yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

緑釉羊形硯をどう考える!の条

2011-05-29 12:49:59 | 歴史・考古情報《日本》-1 宮都
 ソフトバンクの孫さん、楽天の三木谷さん、両社長が相次いで興味深い発言をしている。

 孫さんは「電田」、三木谷さんは経団連脱退。

 もちろん二人とも名うての商売人だから、決して「清い心」だけで動いているわけではないことは明白だ。しかし、商売人が商売を考えるのは当たり前じゃないですか。死の商人として武器や原発を売るくらいなら、クリーンエネルギーを売ってどんどん儲けてもラッテ、それで雇用を創出し、海外に売り込み、改めて日本のクリーンな商売を世界中にやっていけばそれのどこが悪いというのですか。

 経済が麻痺するからといって、とんでもない事故が起こっているというのに、原発を容認し、未だに推進するといっている経団連の会長なんて即刻クビですよね。なんでもこの時期に関西経済連の会長が関電の社長になるとか?信じられない無神経!!三木谷さん、こんな金儲けしか考えない経済人の集まりなんかやめっちまえ!!


 とここで一息。


 例の斎宮で見付かったもう一つの資料。緑釉羊形硯について一言。

 これも発表者の評価が全く伝わってこないので、何とも言い難いのだが、私は今与えられている資料で思うことはこんなところだ。

 まず時期の問題だが、新聞では8世紀中頃のものだとされている。

 ホント??

 8世紀中頃に緑釉陶器なんて普通にあったっけ?なんでそれが8世紀後半に建設された方格地割の中から出るの?

 僕の常識では

 緑釉陶器は8世紀後半に作られた新型の土器。早ければ光仁朝、確実なのは桓武朝にそれまでの奈良三彩とは異なる思想の下に作り出された土器。だから方格地割から出たというのと何ら矛盾しない!

 ま、こうした私の「常識」は斎宮の伝統的研究者?に受け入れられていないことくらいよく知ってますから、別にどうでもいいことなんですが、しかし、それならこの矛盾をどう説明するんですかね。

 またぞろ、方格地割は8世紀中頃にできたとでも言い出すんですかね。まさか?

 そしてこれが出たところ、方格地割の東から四ブロック目、北から二ブロック目だとか。私は三ブロック目が斎宮寮の中枢部だと主張していますので、その直ぐ西隣ということになる(ちなみに斎宮歴史博物館では「神殿」のある空間だとか?)。だからこそこんな珍しい硯が出てくるのだ。

 ちなみにこの羊形件というのが、平城京や参河国府、地方官衙跡から出土している。珍しいことは珍しいのだが、先の唐三彩の陶枕のような超高級品ではないのだ。つまり地方の役人のトップクラスでも持てる品物なのだ。つまり斎宮で2個も出てもなんの不思議でもない資料ということになる。とはいっても初めての緑釉である。それはそれで注目しなければならない。当然斎宮寮の長官クラスだろう。

 そこで想像をたくましくして8世紀後半から9世紀初めくらいまでの斎宮寮の長官などを調べ見ると、

『続日本紀』によると天平18年8月23日に
壬寅。《廿三》置齋宮寮。以從五位下路眞人野上爲長官。

と出てくるから、長官は従五位下クラスということになる。ギリギリ貴族である。

また、天応元年正月朔日に斎宮寮の主典以上他に二階級を上げているから、長官のランクも正五位下に上がった可能性がある。

そして延暦四(785)年4月「丁亥《廿三》從五位上紀朝臣作良爲造齋宮長官。」と、造営の専門官である従五以上紀作良が方格地割の建設をする担当大臣に指名されるのである。紀作良は長岡京造営にも関わっており、斎宮の方格地割が長岡京の設計と大変よく似ているのは彼の設計によるのではないかと考えている。斎宮建設大臣がどこで指揮を執ったのか、完成後直ぐに都へ戻ったのかいずれも決め手がないが、三ヶ月後の7月には新しい斎宮寮長官従五位下賀茂朝臣人麻呂が任命されているので、別に住んでいたのであろう。賀茂朝臣人麻呂は延暦十(791)年までは長官を務めていた。

 その後は『日本後紀』なので史料に欠けることが多く、斎宮寮の長官の人事はほとんど判らない。
 『類聚国史』によれば、桓武天皇の斎王として派遣していた朝原内親王を急遽帰京させたのが平安京遷都直後の延暦十五(796)年で、おそらく安殿皇太子に嫁がせるためだと推定できる。この混乱を収めるためか、急ぎ伊勢太神宮に使者が使わされ、弁明に努めたらしい。続いて翌十六年、四月十八日、新たな斎王布勢内親王がト定されている。この時の斎宮寮の長官が残念ながら判らないのだが、緑釉羊形硯はこの頃の長官クラスが持ち込んだものではなかろうか。

 いずれにしろ、この硯の出土した辺りは当時8世紀後半から9世紀前半までの斎宮寮の長官クラスが執務した空間に違いない。


 こんな事を思う今日この頃である。

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