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だらだらぼちぼち

押尾コータロー アコースティック・ギター・コンサート (3)

2006年07月28日 23時31分27秒 | 音楽

といったハプニングに遭遇したり、押尾コータローの略歴などをなぞった後、ようやくライヴについてレポートする事にしよう。


          


そう、5月20日、三木市文化会館での押尾コータロー アコースティック・ギター・コンサートに日帰りで出かけたのだ。
今回の一連のライヴツアーの日程では、例えば奈良県だとか、もっとワタクシの家から近い場所でもライヴが行われたのだが、ついついチケットを買いそびれてしまったのだ。

思い起こせば、ちょうどその頃、

信じられないくらいに絶好調だったセリーグ在京球団があった。
その頃は、同一カード3連戦では必ず勝ち越していたので、3連戦を消化するたびに貯金がどんどん増えていき、絶対に今年は楽勝のはずだった、、、、、、、

イヤイヤ、その話は、もういい、
もういい、、、、、、


押尾コータローのライヴについて、
今回は、充分に楽しめた
と、ハッキリ言える。
前回は楽しめなかったいうか、なんとなく妙な違和感を感じていたのだ。

前回と言うのは、2003年12月。
この頃、不謹慎ながら、まだ母親の49日も終えていないというのに、尼崎のアルカイックホールで、初めて押尾コータローのライヴに出かけた。
その時に受けた印象からは、押尾コータローの演奏は、噂以上に素晴らしかった。
押尾コータローが作るオリジナル曲も、カバー曲のアレンジ力、演奏力も、なるほど、とても素晴らしかった。

だが、
「こういうステージングならば、しばらくは彼のライヴには行かなくても良いかな?」
とまで思いこんでしまうほどに大きな妙な違和感だった。
具体的に、一体どういう事に違和感を覚えたのかというと、ホントに細々とした、どうでもいい事だった。
説明してみたところで、果たして、ワタクシ以外の第三者の方に理解してもらえるのだろうか?

その1、曲間のギターチェンジについて感じた事

曲によってギターのチューニングを変えている事と、おそらく、その曲に合った音色のギターをセレクトしているからだろう、押尾コータローは、ほとんどの場合1曲の演奏が終わる毎にギターを替えていた。
1曲の演奏が終わると、ステージの袖から、次に使うギターを持ったスタッフ(ローディーとも呼ぶのだろうか?)がステージ中央の押尾コータローの所へ歩いていって、次の曲で使うギターを手渡し、先ほど使っていたギターを受け取ってからステージの袖に戻って行った。
プロのギタリストにとって命に代えても大事なギターを触れさせるという事は、この時、ステージ上にギターを持って現れるスタッフ氏は、押尾コータローが絶対的な信頼を寄せる人物なのだろうが、黒いパンツに黒いシャツ、上下を黒ずくめの衣装で決めて、ステージ上では黒子として立ち動いていたのだが、どういうわけだかカウボーイがかぶるようなツバの広い帽子もかぶっていた。
服装に合わせてもちろん黒いカウボーイハットだったが、そのツバの部分がやたらと大きく見えた上に、1曲の演奏が終わり、黒子スタッフ氏がギター交換のために現れる時にもステージ上の照明は落とされずに明るいまんまだったため、黒ずくめで黒いカウボーイハットをかぶったスタッフ氏の姿が客席から丸見えとなっていた。
ハッキリ言って、ワタクシにとって、ほぼ1曲の演奏が終わるたびに現れる、このツバの広い帽子をかぶった黒子スタッフ氏が目障りに感じられたのだ。
黒子スタッフ氏の帽子が目ざわりに感じ出すと、1曲の演奏が終わって次の曲が演奏される間にどうにもまだるっこしい物を感じてしまった。
これならば、初めっからその日に使うギターをステージ上に並べておいて、自分で取替えたほうがいいのに。
観客は、チューニングしている間くらい、きっと、じ~っと待っているだろうし、その方が次に演奏する曲が何なのかを予想する楽しみもあるし。

その2、一人メンバー紹介のパフォーマンスについて感じた事

ライヴの後半、盛り上がりを見せる頃、一人メンバー紹介が始まった。
エレキギタリスト押尾コータローベーシスト押尾コータロー津軽三味線弾きの押尾コータロー、はたまたフォークシンガー押尾コータロー、あるいはドラムス押尾コータロー、、、、、、、、。
実際にこのパフォーマンスを見た方は多いと思われるので、詳細な紹介は省くが、初めてこのパフォーマンスを目にした時には、正直
「やめてくれ~!」
と思った。
アリスの曲を唄ってみたり、ディストーションをかけてスモーク・オン・ザ・ウォーターのイントロを弾いてみたり、、、、、、、、
せっかく、押尾コータローのアコースティックギターの演奏を聴きに来たのに、どうしてこんな宴会芸的なパフォーマンスを始めるのだろうか?
と、不機嫌になってしまった。
ところが、押尾コータローがギターを弾きながら客席まで降りてきた事もあって、ワタクシを除いたほとんどの観客達には大ウケで、他の人達は総立ちで、ノリノリで手拍子しながらの大騒ぎとなっていた。
シラ~っとした気分で座っていたのは、ワタクシぐらいだったろう、きっと。

ライヴでのこのパフォーマンスについては、疑問に思った人もやはりいたようで、後日、インタビュー記事で、
「どうして一人メンバー紹介をやるんですか?」
と聞かれて、
「きっと、自分は、関西人だからだと思う。」
と答えていた。
つまり、観客に対するサービス精神という事だろう。
最初から最後までギター1本でのインストゥルメンタル・ライヴという事で、観客を飽きさせないよう、ライヴの流れにアクセントを付けたという事なのだろう。

こうして、2年前、主に2つの原因から感じた妙な違和感だったが、何故か今回は違和感を感じなかった。
曲と曲の間のギターチェンジには、やはり、黒子スタッフ氏(前回と同じ人物かどうかは不明)がステージ袖から現れてギター交換をしていたが、今回は、ギター交換の間は、ステージ照明は暗めに落とされたし、黒子スタッフ氏がカウボーイハットを被っていなかったので、特に気になる事もなかった。
それどころか、いまやお約束の一人メンバー紹介が始まったとたん、周りの観客達と一緒に立ち上がって手拍子してしまうという豹変ぶり、、、、、、、、、

なんたるポリシーの無さか、

と、我ながらあきれはててしまったワタクシであった

例えば演奏が終わった後のポーズなど、演奏中の(時にはキザっぽく映る)アクションにも、2年前の時とは変化が見られたし、この人のステージングは、1日毎に変化し成長しているのだなぁ、と実感した。
その変化の仕方がワタクシには好ましい方向に向かっているのだろうか、今の所は。

実は、このテーマをメインにまとめたかったのだが、
少し前、ぼくてきさんのブログで押尾コータローのライヴにおける手拍子に関するご意見ご感想を読ませていただき、押尾コータローのギターだけを聴きたくてライヴにやって来た人というのは、やはりギター演奏以外の物に惑わされてしまう傾向がある、というか、人それぞれ、どこかにこだわりを持っているものなのだなと思った。

ワタクシの場合、ステージ上で演奏者が場を盛り上げようと、身振り手振りで要求する手拍子には参加するけれど、一部の観客が勝手に始める(それもリズム乱れ気味の 笑)手拍子には参加したくない。
だが、例えば東京ドームでのローリングストーンズの時のように、オープニングから総立ちになってしまうような場合は、参加しなきゃ損だと思うようになった今日この頃、つまり、

大人になってきたのかな?

と、我ながら感慨にふけってしまうのだ



開演40分前、全席指定席だというのにまだ開場していない段階でこれだけ並んでいた。
列の長さは、この画面の5倍くらい。
CD、DVD購入者先着50名様限定で、終演後、サイン会があったようだ。
この日は、帰路は一刻を争う状況だったので、サイン会は早くも断念して、ノンビリと会場風景を撮影中。