第4回長岡京歴史散歩開催の条

第4回長岡京歴史散歩ご案内
~東宮(第二次内裏)周辺を歩く~
 『続日本紀』延暦八年二月条に「西宮より移って始めて東宮に御す」と記す後期の内裏と離宮等を巡ります。多数のご参加をお待ちいたしております。



日時 2016年5月14日(土)13:00~15:00
集合 阪急西向日駅東口12:45集合・受付

コース
 13:00解説→第一次春宮坊跡→築地跡→第二次内裏正殿・東脇殿跡→後宮・登華殿・弘徽殿→内裏内郭築地回廊→第二次春宮坊跡→休憩旧東院跡→15:00解散、周辺の内膳町や木簡出土地、蓮池跡を遠望しながら、阪急西向日駅あるいはJR向日町駅へ向かう。

参加費資料代300円・雨天決行
【次回行事】第5回長岡京歴史よもやま話
「桓武天皇と母系~百済王氏と土師氏~」
・2016年7月16日(土)13時~15時 
・会場 西向日コミセン〈西向日駅西口徒歩5分予定〉
【次々回】第5回長岡京歴史散歩
 「桓武天皇遊猟~大原野、石作~」
 ・2016年10月22日(土)12:45阪急東向日駅西口集合

   長岡京歴史散策の会075-934-1684(古川)






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第3回長岡京歴史散歩~桓武天皇縁の地を歩く-1~開催の段

第3回長岡京歴史散歩
~桓武天皇縁の地を歩く-1~
ご案内

 桜開花の報せの届く今日この頃ですが、皆様にはいかがお過ごしでしょうか。
 第3回散歩は桓武天皇と縁の深い交野の地を巡ります。

 河内国交野郡(現・枚方市)には8世紀後半に建立された国の特別史跡百濟寺跡が所在しています。百濟寺は渡来系氏族の血を受け継ぐ桓武天皇によって厚遇された百濟王氏の氏寺です。薬師寺に似た伽藍配置を採り、金堂の前には東西二塔が配されました。
 百済寺・百済尼寺は、当初、天武朝・聖武朝難波宮の南面大門から真っ直ぐ南に延びる「難波大道」に沿って設けられていました。この地は摂津国百済郡に属し、660年の百済滅亡後、白村江の戦いで復興は果たせなかった同氏が倭国の拠点としたわ?のがこの地でした。近年の発掘調査によって細工谷遺跡の一角に尼寺が、その南東部に僧寺としての道ヶ芝廃寺が確認されています。
 ところが、長岡京遷都に際し、交野郡に移建されたとされています。桓武天皇は遷都の直前にこの地に行幸したことが知られていますが、新京の地を確認した上で、多数の百済王氏に叙位します。その後も10数度にわたって行幸・遊猟しており、交野の地はお気に入りの土地だったようです。特に二度にわたって祀られた「郊祀壇」は極めて中国的な祭事であり、交野の地に対する取り扱いが際立っていたことを教えてくれます。
 今回は、長岡京からはるか離れた地でありながら、その経営に深く関わっていた百済王氏の本拠地を訪ねます。
 多数のご参加をお待ち申しております。

日時 2016年3月26日(土)13:00~15:30(宮之阪駅改札口12:45受け付け開始)
集合 13:00京阪電車交野線宮之阪駅13:10→13:20禁野車塚古墳13:30→13:50百済王神社14:00→14:05特別史跡百済寺跡・トイレ休憩14:30→14:45禁野本町遺跡15:00→15:30京阪電車枚方市駅解散
参加費資料代300円・雨天決行
〈次期行事予告〉 ◇第4回長岡京歴史よもやま話「長岡京と世界の交差点」2016年4月23日(土)13時~15時 会場 長岡京市中央公民館 ◇第4回長岡京歴史散歩「東宮周辺を歩く」 2016年5月14日(土) 12時45分 阪急電車京都線 西向日駅東口集合〈主な予定コース〉 朝堂院東第四堂→築地跡→東宮(後期内裏)→春宮→宮城東大垣→南院→西向日駅
長岡京歴史散策の会075-934-1684(古川方)


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第3回長岡京歴史よもやま話

第3回 長岡京歴史よもやま話 ご案内



迎春



新春企画第一弾「長岡京木簡の魅力~輿と宮廷工房~」を開催します。



 長岡京跡では、1977年に向日市鶏冠井町から太政官の付属機関に関する木簡が発見されて以来、8世紀末の日本の政治・経済・文化・社会を知る貴重な資料が提供されています。今回は向日市民体育館の南にあたる左京二条二坊九町から出土した天皇が乗る輿の組み立て工房に関する木簡や、近接する東宮町推定地から出土した木簡や琥珀などの様々な遺物を取り上げ、当地一帯に展開した皇室の実生活を支えた工房群・宮外官衙町を通して、長岡京の特質についてご紹介します。ご友人などお誘い合わせの上、多数のご参加をお待ち申しております。



日時 2016年2月6日(土)13:00~15:00
会場 大山崎町歴史資料館(TEL 075-952-6288) 阪急大山崎駅徒歩1分、JR東海道線山崎駅徒歩5分
会場費・資料代 300円
行事案内「第3回長岡京歴史散歩~桓武天皇縁の地を訪ねて」
2016年3月26日(土)12:45京阪電車交野線宮之阪駅集合

     長岡京歴史散策の会075-934-1684
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 中山修一先生生誕100周年記念講演会「中山先生と長岡京研究」開催の条

 中山修一先生生誕100周年記念講演会「中山先生と長岡京研究」
開催にあたって

 長岡京は、かつて「幻の都、仮の都」と称され、その痕跡はほとんど遺っていないとされてきました。しかし、これに果敢に挑戦したのが中山修一先生でした。先生の研究を出発点に、長岡京は今や日本古代史研究に欠かせないものになってきています。
 中山先生がお亡くなりになって19年。この間、JR長岡京駅前の整備が進み、東海道線に桂川駅が、阪急電鉄京都線に洛西口駅と西山天王山駅が新設され、乙訓地域は京阪神を結ぶ交通の要所として益々人々の行き交う町へと進化しています。その淵源が、延暦三年(784)の長岡京遷都にあることは誰もが認めるところでしょう。2200回を超える発掘調査によって長岡京の実像は細部についてより鮮明になりつつあります。にもかかわらず、長岡京の全体像はまだ闇に包まれたままです。
 「生誕100年」という節目の年にあたり、今一度、長岡京研究の現状を確認し、将来に向かって課題を明らかにすることは意義深いことと考えます。中山先生が明らかにしたものは何だったのか、今日の研究にどのように活かされているのか、最新の研究成果によってどこまで明らかになったのかを考える場として、本講演会を企画しました。
 特に近年、初期平安京と長岡京との関係について、比較研究が求められており、同志社女子大学の山田邦和先生をお招きしてお考えを伺うことにしました。
 乙訓地域では、最近、向日市で大極殿院の発掘調査が進められ、正確な事実が獲得されました。長岡京市や京都市でも、長岡京右京西端及び郊外に位置する後期古墳から長岡京期の遺物が出土し、長岡京造営と古墳との関係解明に新たな資料が提供されました。果たしてこれをどう解釈するのか、新たな課題の出現でもあります。
 新しい100年に向かって、本講演会が第一歩を踏み出す契機になればと思っております。
   2015年11月22日  
NPO法人長岡京市ふるさとガイドの会・長岡京歴史散策の会




1 日時
 2015年11月22日(日)13時~17時 受付開始 12時30分 資料代300円(実費)

2 会場
 長岡京市中央公民館3階 市民ホール

3 式次第
 13:00~13:10  開会挨拶
 13:10~13:30  家族がみた中山修一の世界  中山忠彦(長岡京市中山修一記念館館長)
 13:30~14:50  長岡京研究の過去・現在・未来  山中 章(三重大学名誉教授)
 14:50~15:00  休憩
 15:00~16:00  長岡京から平安京へ  山田邦和 同志社女子大学教授
 16:00~16:55  ミニ座談会~中山先生と発掘現場
         パネラー 山中 章・山田邦和・中山忠彦・二市一町発掘担当者
 16:55~17:00  閉会の挨拶 別所昭 (長岡京市ボランテアガイドの会代表)

4 主催・共催・後援

 主催 NPO法人長岡京市ふるさとガイドの会 理事長 別所 昭
    長岡京歴史散策の会 代表 山中 章
 後援 長岡京市教育委員会・向日市教育委員会・大山崎町教育委員会・京都新聞・日本経済新聞



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第2回講座長岡京歴史よもやま話「長岡京の風呂と世界の風呂」開催の条

  第1回 講座長岡京歴史よもやま話は「トイ」がテーマでしたが、今回のテーマは「風呂」です。

 風呂もトイレも現代人には欠かせない生活必需施設ですが、その起原や変遷については意外と知られていません。ところが長岡京跡からは現状で日本最古の風呂遺構が発見されているのです。向日市寺戸町に所在する宝菩提院廃寺の発掘調査で発見された遺構です。宝菩提院廃寺は壬申の乱後、山背地域を代表する白鳳寺院として王権によって建設されました。この寺域の東辺部から発見されたのが日本最古の風呂跡です。見事な石敷きを伴う遺構はなぜか史跡に指定されることもなく開発が行われ、の大半は失われてしまいました。某国家機関担当者の無責任な一言「こんなもんどこにでもある」という発言が決め手になり処理されてしまったものです。国私は、長屋王邸の破壊、長岡京東院の破壊と並ぶ日本古代宮都関連遺跡の破壊だと考えています。今でもその悔しさは忘れられません。

 もっとも、その責任は某担当者一人だけにあるのではなく、日本の歴史考古学研究者、担当者の実力の結果だとも思っています。その点についてはいずれ別にお話しするとして、今回の「よもやま話」の概要をご紹介し、31日の講座へのお誘いを申し上げたく思います。

 実は私は、この遺構を見て直ぐに「なんと素敵な風呂が日本古代にあるものだ」と感激した一人です。残念ながらその後の本遺構の分析はなぜか建築史学の研究者に委ねられ、特定の解釈が与えられて今日に至っています。どうして遺跡を検出した考古学の発言がほとんど無いのか、不思議なのですが、ま、そこには私の力の及ばない特殊な事情があるのでしょう。そこでより広い視点から長岡京跡発見の風呂遺構を分析、評価するために諸外国の遺構を収集、分析することに致しました。

 その結果、世界の風呂文化には四種類あり、長岡京のそれは日本独自の「風呂観」に基づく極めて特異な構造、文化に基づくものであることに気づきました。今回の講座の主要テーマはこれです。

 風呂の歴史は、自然に湧く温泉を除くと、今のところ、フェニキア人の手になるケルクアンの風呂が最古の例のようです。フェニキア人の風呂は現代日本の風呂に酷似しています。人一人が入れる浴槽を設け、内部には腰掛け用の段差も設けられていました。おそらくお湯を溜め、浴槽に入って身体を温めたり洗浄したのでしょう。ケルクアンには各家に一基程度この設備が設けられていたようです。集団用のものもあり、それらは家に風呂のない人々が使用シアノかも知れません。なぜこの風呂構造がローマに受け継がれなかったのか、とても興味深いテーマです。

 フェニキア(カルタゴはその一部)を制圧したローマ人も新しいローマ時代のカルタゴに大規模な風呂を造ります。しかしその構造は、首都ローマで開発された「サウナ式」のものでした。密閉された室内に供給された高温の湯から発生する蒸気によって部屋を暖め、発汗させる構造で、現代のサウナ風呂そっくりでした。風呂好きなローマ人は征服した各地の支配拠点にも必ず風呂を建設し給水のための水道施設と共にローマの象徴となりました。近年はヤマザキマリさんの「テルマエロマエ」という漫画が大流行し、その存在は広く知れ渡ることになりました。しかし、日本を良く検討してみると風呂遺構は少なく、奈良・平安時代では宝菩提院廃寺のものが唯一です。その上、遺構を詳細に検討すると、当該風呂は湯を浴びるスタイルのもので、ローマのそれや近世に発展する岩風呂でもありませんでした。極めて独自性の高い風呂文化が宝菩提院廃寺の風呂遺構によって初めて確認でき、世界の風呂と比較することが可能になったのです。
今回の「よもやま話」では、こうした風呂文化を比較し、日本の風呂文化の変遷についてもご紹介します。

 なお、開催場所は、第6向陽小学校へ行く途中に桓武天皇皇后藤原乙牟漏高畠陵がありますが、その東隣に所在する「寿恵更紗ミュージアム」です。添付の地図などを参考においで下さい。


 第2回長岡京歴史よもやま話~長岡京の風呂と世界の風呂~ご案内

 仲秋の候、皆様にはいかがお過ごしでしょうか。第2回よもやま話を「風呂」をテーマに開催します。長岡京跡では、現在のところ日本最古の風呂跡が宝菩提院廃寺の一角から発見されています。見事な石敷きの湯浴み場を供えた例を見ない施設です。なぜ宝菩提院廃寺からなのか、風呂好きと言われる日本人ですが、世界の民族の風呂はどんな施設なのか。比較して考えてみたいと思います。修了後宝菩提院廃寺風呂跡の現地を見学します。



日時 2015年10月31日(土)13:00~15:00

集合 寿恵更紗ミュージアム(TEL 075-934-6395 第六向陽小、桓武天皇皇后陵の東) 阪急東向日駅徒歩15分或いは阪急バス東山バス停から徒歩5分.阪急東向日発66系統善峰寺行き12:42→東山12:50着)

【次回行事案内】「中山修一先生生誕100年記念特別講演会」2015年11月22日(日)長岡京市中央公民館3階市民ホール 

  長岡京歴史散策の会075-934-1684



寿恵更紗ミュージアム地図
http://map.yahoo.co.jp/maps?lat=34.94873900&lon=135.69829550&ac=26208&az=&z=13&id=&fa=pa&ei=utf8&p=%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%BA%9C%E5%90%91%E6%97%A5%E5%B8%82

地図中の「NPO法人日本燦クラブ」=寿恵更紗ミュージアム


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第2回長岡京歴史散歩報告の条

  2015年9月26日(土)晴れ。何とか雨の予報を振り切って暑くもなく、寒くもない絶好の散歩日和となった第2回長岡京歴史散歩。

 見学コースは 西山天王山駅→長岡京右京造酒関係遺跡→恵解山古墳→トイレ休憩(勝竜寺城跡)→長岡京西市・西市町跡→塚本古墳群・開田遺跡→阪急電車長岡天神駅 で実施しました。

 広報が十分ではなく、参加者の数を心配しましたが、前回とほぼ変わらない、41人の参加を得ました。
 
 ここでは見学の様子を写真で報告いたします。その気になって「歩いて」見て下さい。

 阪急電車西山天王山駅改札口集合。事前に下見をしたにもかかわらず、私の思い込みで、改札口が2箇所あることを知らず、何人かの方から御指摘を受けました。申し訳ありませんでした。これも18年ぶりの乙訓と言うことでしょうか。

 

 少しバタバタしましたが、一応予定通り、13時には本日のコース説明を始めることができました。

 

 旧西国街道を北に向かって歩きました。少しこの辺りの説明資料が必要だったかなと反省材料です。

 

 最初の見学地は、現在立命館中・高等学校の敷地となっている長岡京右京八条二坊七町で発見された造酒関係遺構の宅地です。
 説明板が歩道に面して置かれているので、これだけの数だとなかなか説明板の前にはこれません。

  

 予め長岡京市史資料編一から写した資料を配布しましたのでこれを見て頂きながら説明しました。

 


 同校校門付近は西二坊坊間小路が通る計画だったと考えられています。その両側溝の位置が復元的に表示されていました。

 

 たまたま当日は同校の文化祭で一般に公開されていましたので、建物の中に入ることができました。中庭には近世の濠の跡が保存され、その説明が建物内部に記されていました。
 

 

 学校の前の道を数分東へ歩くとJR東海道線を跨ぐ歩道橋があり、ここから次の見学地、恵解山古墳が見渡せます。

 

 後円部の西北からの全景です。

 

 恵解山古墳では、たまたま参加されていた発掘担当者からの生の説明を伺うことができました。前方部西側の造り出しを前に説明です。西造り出しと東造り出しとでは規模も形も埴輪の配置方法や種類も全く異なると言うことでした。

 

 西造りだしはこのように方形で円筒埴輪や朝顔形埴輪が整然と並んでいます。
 

 

 階段を昇って墳頂部へ上がると、そこには武器埋納坑が復元されていました。発見当時何度も見学に訪れましたが、中でもこの写真をお撮りになった京都大学の技官・故高橋猪之介さんの写真の技術には感嘆したものでした。

 

 こうした恵解山古墳が大和王権とどのような関係にあった人物のものなのかという点についても詳しい説明がありました。墳形の相似形から佐紀盾烈古墳群の一つコナベ古墳との関係が検討されているらしい。コナベ古墳は5世紀前半に位置付けられる古墳で恵解山古墳もほぼこの時期に相当Uるのではないかということです。

 

 恵解山古墳は長岡京の造営とも深く関わっている。ほぼ墳丘の中心が七条大路と西一坊大路の交差点に相当するのです。このことを以て長岡京がこの地に及んでいなかったとする見解もあるらしいのですが、古代日本都城内には複数の巨大前方後円墳があることが知られています。また、あるものは宮城の造営に障害があるため破壊されたり(神明野古墳)一部削平され(市庭古墳)ています。長岡京内でも破壊されたものと破壊されなかったものがあり、その基準は明確ではありませんが、それぞれの時期にそれなりの基準があったように思えます。
 恵解山古墳は大路の交差点でありながら破壊されなかったのは、或いは当該こふんについての何らかの「資料」があったのかも知れません。コナベ古墳との相似形はそうした課題を解く鍵になることでしょう。

 
 
 前方部から東側へ回り込み、東造り出しを経て次の目的地へ向かった。

 

 予定では勝竜寺城を少し見学することにしていましたが、時間が逼迫していましたので、トイレ休憩だけして次に向かいました。

 

 大きく西へ方向を変え、西市の可能性を初めて知らせてくれた「自司進・・・」木簡の出土した乙訓高等学校の北側のマンション建設地に回りました。

 

 左頁右下の木簡がそれです。裏に「三年十二」とありますので、延暦三年十二月、即ち遷都直後の木簡である可能性が高いものです。
 

 さらに北へ進んで、西市の周辺に展開した工房の一つ、桜の樺を大量に出土した地点を見学しました。私はこの地点が西市で販売する曲物を大量生産していた官営工房の跡だと考えています。

 

 最後に現在発掘調査中の現場を見学して解散しました。奇跡的に予定した時間通りに終了しました。
 参加の皆様お疲れ様でした。

 
 
 〈次期行事予告〉

 ○ 第2回長岡京歴史よもやま話「長岡京の風呂と世界の風呂~風呂の構造と習慣~」2015年10月31日(土)13時~15時 会場 向日市寺戸町寺山12-1寿恵更紗ミュージアム(TEL  075-934-6395) 

長岡京歴史散策の会075-934-1684
 ○ 中山修一先生生誕100年記念特別講演会 「中山修一先生と長岡京研究」
 2015年11月22日(日) 12:30受け付け開始 17:00終了予定
 長岡京市中央公民館3F市民ホール
 講演 中山忠彦「家族がみた中山修一の世界」
    山中 章「長岡京研究の過去・現在・未来」
    山田邦和「長岡京から平安京へ」

 ○ 第3回長岡京歴史散歩「桓武天皇のルーツを探る-1 百済王氏と山部親王」
   2016年3月26日(土)12時45分京阪電車 交野線宮之阪駅集合16時解散
  〈主な予定コース〉 百済王神社→百済寺跡→禁野本町遺跡


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第2回長岡京歴史散歩開催の条



第2回長岡京歴史散歩~長岡京右京を歩く-1~


    ご案内
 初秋の候、皆様にはいかがお過ごしでしょうか。第2回散歩を右京の西市やその周辺に展開する市関連施設、造酒施設跡、七条大路と西一坊大路交差点付近に残る恵解山古墳など、発掘調査によって初めて明らかになった右京の遺跡を巡ります。多数のご参加をお待ち申しております。



日時 2015年9月26日(土)13:00~15:30
集合 阪急電車西山天王山駅改札口12:45

見学コース 西山天王山駅→長岡京右京造酒関係遺跡→恵解山古墳→勝竜寺城跡→長岡京西市・西市町跡→塚本古墳群・開田遺跡→阪急電車長岡天神駅

参加費無料・雨天決行・熱中症対策にご留意下さい。

〈次期行事予告〉
第2回長岡京歴史よもやま話「長岡京の風呂と世界の風呂~風呂の構造と習慣~」2015年10月31日(土)13時~15時 会場 向日市寺戸町寺山12-1寿恵更紗ミュージアム(TEL  075-934-6395) 

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多くの方のご参加をお待ち申しています。

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「長岡京歴史よもやま話」 第1回を開講しますの条

長岡京歴史散策の会では、長岡京歴史よもやま話 を開講します。

 日本古代の王宮・王都の歴史や考古学の最新調査と研究の成果をスライド写真等でわかりやすく解説します。東アジアの王宮・王都との比較、世界の都市文化との比較などについても折に触れて紹介していこうと思っています。最新の発掘調査情報の解説も行っていきます。

 
 第1回よもやま話

 「長岡京と世界のトイレ」

人間社会には不可欠なトイレは、近年生物学からの方法論の提示により、その空間を 特定することが可能になり長岡京内からも発見することができました。世界のトイレ文化を視野にトイレを考古学します。

 ・日時 2015年8月4日(火) 10時~12時 
 ・会場:中山修一記念館(下図参照)
  阪急電車京都線西山天王山駅から東へ徒歩15分


 イギリスヨークのバイキングセンターのトイレ展示。近づくと臭いまでする!!


 イタリアポンペイの道路には下水も流されており、あまり清潔出はなかった。両側の歩道を行き来するためにステップストーンが配置されていた。


 中国洛陽東面に開いていた建春門の跡付近にあった現代のトイレ。


〈今後の予定〉

第2回長岡京散歩 ~長岡京の西市周辺を歩こう~

 2015年9月26日(土)12時45分阪急西山天王山駅東改札口集合
 中山修一記念館-恵解山古墳と長岡京条坊跡-長岡京造酒関係遺跡(現立命館中・高等学校)-西市周辺(「金銀帳」木簡、「自司進」木簡出土地・現乙訓高等学校周辺)-15時30分解散

第2回よもやま話 「長岡京の風呂と世界の風呂習慣」

 現代の日本人家庭にはお風呂があり、毎日のようにお風呂に入る。しかし、こうした習慣が始まったのもつい最近のことであり、わずか半世紀前まで、家庭に風呂はなく、銭湯を使うことが大半であった。日本人の風呂好きはローマ人と比較されることが多いが、歴史資料は意外なことを教えてくれる。
2015年10月17日(土) 13時~15時 
会場:向日市寺戸町寺山 寿恵更紗ミュージアム 参加費100円

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長岡京歴史散策の会 ブログにも同文を公開しました。是非そちらにもアクセス下さい。


中山修一記念館地図


寿恵更紗ミュージアム地図

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40年ぶりの歯医者の条

 金曜日に歯医者に行ってきました。40年ぶりの元職場でした。
 すっかり変わっていて、なんと治療台の椅子の前には大きな画面があり、洋画が流れていました。



 私が技工士見習いをしていた頃はもちろんそんな気の利いた診察台なんてありませんでした。上から何本も延びた「ドリル」をみた途端泣き出す子供もいた時代でした。診察室の奥に薄暗い技工室があり、次々と運ばれてくる歯形に石膏を流すのが主な仕事でした。時々レントゲンを写す所作があり、直ぐに現像に回されてきました。仕事に慣れてくると削られた虫歯治療のための穴に蝋を入れ、金歯の原形を造る仕事が回ってきました。原形ができるとこれを耐火材に埋め込み、遠心力を利用して金を溶かし込むと「金歯」のできあがりです。先日は技工室まで覗くことはできなかったのですが、きっと近代化されていることでしょう。次回には是非覗いてみたく思います。

 歯医者に何しに行ったのか?って、そりゃ「治療」ですよ。

 とはいってもはっきりどこかが悪いわけではなく、時々物を思い切り噛むと奥歯がぐらついたような感じになったり、少し痛みを感じたりするので、最新設備に変えたという従兄弟の息子さんのやる歯医者の見学がてら行った次第なのです。私が仕えた叔父はもう他界し、従兄弟も最近完全に息子に譲って引退。果たして息子の腕は??という関心もあって予約を入れた次第なのです。

 住居も全て建て替えたので、どこが入り口かも判らずウロウロ。受付で聞いてやっと従兄弟の住む建物へ。この辺りもすっかり変わって面影はほとんどない。雑談をするうちに予約時間が来て診察室へ。
 息子さんは立派な歯医者になっていて、とても手際いい。その上、とても優しい。これなら患者もようけ来るに違いない。密かにそんなことを思いながら診察台へ。おそるおそる口を開けると診察開始。例の鏡やらを使って歯の状態をチェック。そしてレントゲン。と一通りの手順を踏むと診断。なんと目の前にモニターがあって、今撮ったばかりの口内の写真が提示される。

 少々不安な気持ちで診断結果を聞く。

 「きれいな歯ですね!」
 「これで40年以上は医者に来たことがないとは信じられん!」
 恐る恐る
 「虫歯は?」と聞く。
 「一本もありませんよ。本当にきれいな歯ですね。」
 (内心ホッとする)
 「ただ、少し歯石が溜まっているので、それのチェックと除去の予定を考えましょう」
 ということで次回に本格的な歯石除去の「治療」が始まることに。暫く待っていると、「時間ができたので少し前歯の歯石だけ取っておきましょう」ということになり、最新の機械で今度は若い歯科衛生士のおねえさんに歯石の説明と除去をやって頂く。

 ということで40年ぶりの歯医者での診察結果は①32ほんの歯全てに虫歯無し、②歯周病も問題なし、③前歯6本に歯石が多いが、後は簡単に処置できる、ということで無事終了。

 なんといっても虫歯無し!!はすばらしい。歯医者さんに褒められたのだからこれまた嬉しい。ま、ご存じの方はご存じかも知れませんが、私はこうした経歴もあり、いつもポケットに歯ブラシを入れ、いつでもどこでもすぐ磨く習慣がある。なんといっても学生には有名で、還暦のお祝いはナナナント、歯ブラシ60本だった!!(笑)

 というわけで、このまま歯磨きを励行すれば、火葬場でも焼き上がった骨にはきれいな歯だけが残るかも知れない。(笑)

 皆さんも食べたら磨く、丁寧に磨く、自分の舌で汚れをチェックしながら隅々まで丁寧に磨く。これを怠らないで下さいね。

 66歳10ヶ月まで虫歯0とは素晴らしいと思う人はこいつをポチッと押して下さいね→人気ブログランキングへ


 なお、従兄弟の歯医者は長岡京市花山に所在し、直ぐ近くに長岡天神の八条が池が広がるとても閑静な住宅街。お近くで歯に問題が起こればご利用下さい。先生は男前で優しいですよ。









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第1回 講座「長岡京歴史よもやま話」開講の条

 長岡京歴史散策の会の事業第二弾として「講座 長岡京歴史よもやま話」が開講されます。
 この講座は、日本古代の王宮・王都の歴史や考古学の最新調査成果及び研究成果をスライド写真等でわかりやすく解説する企画です。
 長年、三重大学にて日本考古学や東アジアの比較考古学を講義してきた山中が、主に1・2年生を対象に行ってきた考古学入門講義を基礎に、長岡京など奈良・平安時代の歴史について写真や図表を中心にお話しする講座です。大学での講義でも時に応じて行ってきた最新の考古学関係ニュースの解説も行っていきます。また、東アジアの王宮・王都との比較、世界の都市文化との比較などについても折に触れて紹介していこうと思っています。

 例えば、5月22日の新聞各紙は奈良文化財研究所の小田裕樹さんの最新の研究成果「奈良時代の盤上遊戯に関する新知見」という発表を大々的に伝えました。そこで、7月1日に三重大学で子なった教養教育での日本考古学Aの授業では公表された資料をパワーポイントにまとめこんな授業をしました。その一部です。 





















以下、現代のユンノリの遊び方の紹介、古代の「カリウチ」と呼ばれた遊びに用いられた用語が『萬葉集』に取り込まれているという小田さんの指摘などを紹介しました。



その上で、正倉院に残されている囲碁、双六、投壺などの遊びに関係する宝物を紹介し、中国の石像からみられる遊び方の紹介なども行いました。また、事などの音楽が魂を振るわせる祭祀行為に始まること、このため、弥生時代の遺跡や前期古墳の副葬品に琴や琴柱が出土することなども確認しました。また、独楽も魂を奮い立たせる祭祀道具が後に子供達の遊びとなる事例なども資料を基に確認しました。
 
 こんな感じの授業の一端をお話しする企画で、第1回はトイレがテーマです。
 最新のトイレ研究の成果を通して日本の古代社会がいかなる状態であったかを解説します。
 なぜいきなりトイレか、て?。それは聞いてのお楽しみにして下さい。

 講座 長岡京歴史よもやま話
 第1回 「長岡京と世界のトイレ」
   人間社会には不可欠なトイレは、近年生物学からの方法論の提示により、その空間を特定することが可能になり長岡京内からも発見することができました。世界のトイレ文化を視野にトイレを考古学します。

 ・日時 2015年8月4日(火) 10時~12時 会場:中山修一記念館(阪急電車西山天王山駅下車徒歩15分)

予告
 第2回 「長岡京の風呂と世界の風呂習慣」
 現代の日本人家庭にはお風呂があり、毎日のようにお風呂に入る。しかし、こうした習慣が始まったのもつい最近のことであり、わずか半世紀前まで、家庭に風呂はなく、銭湯を使うことが大半であった。日本人の風呂好きはローマ人と比較されることが多いが、歴史資料は意外なことを教えてくれる。
 ・日時 2015年10月予定  10時~12時 会場:未定

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長岡京歴史散策の会が立ち上がりましたの条

 「長岡京歴史散歩」と「講座 長岡京歴史よもやま話」を二大事業とする会を立ち上げました。
 長岡京歴史散策の会の公式ブログ(ホームページ)にもアップしました。興味のある方は是非ご参加下さい。
 
 長岡京歴史散策の会

 と名付けました。まだ親しい仲間と立ち上げた会ですので、仲間のお家に集まって代表を私が務め、事務局長と顧問を決めただけですが、これからさらに仲間を募って、近い将来NPO法人にでもできればなと思っております。

 以下が、発足にあたって作成した「趣意書」です。

 「長岡京歴史散策の会」発足にあたって

 Ⅰ 趣旨
 
 2015年(平成27)は、長岡京跡の発掘調査が始まって60年、長岡宮跡に初めて鍬を入れた中山修一先生生誕100年という記念すべき年にあたります。発掘調査はすでに2200回を超え、得られた成果は膨大な量に上ります。そこで、長岡京を調査、研究してきた者が、その成果を分かりやすく解き明かす会を発足します。気候の良い時期には発掘調査現地を訪ね、それ以外の季節には、資料や写真で成果に迫ります。時には中国や朝鮮など、東アジアの王宮・王都とも比較してみます。世界の都市文化との比較も参考になるでしょう。多彩な事業を通して地域を愛する人々が気軽に集う場を提供し、長岡京の歴史に親しむことを目的に活動します。

Ⅱ 事業
 
 二つの事業を中心に活動を展開します。

 1 長岡京歴史散歩

 ①趣旨
 現在のシステムでは、発掘調査が終了すると調査地は埋め戻され、新たな施設が建設されて調査によって発見された遺物や遺構がいかなる状態であったかについてはほとんど知ることができません。そこで、調査に携わった専門家によって、長岡京跡の発掘調査地点を中心に、関係遺跡、関連社寺、資料館などを巡り歩き、その意義を学びます。
 ②参加費
 資料代(その他に有料施設の見学に要する費用等実費負担をお願いします。)
 ③開催
 3・5・9・11月第四土曜日を予定 
 案内 当面は山中 章(三重大学名誉教授)が務めます。
     案内人に参加していただける方を募集中です。

 2 講座 長岡京歴史よもやま話
 ①趣旨
 日本古代の王宮・王都の歴史や考古学の最新調査成果及び研究成果をスライド写真等でわかりやすく解説します。東アジアの王宮・王都との比較、世界の都市文化との比較などについても折に触れて紹介していこうと思っています。最新の発掘調査情報の解説も行っていきます。
 ②開催
 2・4・6・8・10・12月を基本に予定しています。10時~12時二市一町の公共施設を巡回する予定です。

 Ⅲ 運営

 ・ 事務局:会の運営、企画・立案のために事務局を置きます。
 ・ 事務局 〒617-0002 向日市寺戸町中野4-1
   代表   山中 章(三重大学名誉教授)
   副代表 1名・ 事務局長 1名・ 顧問 複数名
   所在地 612-0877 京都市伏見区深草僧坊町96-3 山中 章 電話/FAX 075-642-3424
 ・ 広報
   長岡京歴史散策の会ホームページ
   URL  http://blog.goo.ne.jp/ngaokakyourekisisannpo
   メール nagaokakyourekisisannpo@gmail.com
 ・ 原則ボランテア活動です。会費は徴収しません。現地見学や講座開催に伴う実費はその都度徴収し、事業運営します。

 Ⅳ その他

 ・ 完全なボランテア活動ですので、応援して下さる方を募集中です。

 Ⅴ 2015年度事業計画

 Ⅰ 長岡京歴史散歩事業
   1) 第1回:大極殿周辺を歩いて長岡京の魅力を探る  実施済み
    ・2015年5月30日(土) 12時45分 阪急電車京都線 西向日駅西口集合
〈主なコース〉 朝堂院南門→西第四堂→西第三堂→嶋院→長岡宮西大垣→向日神社→元稲荷古墳→西宮(前期内裏)→大極殿・朝堂院→西向日駅

2) 第2回:西市を歩く
   
   ・2015年9月26日(土) 12時45分 阪急電車京都線 西山天王山駅集合
〈主な予定コース〉 西山天王山駅(本日の見所解説) → 長岡京造酒遺跡(立命館中・高等学校)→ 恵解山古墳 → 中山修一記念館 → 勝竜寺城跡・神足遺跡 →  長岡京西市周辺(乙訓高等学校)周辺)→ 開田遺跡 → 16:00阪急電車長岡天神駅解散予定

3) 第3回 桓武天皇のルーツを探る-1 百済王氏と山部親王

 
  ・ 2015年11月28日(土)12時45分京阪電車 交野線宮之阪駅集合15時30分解散予定
〈主な予定コース〉 京阪電車交野線宮之阪駅(全体説明)→禁野車塚古墳→百済王神社→百済寺跡→禁野本町遺跡→京阪電車宮之阪駅解散

4) 第4回 東宮(後期内裏)周辺を歩いて長岡京の変化を感じる
  
  ・ 2016年3月26日(土) 12時45分 阪急電車京都線 西向日駅西口集合(朝堂院西第四堂跡ガイダンス施設)
〈主な予定コース〉 朝堂院東第四堂→朝堂院東第四堂跡→築地跡→東宮(後期内裏)→春宮→宮城東大垣→南院→西向日駅

Ⅱ 講座 長岡京歴史よもやま話事業
 1) 第1回 「長岡京と世界のトイレ」
   人間社会には不可欠なトイレは、近年生物学からの方法論の提示により、その空間を
  特 定することが可能になり長岡京内からも発見することができました。世界のトイレ
  文化を視野にトイレを考古学します。
 ・日時 2015年8月4日(火) 10時~12時 会場:中山修一記念館(阪急電車西山天王山駅下車徒歩15分)

 2) 第2回 「長岡京の風呂と世界の風呂習慣」
 現代の日本人家庭にはお風呂があり、毎日のようにお風呂に入る。しかし、こうした習慣が始まったのもつい最近のことであり、わずか半世紀前まで、家庭に風呂はなく、銭湯を使うことが大半であった。日本人の風呂好きはローマ人と比較されることが多いが、歴史資料は意外なことを教えてくれる。
 ・日時 2015年10月予定  10時~12時 会場:未定

 3) 第3回 「飛鳥宮誕生」
 日本の古代国家が王権の中枢部に置いた王宮の実態が明らかになるのは6世紀末のことである。「飛鳥宮」と総称される6~7世紀の王宮が長岡京とどのような相違点、共通点を持つのか、日本古代の初期王宮の姿を確認する。  
 ・日時 2015年12月予定  10時~12時 会場:未定

 4) 第4回 「世界の都市と比較する-1~フェニキア都市と長岡京~」
 かつて平城京や長岡京は都市ではないという議論があった。都市の概念は東西で相当の違いを見せるように見えるが、実態はどうなのか。都市発祥の地とされる地中海地域の都市を見ながら長岡京と比較してみる。
 ・日時 2016年2月予定  10時~12時 会場:未定

>Ⅲ 中山修一先生生誕100年記念特別講演会
  中山修一先生は1915年(大正4)Ⅶ月19日、当時の乙訓郡新神足村にお生まれになり1997年4月30日、81歳でお亡くなりになるまで長岡京一筋に調査・研究に努められて参りました。先生の生誕100年を記念した講演会を開催しようと考えています。詳細は後日お伝えしますので、ご参加頂きますようお願い申し上げます。
  ・日時 2015年10~11月 会場未定
  ・講師 未定
  ・共催 長岡京市ボランテアガイドの会(予定) 

こんな形で少しずつ進めていこうと思っております。お近くにお住まいで興味をお持ちの方はご参加下さい。
なお、各事業の詳細は今後、この公式ブログ(ホームページ)を使ってお知らせして参ります。

 引き続き第1回 講座 長岡京歴史よもやま話の詳細をご案内いたします。しばらくお待ち下さい。

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愛宕念仏寺羅漢さんお参りの条

 昨日は久しぶりの10年会でした。それに先立ち、10年会の中心だった故安藤栄里子さん作の羅漢さんの眠る愛宕念仏寺にお参りしてきました。

 お姉様のお話にユアと、もう三五年ほど前、愛宕念仏寺の復興を市民と共にと願った再興者西村公朝さんが五百羅漢を市民に彫ってもらって境内に置こうと考えられた。その公募にいち早く賛同されて参加されたのが安藤栄里子さんのお母様。ところが素人が石仏を彫るのは結構な難関。助けに入ったのが当時まだみんな元気だった三兄姉。まだ小学生だった栄里子さんも参加してできたのが以下の羅漢さん(どれか判りますか?)。

 愛宕寺は元々山背国愛宕郡に称徳天皇によって建立された寺だという。ところが当初の伽藍は鴨川の氾濫によって流失し、平安時代前期後半に千観によって六波羅付近に再建された寺に源を発する。ところがこれもいつしか廃寺と化し、ほとんどその偉容を失っていた大正11年に現在の地に移されたのだという。しかしその再興もうまくいかず、再び荒れていたのを、三十三間堂千手観音の仏像修理他全国の国宝級仏像の修理を手がけ、後に僧侶となった西村が、清水寺貫主大西良慶の勧めで再興にあたったのが今日の姿だという。

 たまたま日曜日は長く続いている十年会の久しぶりの集まりである。聞くところによると、十年会を引っ張ってきた故安藤栄里子さんがこの寺に羅漢さんを埋納したと聞く。そこで始まる前にお参りに行こうと言うことで有志で参ったのであった。

 事前にメンバーでもある安藤操さんに場所をお伺いしておいて、お寺へと向かった。

愛宕念仏寺の山門


説明板


本堂とその前に並ぶ羅漢さん達


安藤さんから事前に写真はもらっていたのですが、いざ来て見るとなかなか見つけられない。ウーンこの辺りなんだがなー・・・・


目標になるのが首をかしげた三列目の羅漢さんだというのでそれを探す。
どれもよく似ていてなかなか見つけられない・・・。オッツこれは似てる。首をかしげている左隣がそれだというからこれかな?!


 山裾にあるので、どれも山水の浸透で苔むしているのでなかなか判らなかったがついに突き止める。頭の苔は髪の毛のようなので残し、お顔をきれいにすることに。手で少し苔をむしり、カビのような苔も取っていくと眉毛や口、目のラインが何となく浮かび上がってきた。そこで奥の手?を。背広のポケットから出したのが例の歯ブラシ。たまたまもう棄てようかと思っていた歯ブラシと使用中の歯ブラシ二本があったので、その一本を使うことに。
 「安藤さんご兄姉、ごめんなさいね。」こうお詫びしながらゴシゴシ。
最後はお線香を捧げてお祈り。
 

 山際にない羅漢さんはこの通り。背中に彫られたお名前も読める。


本堂側から見ると。


再興した西村公朝さんのお墓。羅漢さんを上から眺めておられる。


 鐘をついて、お参りを済ませ、降りてくると丁度バスがいったところだったので、少し歩くことに。当日はとても蒸し暑くて、途中で休憩することに。嬉しいことにいちごのかき氷があった。躊躇なくこれを選択。美味かった。蜜の味は昔と全く変わらないが、少し違うのは上にミカンの缶詰から取ったミカンが数きれ乗っていること。そして中程にアイスクリームが仕込まれていること。だから贅沢なのだ。食べ終わる頃には身体が冷えてきて、大急ぎで外へ。
 

苔茂る羅漢の眉を刻む妹

愛宕から移りし羅漢苔茂る

妹たちの刻みし笑顔苔の花

五百羅漢 苔茂って妹が貌

 結局下まで歩くことに。久しぶりに清涼寺の境内を歩いてバス停へ。


 バスは道が混んでいて時間がかかったが無事十年会会場へ。本日は高級焼き肉。朧谷先生は体調を考慮して魚コース。ちょっと心配したが、この後いつもの二次会へ。終わったのが23時頃。でも事前に頂いた安藤薬局の漢方薬のお蔭で朝まですっきり。二次会にて。
 

 二次会が終わって出ようとすると山田博士が猛然と二回まで駆け上がる。何事かと思うと、二階の廊下でこんな展示が行われていた。もちろん全部レプリカなのだが、ホテルのロビーにこんな展示はとても珍しい。

 懐かしいガラス製釧


鏡のレプリカや環頭大刀まで。


何とも充実した一日となった。

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犬山市木之下城伝承館・堀部邸見学の条

 一昨日は犬山市にある堀部邸を見学してきました。
 特定非営利活動法人 古代邇波の里・文化遺産ネットワーク (赤塚次郎さん代表)が管理・公開する武家風屋敷です。明治初期(1883年)に財をなした堀部勝四郎が武家屋敷風の建物として建築した施設だという。その後離れなどの施設が付属増築されて現在にいたり、暫く管理が十分でなかったために荒れ放題であった施設を上記法人・通称「ニワ里ネット」が再整備を行い、今年から管理、活用することになったという。

 三重大学の卒業生がニワ里ネットの学芸員として勤務しており、以前から一度見に来るようにとの誘いを受けていたのが実現したものだ。

 6月3日オープンに会わせて紹介された朝日新聞の記事( http://www.asahi.com/articles/ASH5052VQH50OBJB003.html )によると以下のような特長があるらしい。
 
 犬山市にある国の登録有形文化財「旧堀部家住宅」が生まれ変わった。NPO法人が運営する「木之下城伝承館・堀部邸」として再始動し、一般公開も始まった。織田家の居城で、国宝犬山城の前身とされる木之下城を核に、町の新たな情報発信拠点を目指す。

 堀部邸は、犬山藩主成瀬家の家臣だった堀部家の住居。約1340平方メートルの広大な敷地には、木造2階建ての主屋や、養蚕に使われた作業小屋などが連なる。古いものは1883(明治16)年の築とされ、2006年、6件の建物が国の登録文化財になった。

 09年に建物を譲り受けた犬山市は、民間団体に貸し出し、建物展示やカフェなどの活用策を試行。今年4月、古墳など歴史遺産を活用した事業を展開するNPO法人「古代邇波(にわ)の里・文化遺産ネットワーク」(ニワ里ネット、犬山市)が3年間の管理・運営権を得て、本格的な活用が始まった。

 廷内に展示されていた堀部勝四郎夫妻?


 管理団体であるNPO古代邇波の里・文化遺産ネットワークのHP (  http://niwasato.net/home/ )でも詳しく紹介されているほか、あちこちで紹介されている。( http://horibetei.jimdo.com/ )

 以下昨日撮影した写真でその概要を紹介しておこう。写真よりもぜひ一度出かけて現物を見ていただければその魅力に引き込まれるに違いない。

  場所は国宝犬山城の城下町の南の外れ。正式名称は木之下城伝承館・堀部邸である。犬山城下町が形成される前に南部には木之下城が東西200m、南北350m程の範囲に形成されていたという。

 

その木之下城の西方部に設けられたのが堀部邸である。

 玄関
 
 特注のれん
 
 
 表庭
 
  
 
 
 中庭
 
 ボランテアの方々が荒れ放題だった庭をこの様に美しく整備して下さったそうです。


 トイレ


 離れ
 

 台所
 

 井戸
 
 今でも少し水がしみ出しています。
 

 女中部屋に使われていた渡り廊下部分です。わずか二畳の狭い空間です。かつて調査した長岡京左京の兵士の駐屯地も一人あたり二畳でした。イギリスのハドリアヌスウオール警護のためのフォートの兵士居住空間もそれくらいでした。二畳が人間の居住限界空間なのですかね。
 

 改装して近代的トイレに
 
 

 現代になって風呂に改装されたそうです。
 

 藏はギャラリー空間に利用
 
 
 
 堀部邸は国の登録文化財なのですが、様々なイベントに利用できるよう工夫されています。
 三時間利用して500円という格安でもあります。

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長岡京歴史散策の会の公式ブログ(HP)が誕生しましたの条

 長岡京歴史散歩の無事の出発を祝って、専用のブログとメールを作りました。
 今後はこれらを用いて行事の連絡や予定をお知らせすることにします。
 ぜひ一度覗いてみて下さい。
ブログ

 http://blog.goo.ne.jp/ngaokakyourekisisannpo

gmail

 nagaokakyourekisisannpo@gmail.com


 主にこの二つの事業を運営するための「長岡京歴史散策の会」も立ち上げることにしました。まだ、具体的な運営方法や運営者は定まっておりませんが、今後教育委員会の後援などをお願いするときに「会」と「代表」などがないと申請しにくいことを想定して作ることにしたものです。

 当面の事業は「長岡京歴史散歩」と「連続講座長岡京歴史よもやま話」を実施していく予定です。
 

 「連続講座長岡京歴史よもやま話」は現在詳細を詰めているところで、基本的に長岡京を主テーマに関連する考古資料や文献史料に関連する情報をスライド写真(パワーポイント)にまとめ講義と質疑応答による講座形式の事業の予定です。これも当面は私が講師を務めますが、いずれ、関係する研究者の方や調査関係の方にも参加してもらえればと考えております。

 とりあえず私が用います資料の大半は、三重大学時代に「教養部」の学生達に講義した考古学や古代史学の基礎的な資料をアレンジしたものとなります。
 車座になって、時にはお茶でも頂きながら気楽なサロン的な場にできればと思っております。

 詳細は数日中に発表します。乞うご期待!!


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第1回長岡京歴史散歩報告の条

 酷暑のなかたくさんの方に参加いただいた「長岡京歴史散歩」、ひとまず無事出発することができました。
 いろいろな人と再会することができ、応援の言葉も頂戴し、継続することに自信が湧いてきました。(懐かしいこんな方にもお会いしました!(お互いに歳を取りました!(笑)でもこうやって写真写りをみると体形は全く変わっていませんね。小学校の先生を辞めてしまって、今は自由人だそうです。)

 第1回の主な散策地は都の中軸である大極殿・朝堂を中心にその西側に広がる施設群でした。

〈第1ポイント・出発地点は朝堂院西第四堂跡です〉 国史跡朝堂院西第四堂跡及びその前方から発見された回廊・門闕跡を見学し説明しました。
「長岡京歴史散歩」を開催する趣旨は、発掘調査によって得られた情報を正確に、しかしわかりやすく伝え、情報を解釈する様々な視点を紹介して、市民の方々にも考えてもらうことにあります。。
この間たくさんの発掘調査が行われ多くの成果が出てきたのですが、私の感覚では余りに一方的な視点が強調され、特定の解釈だけが紹介され、あたかも決定的事実であるかのごとき説明が展開されてきているという危惧です。
 朝堂院前の回廊に付属する門闕も、詳しい検討もなされずに「」付きではあるのですが、「翔鸞楼」とされています。翔鸞楼は平安宮朝堂院の南門・応天門の西に付属する楼閣施設であり、その名称も含めて明らかに後世のものです.また、門闕がなぜ長岡宮朝堂南門に付属するのかについても何の議論もないまま、「桓武天皇による創建」とされて一般に流布されています。本当にそうなんでしょうか。限られた考古資料ではありますが、出土した瓦は難波宮で使用されたものが相当率含まれています。整地の解釈も慎重さが求められています。聖武朝難波宮に設置されていた施設を移建しただけということも十分検討しなければなりません。ある特定の見解だけを基に市民に説明を押しつけることが公共機関として正当なことなのか、少し疑問に感じています。説明ではそうした異論のあることも紹介しました。

 ガイダンス施設では「AR長岡京」という遺跡の3D復原をみるため、専用タブレットを借りて実体験してもらいました。コンピューター上で復原された3Dの朝堂院や門闕は相当な迫力があり、見学者に感動を与えました。特に、復原された施設群を様々な角度からみながら、遺跡を歩き回り、往時の偉容を辿る手法は、これまでの大金が注がれている割には安っぽい実物大復原よりよほど迫力があります。久留倍遺跡の整備がどうしてこの方法をとらなかったのか、本当に残念でなりません。

〈第2ポイントは朝堂と地鎮祭跡です〉 西第四堂から西の道路跡に出て宮内道路想定地を北上しました。調査や保存に私も含めた多くの人が苦心し、工夫し、苦労した朝堂院西第三堂・第二堂跡を見学し解説しました。西第二堂跡の一部が残る幼稚園前では、西にできた勝山中学校体育館での調査成果を紹介しました。発掘調査によって、乙訓郡衙跡→長岡宮第1次造成跡→地鎮祭跡→長岡宮第二次造成跡を確認することができ、長岡宮城の造成が大規模かつ計画的に進められた姿を明らかにしました。長岡宮城の造成が「ひな段」造成などという意味不明の造語で語られていますが、決して特異な造成を行って中枢部域や官衙域を形成したわけではないことはこの初期に行われた造成の様相から明らかなのですが、近年の調査担当者は新語がお好きなようです。
 ただし、失敗したのはその想定復原図を資料に入れておかなかったことです。何せ、資料を作るのも一人でしましたから、とても複数の資料を挟み込む余裕がなかったのです(言い訳は見苦しい!!(笑))。次回からはもう少し丁寧な資料作りに注意を払います。今回はお許し下さい。

〈第3ポイントは嶋院・島坂・島町・滝の下です〉 西第一堂のところで西に折れ、推定饗宴施設跡の眠る勝山中学校校庭を横目に見ながら島坂のある五辻へ向かいました。今回の散策の焦点となるポイントです。
 近年盛んに長岡宮の西辺部に当初の内裏・西宮があったという説がまことしやかに叫ばれています。文献研究者の中にはこれを積極的に支持する人も出てきて、あたかも市民権を得たかのような様相です。一般書や一般講演会でも主張され、多くの市民がそう信じておられるようです。しかし、これはあくまで特定の人物による仮説であって、まだまだ十分な検証を経ていません。断定できるものではありません。そこで、余談と偏見は置いておいて、その主張されている西辺部をじっくり歩いて市民に体感していただくことにしました。
五辻を南北に通る道はかつて西国街道と呼ばれた道で、長岡京期には朱雀大路の二本西、西一坊坊間大路の跡にも相当します。実はこの事実がとても軽視されているのです。
 五辻から南は急な下り坂になっており、中山修一氏の研究などでは、この坂こそが「島坂」に相当するのだとされています。当日は、島坂を北から見た後、五辻を西南西に延びる坂道を下っていくことにしました。坂道の南が小畑川の旧流路の痕跡であり、私が嶋院の苑池の跡と推定しているところにあたります。坂道に沿って長岡(向日丘陵)の南端の崖が露出しているのが見え、長岡宮が相当な丘の上に建設されていることを実感することができます。坂道がやや緩やかになる地点の崖際が滝の下です。参加して下さった元上司の島光男さんはこの辺りに住んでおられ、子供の頃は崖からこんこんと水が湧いていたと教えて下さいました。


 
 ここで参加者の中から思いがけない「つぶやき」を耳にすることができました。

 「そうか、だからこんなに大きな楠木がこんなところに育っているのか!!」

確信に満ちたその声の主は乙訓地域で造園業を営む方でした。乙訓の有名寺社の庭園の整備を積極的にやっている元気な方で、乙訓の地形は熟知しておられるのですが、さすがに我々がやる考古学の世界まではご存じないので、今回参加して初めてこの地がかつての河跡だと知られたのでした。彼曰く、地下に伏流水がたくさんあるから楠木はこんなに大きく育つことができたのだ!、と。

 やはり多様な見方が必要だな、とこの時強く感じたのでした。

嶋院の池が設置されていた可能性が高いと考えている長岡崖下の小畑川旧流路跡。今はこの様にびっしり家が建てこんでいるが、かつては壮麗な池が設置され、貴族達が儀式に臨み、饗宴を楽しんだところだと思うと気持ちも昂ぶる。



 滝の下の崖際まで降りて、今度は向日神社の本殿の裏へ崖下から急な階段を一気に昇ることにしました。しかしこれも良くなかったかもしれません。お年を召した方が相当いらっしゃって、本当に申し訳なかったと反省しています。ただ、皆さんこの道の存在を余りご存じなく、神社の裏がこの様になっていることに驚かれていたことは、目論見が当たったと言えます。
私の狙いはこの急な崖こそ、長岡宮城の西大垣なのだということを実感していただくことにあったのです。西大垣としての機能を自然地形を巧みに利用しているのだということを実感していただけたら成功だったのです。次回感想を聞いてみましょう。

〈第4ポイントは宮城西大垣推定地から見た崖下の施設群です〉 参加者の中には以前から疑問に思われていた方も相当の数いらっしゃって、
 「丘の上から丸見えなのにそんなところに「西宮」を造るのだろうか、不思議に思っていた」といわれます。実際に丘の上から見てその思いはより強くなったようで、「これは危険すぎるわな」という感想を一様に持たれました。
 向陽小学校で見つかった複廊遺構を「西宮」だとする人々は、一様に、宮城大垣を小学校の校庭の西端で検出された築地塀だとされます。丘の上の元稲荷古墳あたりが条坊制に従って推測する西大垣なのですが、なぜか、この位置に西大垣を想定することを拒否し、妙な形の宮城を復原するのです。
 つまり、向日神社や元稲荷古墳のある丘の上は右京域だというのです。不思議な説ですね。長岡宮城は丘の上から丸見えなのです。おまけにその崖下に天皇が日常的に住まいする内裏(「西宮」)があるというのです。信じられない説だと参加者の多くは納得して下さったように感じました。参加されなかった方こそ是非確認していただきたい事実なのですが、どうですかね。

 少なくとも「西宮説」が絶対でないことは伝わったように思います。目的の大半はこれで達せられました。

〈第5ポイントは私が考える当初の内裏・「西宮」跡です〉 複廊遺構の場所を確認し、複廊が東へ大きく伸びるという説に不利な宮内西一坊坊間大路西側溝の存在も紹介し、さらに東に向かって坂道を西宮・大極殿に向かって下っていきました。ここでも側溝を示す資料を添付しなかったのは私のミスです。第1回目はいろいろな課題を私に突きつけました。と同時に思ったことはこうした様々な作業を久留部官衙遺跡を考える会の皆さんは34回も、とても丁寧にやって下さっているのだ、ということを再認識しました。感謝申し上げます。



大極殿跡の公園が西側に拡張されるようでその工事の準備が始まっていました。長岡京研究の創始者のお一人小林清先生のお宅が史跡指定されたそうです。最近大極殿後殿が調査され、そうした成果も西宮との関係からご紹介しました。


大極殿の南の宝幢跡も注目の的でした。この20年余りで大極殿一帯がとてもよく整備されていっていることに感銘すら覚えました。ありがたいことです。




 本当は大極殿公園の石碑の下で記念写真を撮るつもりだったのですが、説明する内にすっかり忘れてしまい、大半の方が帰られた後、わずかの方で解散場所の西第四堂跡で記念写真を撮りました。これも失敗の一つです。なかなか何でもやるのはこの歳になると難しいことを実感しました。誰か、次回は写真係をしてくれないかな。また、今回の写真をお持ちの方は是非私まで送って下さい。コメントにその旨書いていただければ送り先をお伝えします。



 まだ報告しなければならないことはたくさんあるのですが、明日朝一番に病院で診察があるのでこれで休みます。
 次回はもう一つの新しい行事をご紹介します。乞うご期待!!


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 第2回は2015年9月26日(土) 12時45分阪急電車京都線 西山天王山駅改札口集合で、長岡京右京の経済的拠点、西市及びその関連施設を歩きます。旗持ちが欲しいので是非たくさんの若者の参加を願っています。

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