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なんとかなるもんだよZUYAさん! ( Hey, ZUYA. You Can Do It! ) 

『なんてこったいZUYAさん!!』をVersion Up.“崖っぷちブルーズマン”ZUYA(ずうや)の悲喜交々を綴る。

いつもと違う帰郷 その6

2024年02月01日 | 

おはようございますZUYAさんです

正直に書きますね、

 

メッチャ疲れていますわ 

 

前回、まったく慣れる気配の感じられないスマホからのブログ投稿でも書きましたが、急遽お正月に続いての2度目の帰郷となりました(同月2回以上は25歳の時に実家を出てから初めてかも)

そのお正月の「大阪滞在記」ですら、書き終えていない内に次の「大阪滞在記」を書いてしまうと、もう時系列がややこしくなるので何とか慌てず騒がずで順に書いていきたいと思います。それ以外にも日々次々とZUYAさんに振りかかる「試練」があり、ブログのネタに困らないのは有り難いですが、書く気力と体力があるのかどうかが問題ですね

※スマホからの投稿回はまもなく削除します(そしてやはり今後もしないかなぁ)

 

ちなみに簡単に書きますと、月曜日に急遽父が再手術となったわけです。比較的簡単な手術であり年老いた母一人でも大丈夫だろうと言う意見で兄弟3人(とも東京在住...)一致しました

介護経験のある方ならお分かりになると思いますが、期間が決まっているわけでもなく“先の見えない(長い)戦い”になるのに、始めっからフルスピードで行こうとする介護する側の人達が沢山いますが、これでは介護にならないのですね

ところがブルージー番長ZUYAさん、日曜日に出勤するも考えるのは両親のことばかり...母親も耳が遠くなっているし...息子たちの考えと母との考えの差は...なんて考えていたのですね。で、“こんなに暇で考え込んでいるのだったら、行った方が良いのじゃない?”と介護において一番ダメダメな考え方をしてしまったのです

結果的には行って良かったのですが、これは今後の反省材料の一つになります。介護の基本は「両立」です。ええZUYAさん、色々学んでいますよ。そして家人はそっち系はプロフェッショナルですからね

 

          

 

さてお正月の「大阪滞在記」の続きです  

 

 

1月6日(土)の話です。父の入院している病院は、平日14時から16時の間だけが15分ほどの面会が出来ます。ですから前日に閉庁直前の市役所で介護の申請も済ませたので、予定の8日(月)まで(世間一般は3連休)は大阪にいる必要があるのかなぁと思いました

まぁ母も息子たちには知らせなかっただけで、昨年後半は父の病気でほとんど自分のことに使う時間もなかったようで、父が病院にいてくれるお陰である意味“息抜き”になっているようでしたしね

 

とは言え、次はいつ来れるかわからないので年老いた母では出来ない(させられない)作業をすることに。向かったのは裏庭にある20数年前までZUYAさんの部屋だったところ。ドアを開けると、すっかり“要らないもの置き場”になっていて、それらを数時間かけて片付けました。ロフトベッド(ハイベッド)を解体したり、古いビデオテープやカセットテープ等をゴミ袋に詰め込て行きました。皆さん経験があると思いますが、懐かしい物を見つけると手が止まってしまいますよね~

 
それが終わると一休み。ふと見ると母は何やら出掛ける準備をしています...
 
“駅2つ先のスーパーに行ってくるわ。衣類30%offのクーポンがあるから~”と
 
“明日だったら、カーシェアで車を押さえてあるから連れて行ってあげるよ”と言うも、どうも父のいない生活をすっかり楽しみ始めているようで...
 
母が出掛けてポツンと家に残されたZUYAさん。滞在数日間のブログの下書きをしましたが、やはりスマホでは疲れます。いっそのこと新年はガラッとブログのスタイルを変えて、毎回「5・7・5調」で済ませようかとまで考えました。きっと誰も読まなくなるでしょうね~
 
 
では「写真でも撮りに行くか!」と大阪に来て初めて“写真を撮りたい気持ち”になり、電車に乗って「西成エリア」へ(←何でここやねん...)。やっぱりZUYAさんは写真に限らず、下町が好きなんですよね。梅田やミナミよりも足取りも楽しく感じます。先ずは浪速区にある通天閣の袂を訪れるのは25年ぶりくらいかなぁ
 
 
 
 
 
 
 
 
 
でもさぁ...いったい何処の馬鹿が、串カツを大阪名物なんぞに仕立てあげたのでしょうね。いつも書いてますが、ほとんどの大阪人はそう思っていないし、んなの食べないのですよ。「ジャンジャン横丁」と呼ばれる商店街があるのですが、そこには確かに僅か数軒ほどの串カツを提供するお店はありましたが...決して名物ではありませんでした(まぁもう良いや、この話は~)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この界隈は今やすっかり観光名所になっていて、若者や海外からの観光客もとても多く、人の顔を外して写真を撮るのが大変です。その上、大阪はカメラの方を見る人が多いような...(いちいち修正を入れるのが面倒なんだよ!)
 
ZUYAさんが子供の頃は、女性一人どころか慣れない男性でも不必要に来る場所ではありませんでした。この後、ZUYAさんは未だにディープなJR新今宮駅の南側「西成」のエリアへ
 
 
 
 
ここは今でも世界が違います。当ブログを観たから行ってみたいと思っても決してお薦めはしません。特に写真を撮る時にはかなり気を付けないとトラブルになるエリアです。ぐんぐん進んでいよいよ佳境のZUYAさんが一番撮りたかったスポットに久しぶりに訪れました
 
このエリアは本来は写真はNGです(巧妙に撮ります)。ところが近年外国人観光客やらの純粋な観光地になっているようで、色々問題になっているようですね。何と言ってもその風景が、昔ながらの遊郭を感じさせる...
 
このエリアで仕事に従事する人達の人権を尊重し守らないといけないわけです。だいたいご存知の通りZUYAさんは普段から人は撮りません。今回も街並みが撮りたかっただけです
 
望遠レンズを上手く活かして、初っ端から良い感じのものを数枚撮ることが出来ました。ついつい欲が出てしまい更に撮り進めていたら、後ろから2人組の韓国人が(何故か)英語で話しかけてきました
 
以下は実際には英語でのやり取りです
 
Kguys:さっき写真撮ってただろ?俺たちが写っているはずだ。消せよ!
 
こういう時は逆らってはいけません。もともと撮影は推奨されないエリアなのですから。でもこっちも覚悟を決めて取りに来ているから、初めは消しているふりをしてやり過ごそうと思いましたが、終いには“全部消せよ!”とか言い出して、流石にZUYAさんも...
 
ZUYA:ほら見てみろよ!お前らなんか写ってないんだよ!
 
と反撃を始めたら納得したようで、
 
Kguys:悪かった。でもお願いを聞いてくれてありがとう
 
なんて言って彼らは去って行きました
 
あ~あ、せっかく良い構図で何枚か撮れたのに...悔しいから最後に苦し紛れの一枚~
 
 
 
 
 
その後はそこから歩いて5分程で、一般的な天王寺・阿部野界隈に移動。ファッションビルに入る電気店に行って、実家の壊れているコーヒーメーカーを新しく買ったり、長い間休んだので職場用に土産を買ったりして、家に戻りました。いつもは帰りの新幹線に乗る新大阪で買うのですが、今回の帰り道はルートが違うので...
 
 
 
 
この時購入したお土産(帰京後撮影)
 
 
滞在も6日目になりますと、普段は慣れない母の夕食の時間18時に慣れて来ましたね。とは言えZUYAさんは酒を飲むだけですがね。そしてすることがないので就寝も早い...
 
 
今朝はここまでにしておきます  
 
To Be Continued...
 
 
          
 
 
この「大阪滞在記」、早く終わらせたいので同日更新もあるかもしれません。タイトルの番号をよく見ておいてくださいね。でも基本的に今日は身体を休めます(アルコールを含む)
 
さてお知らせと言うほどでもないですが、来週から正式に勤務地異動です。それに伴い公休日が「月・火」に変わります。
 
では良い一日を~
 
Have A Good Day,Folks!

いつもと違う帰郷 その5

2024年01月26日 | 

 

こんばんはZUYAさんです

今日の休日は、思いっ切りだらけてみました。午前中は師匠に電話をしたり音楽を聴いたりして過ごし、ランチは行きつけの隣町の寿司屋さんへ。ええご覧の通り瓶ビールの後に...おかげで今夜は飯抜きにしましたよ 

 

          

 

「大阪滞在記」の続きを綴りますね 

 

大阪滞在も5日目。さて前夜は旧友との再会で喜んだのも束の間、一転して悲しいお酒になってしまいました。もう本当に東京に帰りたくて、その晩は夢にまで見たような気がします(日が経ちすぎて忘れてしまいました...)

朝風呂に入った後は、母と2人で朝食。数日前に家人を新大阪駅まで送った帰りに大量に買ったはずのパンですが、どんどん消費されています。なるほどZUYAさんのパン好きは、母親譲りなのかもと思いました(そして酒好きは、母方の祖父譲り...) 

 

さてこの日は病院へ父に面会に行くこと以外は特に用事はないので、前日に続いて門扉の修理に必要な部品を更に購入しに行くことに。しかしご存知の通りZUYAさんは、年齢に見合うほどの裕福な生活はしておらず、今回の滞在であの雀の涙のボーナスを使い切る覚悟でした。でも流石に減りが早くなって来たので、そろそろ倹約しないといけないと思い、この日は徒歩でホームセンターに行くことに
 
母がもっと近くにもホームセンターがあるはずよと言うので、スマホで調べてみるとやはり隣町にある前日に行ったのとは別の店舗を発見(※この時点でどうも怪しい気がしました...)。家からの距離は片道2.5キロ。ZUYAさんはご存知“ヘビー・ウォーカー”なので、全然問題なく歩ける距離です
 
ところがいざ行ってみると、“あるべき場所”にそれが見当たらないのです。どうやら潰れてしまったようで...手ぶらのまま引き返しましたよ。もう一度前日の店舗まで行く気力もなく、なんとか家にある部品・工具で修理作業に取り掛かることに
 
 
それが済み近くのスーパーで、母に頼まれた水のケースやらZUYAさんのお酒やらを買い込ました(あれ?倹約の話は...)。もちろん機動力がないので、とほほの徒歩でね。でもこれから先はどうするのだろう...父はもう自転車には乗れないし、母は昔から自転車にも乗れない。そしてネット環境も無し...これは兄弟3人、知恵を絞らないといけませんね
 
とにかく時間を持て余していたZUYAさん。訪れたスーパーでは何も買わず、これからの自分の職場に活かそうとじっくり店内を見て回りました。30分ぐらい何も買わずに見て回る...さぞかし怪しい人物だと思われたことでしょうね。そうそう愛媛県産「紅まどんな」が売られていたので母に食べさせたら、その美味しさにとても喜んでくれましたよ
 
“今度買って、退院してきた父に食べさせるわ~”と言っていましたが...
 
母よ、紅まどんなは意外と高いのだよ...(←なんか...ブロ友のpiriさんの口調...)
 
 
前日同様に昼飯代わりに焼酎を呑んでお昼寝。午後3時になって病院へ面会に行きました。市民病院なのですが、どうもその運営体制に疑問を感じているZUYAさん。だいたい平日の14~16時の間でしか面会出来ないって...一般的に面会やお見舞いは皆さん土・日に行くものだと思いますけど。その上、看護師によって対応も違い...
 
この日、父を面会のスペースに連れて来てくれた看護師さんは前日とは違う人。連れて来てくれたのは良いのですが一言、
 
「自力でこの場に来れない患者さんとは面会は出来ませんから」
 
なんて抜かしやがったので、
 
「はぁ?昨日はそんなこと一言も言わんかったやないか!」と噛みつくZUYAさん
 
「昨日の看護師の名前はわかりますか?」
 
「わかるわけねぇだろ、んなの!どう言うルールになってんのか確認せぇよ!」と言ったら
 
「確認してきます」と言ったのに、そのままフェードアウト(ええ逃げましたよ...)
 
面会時間の終わりを告げに来たまた別の看護師さんに(昨日は時間に厳しくなかったのに...)、先ほど来た看護師さんに言われた旨を確認すると、
 
「そんなことはありませんよ。入院されている患者さんはご家族に会いたいでしょうし、面会することによって元気になりますからね。気兼ねなく来てください」と...
 
大丈夫かこの病院...
 
 
 
そしてこの面会中に、病院に常駐する介護関連のスタッフから、「認知症の傾向が見られますので、介護保険の申請は時間がかかりますから、もう申請しておいて下さい」と言われました
 
時間は既に16時過ぎ...翌日からは土日月と3連休(1月6~8日)だから役所は休みですよね。急いで家に戻って介護保険証をひっつかみ、1.5km先の市役所まで急いで向かいました。閉庁までは15分前に滑り込みセーフ
 
 
 
 
8日(月・祝)に帰京する予定でしたから、今日やっておかないとZUYAさんは滞在が更に延長になってしまいますからね。それが終わり家に帰り着いた頃には遂にストレスが爆発寸前になってしまい母に、“今夜は独りで外で飲ませて下さい”と告げて家を出ました~ 
 
 
 
 
実は目を付けていた店があるのです。子供の頃から前を通る度にいつかは行ってみたいと思っていた焼肉屋「安さん」。いつもは三が日だけの滞在ですから、訪れるチャンスはありませんでした。ZUYAさんにしては珍しくネットで下調べをしてみると、極端な賛否両論で...まさに“メチャクチャ不味い”か、“メチャクチャ美味い”のコメントしかないのです...もちろんここは己を信じて暖簾をくぐりましたよ
 
 
メチャクチャ美味いやないか~い! 
 
 
おそらく小奇麗な(こじゃれた)お店でしか、食べたことのない人は苦手なのでしょうが、ZUYAさんのように“モノ本の呑兵衛”にはぴったりでした。上ミノ、ロース、ハラミ、もう1回ハラミ、もう1回ロースを食べて満腹。飲み物はビール2本と日本酒1合で、世は満足じゃ!(←懐かしの大阪ローカルCM「レジャービル味園」より)
 
 
 
カウンターで独り焼きながら喰らう
 
 
 
で、お店を出ましたが、まだ20時前...
 
もう一軒行っちゃう?
 
 
 
 
今度は子供の頃にはなかったお店へ。厨房に男性が一人いる以外は明るく元気な女性スタッフばかりのお店でした。軽~いツマミにハイボール2杯とウィスキーをストレートで4杯...ええZUYAさん、新年初ぶっ壊れましたね(あの...倹約の話は...)
 
 
 
 
うどんに“お”付けるのが大阪らしいですね
 
 
流石にこのまま家に帰り、寝床に潜り込みました。母もZUYAさんの朝風呂に慣れて来たようです
 
今宵はここまでにしておきますね
 
 
To Be Continued...
 
 
          
 
 
さて週末は2日間、また新しい勤務先で引継ぎ。何とか楽しみを見つけたいものです
 
Have A Good Night,Folks!

いつもと違う帰郷 その4

2024年01月25日 | 

おはようございますZUYAさんです

昨夜から今朝にかけて、東京地方もずいぶんと冷え込みましたね。昨夜は珍しく定時で退社し、(これまた珍しく)休憩室での一杯もやらずに真っ直ぐ帰って来ました。商店街のスーパーにだけ立ち寄り夕飯の材料を買い込んだぐらいです。ちなみに「キムチ鍋」にしました

 

さぁ「大阪滞在記」の続きを綴りましょう  

 

やっぱり大阪で食うお好み焼きは美味い!

 

暮れに届いた父に関する一報で、「緊急で手術・入院」、更には「面会謝絶」と言うワードがインプットされました。ところが何処でどう変わったのか、不安に掻き立てられながら年が変るのを待って、新幹線に乗って大阪に来てみたわけです

すると“面会謝絶”と言うのは、“病院が人手不足のために年末年始の面会はお断りします”と言うものでした(後に土日祝日もダメなことが判明...)。つまりは平日の「14~16時」と言う2時間の枠の中でしか面会できないと言うのです。しかも15分間だけ...

大阪滞在も云十年振りの4日目になりました。ええ今回の滞在を伸ばしたのは父の顔を一目でも見て帰らないと、何のための帰郷かわかりませんからね。そしてこの1月4日から面会は再開。ようやく父に会えるわけですが、よくよくすっかり耳の遠くなった母に聞いてみると、15時に病院に行くと

 

う~ん...ではそれまで何をして過ごせば良いのだろうかと考えていると、「門扉のドアノブが壊れているから直してくれないか?」と母がリクエスト。早速、扉を確認しに行くとどうやらまるっと交換が必要。この手のことは得意だから良いのですが、問題は必要な部品等を何処で手に入れるかです

 

 

 

ZUYAさんが住んでいた頃には、徒歩10分ぐらいのところにホームセンターがあったのですが、今は隣町まで行かないとないようです。スマホで一番(アクセス上)効率の良さそうな店舗を検索、近鉄電車に乗ってその最寄駅から1.3kmを歩く方法を選びました

 

 

時間もあり余っている上に(ZUYAさんなら)自宅から直接歩いて行ける距離でしたけどね。近鉄「高安駅」でスマホでついついパチリとしたのは、駅のホームにある懐かしの「反転フラップ式案内表示機」。今は何処もほとんどが味気ないデジタルになってしまいましたよね。時々チラッと見たこともない表示(レアな行き先など)が見えると子供心にワクワクしたものです

若い頃に通った自動車教習所や生駒の山々を眺めながら歩いていると、あっという間にホームセンターに到着しました。先述したようにドアノブは全て交換になるので、同じタイプの物(インテリジェント錠)の取り付け寸法を家を出る前に何ヶ所か測って来ました。が、うっかり一番肝心な“バックセット”と呼ばれる部分を測り忘れていました

これも前日の万博記念公園の休園と言い、昨年11月以降からの不運の続きであることは間違いないと思いますよ

 

バックセットは取り付ける扉のドアノブの中心部から扉の端までの長さ。何種類かあるわけですよ。手ぶらで家に戻って測ってもう一度ここまで来るか、とりあえず購入してダメならもう一度足を運ぶか...一か八か好きのZUYAさんは後者を選びましたよ(この2択を提案してくれたコーナン八尾山本店の女性店員さんに感謝です)

 

 

ドキドキしながら来た道を戻り、家に着くと早速作業に取り掛かりました。結局選択はバッチリで交換は上手く行きました。ところがここがプロとトーシロの違いですね...扉の受け手側になる「ラッチ受け(ストライク)」と呼ばれる部分を随分慎重にやらないといけないことが分かりました。まぁ帰京まではたっぷり時間があるのでのんびりやることにしましょう

 

これが終わり、自室で昼飯代わりに焼酎を呑んで昼寝していると面会の時間が近づいて来ました。病院までは徒歩で10分ほど。母親はまだまだ元気なようでサクサクと歩いているのに少し驚きでしたが、やはり高齢者特有の(いや郊外特有と言うべきか?)“道の歩き方”には不安になりましたけどね

面会カードを記入してナース・ステーションに提出すると、看護師さんと共に付き添われ点滴スタンドに掴まりながらそろそろと歩いてくる父が見えました。2年振りに見た父...すっかり痩せていました。てっきり病室でベッド上での面会になるのだろうと思っていたので、そういう意味では予想に反して元気で良かったです

イスに座り会話を始めましたが、体型だけでなくあの大きかった声までもが随分と細く小さくなっていました。若干、認知症が入っていると前情報を持っていたのですが、ここは本場の大阪人、会話の中で本当にボケているのか受け狙いでボケているのか区別がつきませんでした

ZUYAさんの母はこんな時でも気をつかう人で、確かに面会は15分と決められていましたが看護師さんも特に呼びに来ないので、母も父が入院後初めて会うのだし(看護師さんに)呼ばれるまで話していれば良いのに、“面会の場を他にも使いたい人がいるだろうから...”と、さっさと切り上げようとするのを見て、ここだけは意思疎通が出来たのかZUYAさん、父と顔を見合せて苦笑いしました

で、母親は立ち上がったのでナース・ステーションに声を掛けに行きますと浪花の女子看護師たちが皆、“え?もうエエのん?”って顔してましたよ

 

 

さてZUYAさんは面会の後は家に戻らずに、梅田に向かいました。大阪にはもう友達はいないのですが、ひょっとしたら同じように誰か帰省していないかと連絡を取ってみると、あの香川県で悠々自適に生きている親友Sくんがいました。彼と昔と比べてあまり変わっていなくて、わかりやすそうな「お初天神」で待ち合わせをすることに

JR大阪駅から懐かしのルートを思い出しながら歩くもすっかり変わってしまいましたね。変わっていないのは街行く人々が“大阪弁で話している”ことだけ。待ち合わせ時間まで写真を撮っているつもりでしたけど、“撮りたい!”と思わせるスポットがあまりなく...何で都心部って何処へ行っても同じなんですかね~ 

 

 

何を食べようかと考えた時に閃いたのは「お好み焼き」でした。散々、大阪は嫌いだ嫌いだと書いているZUYAさんですが、食べ物の美味さだけは認めます。大阪名物はもちろんのこと(※串カツは名物ではありません)、ラーメンから何から何まで何を食べても東京で食べるものより美味しいと断言しますよ

さて事前に調べたわけではなく、昔ながらの“勘”で選んだお店に入店。数年振りに“都会に出て来た髭面に草鞋を履いた男”と“革ジャンにポニーテールと髭面の男”2人が入店すると、一瞬店の雰囲気が変ったのはご想像にお任せします

ZUYAさんはモダン焼き、Sくんはネギ焼きを注文。後はキムチと餃子をシェアしました。味はまぁまぁかなぁ

 

その後はレコード・ショップへ。Sくんと出会ったのは20歳の頃、ZUYAさんが音楽雑誌「Player」にバンドメンバー募集の広告を載せたところやって来たのが彼でした。その時のバンドのメンバーとはリハが終わった後には、レコード屋を巡ることが多かったですね

Sくんの話やと大阪にもdiskunionが出来てると言うことで探して行ってみました。何と懐かしの「ActⅢ」にありました(←大阪の人間にしかわからへんわ~)。ここはここで昔違うレコード屋があったような名前は思い出せませんが

 

 

 

このあと茶屋町界隈をウロウロしました。Sくんが正月に大阪で間借りしている所には色々な悠々自適な人や風来坊、放浪の旅人が泊っているそう。ZUYAさんもその夜泊まりに来たらええねんと誘われましたが、一応母の面倒を見るために大阪に残っているので「外泊」は丁重にお断りました。またの再会を約束して解散。ZUYAさんは帰路につきました

ところが...な~んか物足りなくて御堂筋線に乗り、ミナミの夜の街へ(Sくんは昔から乾杯程度にしか呑めない)。嗅覚鋭いZUYAさんですが、全くピンと来る店が見つからず、再び地下鉄に乗って天王寺へ移動。やはり路地に入りこんで吞み屋を物色しましたが、どこもパッとしない...

もう帰ろう

諦めて地元の駅まで帰って来ましたが、何処も消灯。“おいおい東京なら1月4日なら商売再開だぜ!?”と思いながら寂れた商店街を歩いていると、唯一灯りの点いてる店を見つけて入るとカウンターは(間違いなく)常連客で埋まっていて、挙句に“もう閉店です”と断られてしまった。なら看板消しとけよと思いましたが...

結局、家の近くのコンビニでハイボール缶...もうこんな街嫌だよぉと(東京に)帰りたいモードは最高潮に。良い年をしたおっさんが涙を堪えながら飲んだちょっと寂しい夜になりました

 

ちょっと長くなりました。ここまでにしておきます

To Be Continued...

 

          

 

さて時間は戻って今日は1月25日木曜日、ZUYAさんは公休日です。滞在記の中の気持ちと大して変わりません

明日から2日間また引継ぎで、新勤務地に行かないといけないので。本当に憂鬱なのですよ。この店舗は信じられないぐらいの額の赤字経営...つまりはお客さんも少なく一日が長い...(おそらく近い内に...)

とりあえず今日を楽しまなきゃ...

Have A Good Day,Folks!


いつもと違う帰郷 その3

2024年01月23日 | 

こんばんはZUYAさんです

あっという間に休日が終わりました。昼まではブログを更新したり音楽に浸っていました。どうもカメラを持ってと言う気分ではなく、手ぶらでふらっと外に散歩。駒込から田端、日暮里と歩いていつもの鶯谷の中華系居酒屋「東瀛」へ入りました。昨晩あれほど飲んだのに、本当に懲りないZUYAさんですね 

 

 

こちらではだいたいお決まりの物を食べるのですが、毎回食べたことのない物を一品だけチャレンジしています。今回はボードに書かれていた「爆発こんにゃく」なるもの。想像もつかなかったのですが、写真のようにニンニクや唐辛子で炒めたなかなかグッドな味でした

スーパーに寄って家に帰り、夕飯用にシーフード・カレーを仕込んでお夕寝タイム。そんな感じで一日が終わりました

 

          

 

さて「大阪滞在記」の続きをお楽しみくださいませ~  

 

2年振りの帰郷もあっという間に3日目。いつもだとこれにて終了で帰京するのですが、父に会わずじまいで帰るのもなんだし、母も心細いだろうと思い帰郷する前からZUYAさんは滞在を延ばせるだけ延ばすつもりでした(家人は翌4日から仕事のためこの日に帰京) 

不思議なものですね。家人は昨年のクリスマスにインフルエンザに感染して長い冬休みになり、ZUYAさんは父が年末に手術・入院したことにより長い冬休みになったわけです

 

 

朝食を済ませた後、帰省3日目の恒例行事であるお墓参りへ。家から15分程歩き山を少し登った所に墓地はあり、そこからの眺めは昔と変わらず良い感じです。羽曳野の応神天皇陵を始めとする古墳群、PLの塔、昔はなかった「あべのハルカス」辺りまでは、直ぐに見つけることが出来ましたね

その後は昔は山梨を抜いて生産量日本一だったぶどう畑を抜けて、「鐸比古鐸比賣神社(ぬでひこぬでひめじんじゃ)」へ。子供の頃から“大県神社(おおがたじんじゃ)”の愛称で親しんでいましたが、最近は正式名称で呼んでいるようです。ここから実家の位置を探すのは、子供の頃からの癖(習慣?)ですね  

 

 

 

 

 

 

 

さて両親の健康を中心にお願いして、階段を降りて家に戻ろうとすると、くっついて暖を取っているにゃんこさん達を発見。起こさないように、そぉ~と撮ろうとしましたが、クロが気が付いちゃいました

 

寝てる~

 

あ!目が開いた~

 

さて家に戻り少し寛いだら、家人を見送るために大阪市内まで行くことに。新幹線に乗る前に何処か行きたい所はあるかと聞くと、「太陽の塔」を観たいとのこと。ええ、1970年の大阪万博の時の目玉の一つであり岡本太郎の傑作ですね

と言うことで万博記念公園へ向かうことに。JRから地下鉄堺筋線に乗り換えて北上、淡路駅で阪急千里線に乗り換えて山田駅で下車。そこからモノレールに乗り換えてようやく到着です。ZUYAさん、太陽の塔を観るのは小学校の遠足以来かもしれません(いや...サッカーのコーチをしていた時に引率して来たかも...)

 

モノレールの軌道って、なんか不思議ですよね~

 

 

さぁ何車線もある道路を挟んで、太陽の塔が見えています。今は駅近くにショッピング・モールがあるんですね、意外に人手があって驚きました。その道路を跨ぐ長い歩道を渡りきると愕然としました...

 

「本日休園日」

 

 

 

 

ええですから、これらの写真は門扉の隙間から覗いて撮ったわけです

そう言えば遠い昔、カナダに家人と行った時にウィニペグの動物園の中にある児童小説「熊のプーさん」のモデルになった「Winnie-the-Pooh」の銅像を観に行きました

でも車で連れて行ってくれた友人カップルのStephanieとBradが、“それを見たいだけなら外から見られるよ”と入場料をケチって、やはり門扉の隙間から写真を撮ったことを2人して思い出して笑いました

 

その時の写真です(笑)

 

その後は再びモノレールに乗り千里中央駅へ。ここらで昼食を食べれば新大阪駅までは直ぐですから安心です。新大阪駅まで行ってしまうと大混雑でどの店も並ばないと入れませんからね。ここらが地元出身者(ZUYAさん)の知恵ですね。駅構内にある赤提灯に惹かれて居酒屋さんへ 

 

 

安居酒屋に付きものの“なかなかの塩気”...どれほどきつかったかは、生ビールが嫌いなスーパードライなのに6杯も飲んだことから判ります(しかも税抜き193円と安かったので)。串カツ盛り合わせ(15本)は、流石に塩辛くなかったので安心しました~

 

 

 

 

 

大阪に来ると〆は必ずうどんを食べるので、ここでは腹八分目にして新大阪駅へ移動。構内にあるうどん屋に行こうとしましたが、家人の気が変り彼女を見送った後にZUYAさん独りで頂きました

 

 

食べ終わると急に独りである実感が沸いて来ました。家人に何度も窘められましたが、出来ることなら東京に戻りたかったのです。「1」でも書きましたが、大阪の空気感が基本的に苦手だからです

でも先述したように、今は母を独りにさせるのは忍びないし、他の兄弟のためにも父の生存確認(←縁起でもない?)もしておかないといけません。ええ、まさに葛藤ですね

地下鉄御堂筋線に乗って天王寺へ移動。母が食パンをリクエストしていたので、コンビニで済ますようなことはせずに、住んでいた頃によく買った「エーワンベーカリー」へ。家人は帰って父もいないと言うのに、食パンだけでなくクロワッサンやらくるみパンやらと色々買い込み、結局3~4人分は買ってしまいました...

 

JR天王寺駅前からあべのハルカスを見る(スマホ撮影)

 

家の籠に盛られたパンたち...(スマホ撮影)

 

JRに乗り暗い地元に戻ってきました。何度も書きますが、街は本当に寂れてしまった。その上“(家人に)大阪に置いて行かれた”感が、それに輪をかけてしまい暗い気持ちで家に戻りました

母と2人での食事...何年振りだろう...いや恐らく20数年ぶりとなる。まぁすっかり耳の遠くなった母です。山口百恵の歌ではないですが、何度も同じ話をするしね

オカズだけツマミながら、一人でガブガブ飲んで与えられた2階の部屋へ戻ると、“あぁ独りなんだなぁ”と再確認して21時前には眠ってしまいました

 

夕飯

 

寝酒用品 

 

今宵はここまでにしておきますね

To Be Continued...

 

吉報なのかどうかわかりませんが、来月1日付での異動は5日付けに変わったようです。でもZUYAさんは移動後は公休日が「月・火」に変更になるので初日から休日と言うことになります

ではお休みなさいませ~

Have A Good Night,Folks!


いつもと違う帰郷 その2

2024年01月22日 | 

おはようございますZUYAさんです

新しい年も直実に日々が過ぎていますが、皆々様いかがお過ごしでしょうか?

格言うZUYAさんも厳しいながらも、お酒と音楽(視聴だけですが...)の力を借りてもがきながらも何とか凌いでいます。入院中の父も別の手術の後にコロナに感染してしまいどうなるかと気を病みましたが、とりあえずは重症化等はせず元気なようです

一人で家に残る母と電話で話すと幾分声に元気がないように感じます。しかし今のZUYAさんに出来ることは、以前よりも小まめに電話をしてあげられるだけ...もどかしい日々ですけどね

 

ブロ友さんのコメントにもありましたが、8年働いていた今の店から他店への異動がまもなく確定します。先週は2度ほど引継ぎを兼ねてその新しい勤務地で働きましたが、顔見知りは幾人かいるもののやはり慣れない環境...前途多難ですね

でも自分から去らない以上(退職しない限り)は、働くしかないのです。そして少なくともブログのネタには困らないのは皮肉なものです。昨年ブログの中で何度も強調した節目の年、まだまだ何が起こるかわかりません。その新勤務地も著しい経営難のために、近い内に閉店も無きにしも非ずのようですから

歴史上の“島流し”からの復活と言えば、海外ではナポレオン3世、国内では後醍醐天皇や源頼朝などがいますよね。彼らに肖ってZUYAさんも大いなる進歩(飛躍)を成し遂げたいものです。まぁどう考えても島流しのまま消えて行った人間の数の方が大多数なのですが...

 

          

 

さて今日は「大阪滞在記」の続きを書こうと思います。昨夜、“昨日の敵は今日の友”だったような職場の先輩と一献。大いに飲み大いに楽しみました(久しぶりに山手線で3駅寝過ごしました...)

何とか帰り着き、そのまま布団へ...珍しく8時間も寝てしまいました。夢には両親が出て来ました。明け方にいつも通り一度目が覚めましたが、トイレに行き珍しく二度寝すると又もや両親が夢に出て来ました。そしてこの二回目の夢にはダイアモンド富士まで登場、何か良い一日になるやもしれませんね

朝風呂に入ってスッキリ...さぁご覧くださいませ~  

 

 

お正月、元旦に帰省して実家での2日目です 

近年帰省した時はいつも3日間の滞在。そして中日を使って親をドライブに連れて行くことが恒例になっています。ところが今年は父は入院中。かと言って年末年始は病院の都合で面会が出来ません。そしてあの地震の翌日と言うこともあり呑気にドライブ、しかも海の方へ行くなんて被災された方々を思うとかなり躊躇しました。でも先ずは目の前にいる人(この場合は母)を幸せにせねばと決行することにしました

※これで旅日記の更新を躊躇していたことがおわかりいただけたかと...

 

例によって隣町・八尾まで行き数ヶ月前から予約しておいたレンタカーを借りて家に戻りました。去年辺りから家の側にもいわゆるカーシェアが数か所だけですが整備されているのですが、“年老いた両親が乗りやすい車を選ぶ”ため、八尾まで出向いたわけです

予定より30分も早く貸出してくれたので、余裕をもって目的地に向かえます。今回の目的地は和歌山県・南紀白浜です~

 

 

 

隣の藤井寺市から西名阪自動車道に入り、松原JCTから阪和自動車道を南に進みます。所要時間は約2時間半、何年か前にやはり両親を和歌山県・御坊まで「クエ料理」を食べに連れて行った時と同じコースです(その時のブログはこちら)。違うことと言えば、その時よりもさらに遠く、そしてZUYAさんは猛烈に太っていた頃です

途中トイレ休憩で「紀ノ川SA」に立ち寄ると食べはしませんでしたが、「かすうどん」がフィーチャーされていました。この“かす”は今やすっかりメジャーな食べ物になっていますが、ZUYAさんが若い頃は独特な食べ物でした(これに関してはまた別の機会に語りましょう)

途中、片側一車線になる区間で少々渋滞しましたが、南紀白浜の名所「円月島」が近づくと、ランチタイム会場はもう直ぐそばです。関西に住んでいる方にはお馴染みですが、白浜にはパンダのいるサファリパークがありますね。今回は時間がなく寄れませんでしたけど(だいたい三が日に開いているかどうか...)

 

このタイプの車は運転しやすく乗降も楽です

 

 

今回のランチは予約しておいた海鮮料理「珊瑚礁」へ。3人とも店の名を冠した特選珊瑚礁定食を注文しましたが、ZUYAさんと母は伊勢海老を“塩焼き”で、家人は“活造り”で頂きましたよ。父は以前は肉派でしたが、母によると最近は魚派になっているそうな、一緒だったら喜んだろうなぁ

 

 

 

 

ZUYAさんは美味しくないとわかっているのだけど、気分だけでもと“ノンアルコール・ビール”、家人と母はビールで乾杯です。でも窓からの景色も良いし、独り大阪で入院している父も色々と我慢を強いられているのですから...ZUYAさんも四の五の言わず(ノンアルを)2本飲みましたよ~

※ちなみに父は下戸です

 

 

 

本来は活造りを注文した人だけが〆に伊勢海老のお味噌汁が出て来るのですが、特別に3人とも頂きました。自慢ではありませんが、お金を払って伊勢海老を食べたのは初めてかも(普段は高知の漁業関係の親戚からどっさり送られてくるので...って自慢でしたね、これ)。ゆっくりと味わったのでお腹も満腹。お店を出ると“新年初猫登場”。声が実に正月らしくない、ハスキーボイスでしたけど~

 

 

白浜の名の由来とされる「白良浜(しららはま)」へ。白浜は関西では有名な海水浴場の一つ。もちろん真冬ですから泳いでいる人はいませんでしたが、母も家人も若返ったように楽しんでおりました~  

 

 

 

 

 

最後に名勝地「千畳敷」を観て、母が好きな「道の駅」に立ち寄って大阪まで帰って来ました。天気は素晴らしく、(知らされていなかったのですが)数ヶ月前から父の体調は悪く、看病で母は相当疲れていたそうで、実に良い気分転換になりました~

 

To Be Continued...

 

さて今日は休日。昨日と打って変わって天気も良いので散歩に出ましょうかね。家で音楽に浸るのも良いですが、やはり身体を動かすのが一番のストレス解消ですからね

Have A Good Day,Folks!