鹿島アントラーズ原理主義

愛する鹿島アントラーズについて、屈折した意見を述べていく場です。

青木代表宣言

2006年08月10日 | Weblog
ニッカン
鹿島MF青木「僕も」と本気で代表目指す
 鹿島MF青木が、代表の若返りに刺激を受けた。「同じ年のやつらが結構出ていたし、年下もいた。僕も頑張らないと」と話した。加入6年目の今季は、ようやく本来のポジションであるボランチに定着。リーグ戦13試合に出場している。前橋育英高から入団する際にはJ1、J2合わせて15クラブからオファーを受けた逸材が、本気で代表入りを目指す。
[2006年8月10日21時7分]

逸材として養護されてきた青木剛も6年目。
昨季よりレギュラーポジションを得、今季京都パープルサンガ戦においては目の覚めるミドルシュートを決めた。
いつ代表入りしてもおかしくない状態であることは紛れもない事実であろう。
この年代としては実力NO.1である。
ただし、アクが弱い。
キャラとして変なホクロやどこにも拾われず流浪のキャラ、といったプレイ以外の部分に弱さを感じ得るのだ。
愛犬が好き。
チワワである。
人柄の良さが滲み出ているではないか。
ガッツーゾのような異彩を放って欲しい。
パンツ一丁になって。

メッシーナと報知と

2006年08月10日 | Weblog
報知
小笠原メッシーナ!鹿島容認、近日中に正式決定
 元日本代表MF小笠原満男(27)=鹿島=が、欧州の移籍市場が閉まる今月中にイタリア・セリエAのメッシーナに移籍することが、9日までに確実となった。メッシーナの関係者が明かしたもので、すでにクラブ側からオファーが出されており、本格交渉がスタート。近日中にも合意に達する見通しだ。
 小笠原は以前から海外挑戦を胸に抱いていた。今年1月にはイングランドに渡り、プレミアリーグのウエストハムにも練習参加。その際、「(海外に)行くなら、試合に出ないと意味がない」と自分の目で確かめることの意義を強調し、移籍先の環境や出場機会にもこだわりをみせた。その裏には自らの海外での成長を追求する姿勢があり、決断も慎重だった。
 W杯後にも複数の選択肢の中から模索していたが、メッシーナ側が本格的に獲得に乗り出したことにより、話は進展。鹿島側も小笠原のこれまでの貢献度を考慮し、条件次第で海外移籍を容認する構えをみせていた。メッシーナは昨季まで、同クラブのFW柳沢敦が所属した経緯もあり、未知のクラブではない。今季開幕から活躍できる可能性は十分ある。
 実力は日本トップクラスだが、オシム・ジャパンの初戦メンバーからは落選。再び頂点を目指すためにも、新たな刺激が必要な状況だった。セリエAは世界一過酷なリーグ。チャレンジの場としては申し分ない。
 ◆小笠原 満男(おがさわら・みつお)1979年4月5日、岩手・盛岡市生まれ。27歳。同市の大宮小3年時にサッカーを始め、大船渡高時代には全国高校選手権に2度出場。98年に鹿島に入団し、01年から5年連続でJリーグ・ベストイレブン。Jリーグ通算200試合46得点。02年3月のウクライナ戦で日本代表デビューし、通算53試合8得点。家族はかおり夫人と2女。173センチ、72キロ。
 ◆FCメッシーナ 1927年創設。南イタリア・シチリア島にあるチーム。2004~05年シーズンにセリエAに昇格。04年から柳沢が所属(今年から鹿島復帰)。昨季は18位でセリエB降格が決まっていたが、ユベントスが不正により降格したため、今季もセリエA。ピエトロ・フランツァ会長、ボルトロ・ムッティ監督。本拠地はスタディオ・サン・フィリッポ(4万200人収容)。
(2006年8月10日10時24分 スポーツ報知)

放映権のためだけにオファーを出してくるイタリアンマフィア。
こんな話に乗ってはならぬ。
中村俊輔も名波浩もそうであったが、セリエAの下位クラブは中盤を跳ばすため、テクニックで勝負する日本人のMFは活躍の場がない。
サイドで突破を活かすという逃げ道はあるが、選手の特性としては意味がない。
結局、中村俊輔も松井大輔もサイドに追いやられてしまっている。
走って巧い。
確かに悪くないポジションである。
だが、このクラブは柳沢敦を飼い殺しした過去があり信用が出来ない。
今回もこの時期にオファーというのもチーム作りからではなく明らかにマーケティングからである。
放映権料とユニの売り上げ。
確かに魅力的な収入源である。
観光目的で訪れる日本人も少なくないであろう。
そんなモノのために行く必要があるのかはなはだ疑問である。
それ以上にこの記事ガセとしか思えない。
「報知に真実無し」
最近の定説である。
踊ってはならない、踊らされてはならないのである。

中後離脱

2006年08月10日 | Weblog
中後雅喜選手の検査結果について
8月6日(日)上海国際サッカートーナメント 対 マンチェスターシティ戦にて右足を負傷しました中後雅喜選手は、8月9日(水)、都内病院にて精密検査を行い、下記の通り診断されました。
1.負 傷 名:右膝内側側副靭帯損傷
 (ミギヒザ ナイソクソクフクジンタイ ソンショウ)
2.全  治:約3週間

勝利の代償は小さくはなかった。
アウェイ浦和レッドダイアモンヅ戦での途中出場から頭角を現してきた中盤の秘密兵器。
ロングパスには定評があり、ミドルシュートも良い。
上記のレッヅ戦でもミドルを放ち、川崎フロンターレ戦でも2つのミドルは迫力があった。
今季序盤、フェルナンドの怪我でチャンスがあるかと思いきや登場したのは攻撃的MFコンバートされた増田誓志であり、篤人の不調時に右SBに起用されたのは後藤であった。
それほど力が及んでいないのかと不安に思わせていたのであるが、5月以降のリーグ中断時にそれまで力を蓄えていたかのように我等の前に現れたのである。
今でも守備に不安はあるものの、ナビスコ杯準々決勝2nd leg.アウェイのガンバ大阪戦では前半は本職のボランチとして後半は内田篤人に代わって右SBとして巧守の起点となった。
やはり攻め上がってのクロスやミドルは魅力である。
後半の触れば1点という低く速い弾道のクロスは他の選手に真似できるモノではないであろう。
この怪我をすることとなったマンC戦でも素晴らしい攻め上がりからダ・シルバへのパス・ダ・シルバのシュートのこぼれ球を本山が決め勝ち越している。
絶好調だったと言える。
好事魔多しとはこのこと。
とはいえ、ナビスコ杯もあり、連戦は続く。
3週間という短期間であったことを不幸中の幸いと考えるべきであろう。
名古屋戦には間に合うであろうし、9/2のナビスコ杯には勇姿を拝めると信じている。
待っているぞ、鹿島のペップ・グラディオーラよ。