYAさんのブログでも特に、「旅日記」は人気ナンバーワンですからね~
今日はさっさと家に帰って来て、昨日の休日に仕込んで置いた煮物をアテに、“家呑み”です。ええ飲まなきゃやってられませんよ。でも家に帰る前に「ごま油」が切れていることに気が付いて自宅近くの商店街にあるスーパーへ。狙いのごま油だけ持ちレジの列に並んでいると、(それを狙った)コーナーにあったパンに驚いて目が飛び出しそうになりました~
ヤマザキのこのシリーズって、21世紀になってから(2001年頃から)発売されている人気“薄皮”シリーズですが、いつの間にこんな物が~
さて「大阪滞在記」の8日目(最終回)を綴ります~
1月8日(月)。この日は大阪滞在(帰省)最終日。凄いですよね、20数年ぶりに8日間も実家で過ごすなんてね。途中何度も逃げ出したくなりましたが、いよいよ帰京する日になったわけです。のんびりと母と最後の朝食を食べてから、荷物を詰めて家を出たのは午前10時頃。母を独り家に残して東京に戻るのに少し躊躇いがありましたが、ZUYAさんも自分の生活(人生)に戻らなければなりません
帰郷前の計画では帰りも往路と同じく新大阪駅まで出て、新幹線に乗って東京に戻るつもりでした。でもいつからか...“名古屋できしめんを食べたいなぁ”と思うようになり、近鉄(電車)で名古屋まで出て「名古屋めし」を食べて新幹線で東京に向かうルートに変更しました~
先ずは実家の最寄り駅から、奈良県の大和八木駅へ。ZUYAさんが乗る名古屋行きの近鉄特急が来るまで20分ほど時間があったので、ホームにある売店で飲み物やツマミなどを買っていると、最近の近鉄の看板列車の一つである「しまかぜ」がホームに入って来て賑やかになりました
皆が皆、カメラやスマホで写真を撮っているのでZUYAさんも便乗してみました。個人的にはあまり惹かれない外観ですが、後で調べてみるといつか乗ってみたくなりましたよ~
次にやって来たのが、ZUYAさんが名古屋まで乗る「アーバンライナー」。先代の近鉄特急の顔でしたが、いまやその座は「ひのとり」に。車内で早速、“お疲れ様会第一弾”を開催しました
列車の中は快適で、外の景色をボォ~と眺めているとあっと言う間に伊勢方面との分岐付近に。あぁ~最後に伊勢に行ったのはいつだったかぁなんて考えている間に列車は名古屋線に入りました。津、四日市、桑名と三重県の都市を通り過ぎて、揖斐川・長良川・木曽川の三大河川を渡るともう名古屋はすぐそこです
名古屋に着くと、数ヶ月前にマリマロさんのブログを読んだ時に思い出したあの懐かしい「ドナウ川のさざなみ」を聴こうと思ったわけです(この話の詳細はこちら)。暫くすると特急専用ホームに入って来たのは、新しい近鉄の看板列車「ひのとり」。写真を撮っていると発車時刻が近づき、“さぁあの曲がかかるぞ~!”と身構えていたら...
あれ?
これってなんか違う...
あまりのショックに打ちひしがれてしまい(←んな大袈裟な~)、予定では荷物をコインロッカーに入れて栄や大須の方まで行って美味い物を食べる予定だったのですが、すっかり行く気を失ってしまいました。では近場で済まそうかと新幹線口(太閤口)を出たところにある以前行ったことのある居酒屋を目指すと、お店は夕方から開店だと...
仕方ないので駅構内のレストラン街へ行きました。流石の連休最終日(1月8日)、どの店も混んでいて、なかなかの行列が...ちょっと躊躇しましたが空いている店に入り“お疲れ様会第二弾”を開始(こういう繁忙期に空いてる店は危険なのですが...)。案の定、まぁそう言う味だから空いているわけです...
唯一の名古屋めしは「海老フリャ~」
特にこの「ガリサワー」は酷過ぎる...2口でギブアップ...
もう後は一番の目的だった「きしめん」さえ食べられれば良いと思って、駅のホームにある“駅そば”ならぬ“駅きしめん”を目指しました。昔はホームによって味が違うとか言われていましたが、今はどうせ同じ経営だし...それでもやはり大好きな中央本線のホームへ
あれ?
麺が柔らか過ぎるような...
しかも、きしめんには必須の鶏の皮が入っていない...すっかり変わってしまいましたね
さて今は新幹線はグリーン車を除いて車内販売は無いので、乗車前に必要な物は買っておかないといけません。でも既によく呑んでよく食べていたので、車内用には日本酒のワンカップだけにしました
それを持って東京行きの「のぞみ」に乗り込み、購入しておいた指定席に向かうと2列席の窓側には若い女性が。まぁ別に誰でも良いのです、東京までわずか90分ですからね。“お疲れ様会第三弾”を開始...列車は順調に進みZUYAさんはブログを楽しんでいたりしていると、だんだんと富士山が近づいて来ました~
この日は天気も良く通路側の席と言えども富士山を拝めそうだなと思ったその時、窓側の女性がぴしゃっとブラインド閉めてしまいました。念のために言っておきますが、ZUYAさんはまだ窓の方すら見ていませんでしたよ
え?
一瞬何が起こったのかわかりませんでした。もちろん窓側の席に座って居る人に、外からの光が眩しい時を含めてそれをどうするかの権利があるのだとZUYAさんは考えています。ただこの富士山の傍を新幹線が通り過ぎる時、特に「D・E席」と言う富士山側の2列席は、飛行機でもそうですが富士山を観たい人はこちら側を選ぶわけです
そして新幹線の車内でも富士山が見え始めると、皆がパシャパシャと音を立てて撮り始めるお決まりの光景なわけです。ところが他のどの列を見ても、富士山側の窓で閉ざされた窓は1枚もありません。ZUYAさんに最も近い窓を除いて...
数分するとこの女、またブラインドを開けやがった...ええ確信犯ですよ!
そのくせ...この女はZUYAさんと同じ東京駅までの乗車だったのですが、気の早いことに品川駅を出るやいなや足元に置いた自分の小型スーツケースに手をやり、“どいてくれアピール”開始...
こういう時のZUYAさんは意地悪ですよ。やられたらちゃんとやり返します。新幹線が東京駅のホームに滑り込むまで立ち上がりませんでした(※伏線1...)
久々に戻ってきた東京。さぁ頑張ろうかなぁと決意を新たにしました
が
まさか次々と荒波が押し寄せるとは...この時は思いも寄りませんでした(※伏線2...)
全8回に及んだ「大阪滞在記」はこれにて終了です。大変お待たせしてしまって、すいませんでした。そして最後まで読んで下さって本当にありがとうございました
Have A Good Night,Folks!
【P.S.】一枚載せ忘れました~
名古屋で購入した「寿がきやシリーズ」
こんばんはZUYAさんです
今週は頭から東京からほとんど眠れない夜行バスに乗って実家に戻り、父の手術に立ち会い一晩布団で寝て新幹線で翌日に東京に戻って来ると言う強硬軍によりすっかりバテててしまい...両親だけでなく自分自身も年を取ったことを感じざるを得ません
今日の休日も朝から実家のある街の地域包括支援センターやらに電話をかけたりして、あっという間に午前中は終わりました。さぁて、次は認知症について勉強しないと...
「大阪滞在記」の続きを綴ります(久々の同日更新!)
この日は1月7日(日)。久々の実家長期滞在も残り2日となりました
朝食は「七草がゆ」。母に教えられ毎年必ず食べる習慣になっていましたが、その母自身は最近は食べていないと...(この七草もZUYAさんが近所のスーパーで調達して来ました...)