yaaさんの宮都研究

考古学を歪曲する戦前回帰の教育思想を拒否し、日本・東アジアの最新の考古学情報・研究・遺跡を紹介。考古学の魅力を伝える。

神童から凡人への道の条

2008-01-15 04:44:06 | yaasan随想
このまま神童だといいのにねと思ったらよろしくお願いします。
年末のニュースで、チンパンジーの子供の記憶力が東大生のそれを上回るという記事が載っていた。瞬間的に画面に現れる数字を記憶し即座に番号順にボタンを押すという所作のテストだ。もちろん私ならチンパンジーに負けるのは仕方がないにしても、若者が負けるとは・・・、と思ったものである。
しかし、正月以来京都の家にいることが多く、3歳と4ヶ月余の息子の息子の面倒を見さされている内に面白いことに気付いた。
「ひいき目ではなくこの頃の子供というのはみんな神童でいいんじゃないか!」と。
もちろん将来彼が神童のままでいるとまでは思っていないのである。あくまでここ数年の間だけのことである。2歳頃までせいぜい単語を並べていたに過ぎない幼児が、3歳を前にして突然文章を喋り出し、今や普通に大人と会話するのである。ここ数ヶ月は、恐竜に凝っていて、毎日のように恐竜図鑑を持ち出し、やれここを読め、それこれは何だと質問攻めに逢うのである。
 お陰で?トリケラトプスだの、ティラノザウルスだの、ステゴザウルスだの、ブラキオザウルスだの舌を噛みそうな名前の恐竜を覚えさせられる羽目になった。彼はもっとたくさん知っているらしいのだが、私が理解できない(覚えきれない)だけなのだ。
 文字も知らない彼らが一体どうやってこの複雑な名前を覚えるのだろうか?きっと音が頼りに違いない。我々は音をそのまま覚えるのは苦手だ。音に何か意味を持たせたり、形を持たせないことにはとても覚えられない。だからステゴザウルスは→捨て子と覚える、等である。ところが彼らは音を十分に識別し、それで覚えているらしい。そういえば彼らは意味もよく判らないはずのいろんな歌を平気で歌う。NHKの教育テレビでは英語で話そうという番組があるが、それをいつも視ている彼は、犬は?→ドッグ、猫は?キャット、1は?ワンとスラスラ答えるのである。
 予断と偏見が無い新鮮な脳みそにはこんな音が脳にしみこむようにして記憶されていくのだろう。ところがこれが文章に変換される時にはどんな劇的な変化が起こるのだろうか?英会話も英作文も大の苦手な私には全く想像も付かないのだが、毎日毎日聞いている「言葉」のルールをそれとなく理解するのだろうか。それとも文法を理解する能力がある日突然できるのだろうか?とにかくとてつもない地殻変動が脳の中で起こるに違いない。
 さらに最近の彼の興味は「文語り作り」なのである。
 「昔々ある所に・・・」で始まるお話しを適当にいろんな形で創作して話す内に、彼の自作の物語が語られ出したのである。先日などはお話しの中に突然「栗山」が飛び出してきてびっくりした。それといのも、目の前に息子が買ってきた天津甘栗があったかららしい。甘栗と栗山がどんな発想で結びつくのかさっぱりわからないが、きっと何処かで断片的に抱えていた情報が面前の栗を視て即座に反応したのだろう。さらに面白いことに、彼が創作を話すときには声のトーンも、訛りも変わるのである。普通は京都弁なのに、突然標準語臭くなるのである。きっと保育園の先生方の話し口調を真似ているのだろう。
 今彼は様々な創作に燃えている。そんな意欲を摘み取らないように、忙しいにも関わらず相手をする羽目になって史まった。

 そんな彼も知っている恐竜絶滅の背景は、余りに劇的だ。今地球環境が悪化し、氷河が溶け、森林が燃え、海が死に絶えていく姿がオーバーラップする。このままでは彼らが成人する頃まで地球がまともに存在するか怪しくなってきた。これまで、子供の未来は前途洋々たるものだと信じられてきた。しかし、このままだと、アメリカナイズされた、資本主義国家の資源の無駄遣いが、地球環境をさらに悪化させるのは間違いない。
 そして、中国の登小平が改革開放路線を打ち出した時から、見えていたことなのである。今更、資本主義へ誘った中国やロシアを、基に戻そうとしても戻るはずがない。止めることは、指導者の失政・失脚を意味するからである。
 
 しかし中国やロシアだけが問題なのではない。日本もまた、この美しい国土を破壊し尽くし、汚しきってもなお開発を止めようとしない連中が牛耳っている。洞爺湖サミットなんてちゃんちゃらおかしいや!相変わらず懲りない連中が、開発、効率的儲けにうつつを抜かし、国土を疲弊させているのである。

 そんな地球の未来に希望があるのだろうか。この神童達が神童のままでいられなくてもいいのだが、せめて凡人となってもこの地球が暮らすに相応しい星であることを願わずにはいられない。
 そのためには経済中心主義を断ち切らねばならない。
 「効率」的に作り出された膨大なムダが、世界を覆っている。
 徹底した合理化で生み出された不必要な物品が膨大に造り続けられている。
 私達考古学を学ぶものにとって、今ほど人類が歩んできた歴史を振り返り、その反省の上に立って地球規模で将来計画を立てなければならない時期はない。

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