こんばんはZUYAさんです
2024年になったと思ったら、あっという間に2週間が経ってしまいましたね。つまりは2024年も残り350日なわけです。皆さんボヤボヤしていると、あっという間に終わってしまいますよ~
いくらなんでも“お正月の話”を“ひな祭り”の時期とかに書きたくはないので、みなさんお待ちかねの「大阪滞在記」を少しずつUPしていこうと思います。では篤とご覧あれ~
ZUYAさんが大阪を出たのは1999年3月末。“出た”と言うのは遠回しな言い方であり、実際には嫌で嫌で“捨てた”わけです。それはまた大阪と言う街に限定されるわけではなく、日本と言う国ですら見捨てたわけです(※時間の都合でワールドワイドな話は、また日を改めて...)
大阪を訪れる人達は、“大阪の人は優しい”とか“親切だ”、“親近感がある”と言うのしばしば耳にしますが、それは逆に言えば単に“お節介”であったり、“他人の中にズカズカと入り過ぎ”と言った風に捉えることも出来るわけです。そしてZUYAさんも実際にそのように感じていました。それは例え血のつながった家族の間でも...
まぁ昔から外国かぶれで、“個人主義”と言うものを大事にしていたZUYAさんならではの考え方かもしれませんけどね
それでも結婚後は2年に1度、夫婦で帰省するようになりました。今回もいつも通り元旦から3日間の帰省と言う予定だったのですが、昨年末に父が緊急で手術を受けそのまま入院することになってしまい...
前倒しして帰省することも考えましたが、どうやら年末年始は面会は出来ない上にZUYAさんの職種上、大晦日まで働かないといけないので予定通りに大阪に戻りました
新年元旦。東京駅から新幹線「のぞみ19号」に乗り込み、大阪に向かいました。列車の中で色々考えたり、着いた後に様々な新しい情報により取り乱してもしょうがないので、列車内ではいつものように過ごすことに~
“いつものように”とは書きましたが、いつもより本数が多いような気がしますね。往路は特に問題なく(え?復路では何が?)、東海道新幹線において最大の雪の難所である岐阜・滋賀の県境付近でも平地部分では雪は全く見られなく、遠くに御岳山が見えたり沿線の伊吹山も綺麗に拝めまられました
百名山の一つ・伊吹山
定刻通りに新大阪駅に着き、在来線に乗り換えてJR大阪駅へ。子供の頃の大阪駅とはすっかり変わってしまい、何度来てもここが大阪駅であると言う実感が、通行人から耳に入って来る“大阪弁”以外は沸きません
大阪駅、久宝寺駅で乗り換えて小一時間で実家のある駅へ到着。いくら正月とは言え、やはり静けさ(荒廃感)はいつも通り。大阪平野の端を開発するよりも、山を越えた奈良県でベッドタウンの開発を鉄道会社等が進めた悲惨な結果ですね...
市内にはJRと近鉄(近畿日本鉄道)の2線が通っていて、それらを使えば大阪市内中心部へも20~30分で出られる距離なのですがねぇ。さて先述した理由のため、自宅でZUYAさん夫婦を迎えてくれたのは母一人。年齢相応の耳の遠さ以外は至って健康であることに安堵しました。ここのところ、一人にはしておけない父の世話で外出しようにも出来ず、(父の)入院は幸か不幸か母に元気を与えたようにすら感じました
食卓には正月っぽい料理が並べられていました。ええ、もはや昭和のようにお重に入ったお節なんていらないのです。帰省してくる息子夫婦が好きそうな物を並べて置いてくれたらそれで良いのです
あれ?
でも今年は有頭海老は無しなんだ...
新年を3人で祝うのは初めてで不思議な感じでしたね。食後は、入院病棟の各フロアにあるナース・ステーションまでは、差し入れ等の荷物は届けることが出来ると言うことなので、夫婦で徒歩10分ほどの市民病院へ。帰りには川の畔に住む害獣ヌートリアにも、恒例の新年のご挨拶を~
家に戻り夕食までコタツで3人でゆっくりお茶でも...と思った瞬間、あの揺れがやって来ました。東京はさほど揺れなかったと帰京後に知りましたが、大阪では震度4...
父が入院して4日目のことで、いくら一人での生活にも慣れ始めていたとは言え、母を一人にしていなくて本当に良かったと思いました
今宵はここまでにしておきます
To Be Continued...
Have A Good Night,Folks!
大阪は結構長く揺れたそうですね。
先日友人と話していて知りました。長周期振動だったのでしょうか。
なにより高齢のお母様と一緒にいて差し上げられて良かった✨
わたくしも同じ安堵感を抱きましたし、母も心丈夫だったようです。
葉月
体調はいかがでしょうか。小生も経験者です、症状は軽くても用心なさってくださいね~
ええ揺れましたとも。そして実家は築70年ほどですから、まぁ発表値以上に...
今夜も東京地方は冷え込むようです。ご自愛下さいまし~