『波動の法則』(足立育朗著、PHP研究所、1995年)について感想を述べてみます。
まず基本的なスタンスとしてぼくはこの本に書かれていることを肯定して受け止めています。この本に書かれている情報は足立氏の頭の中にひらめいたことであり、現代科学的には理解できないこと、そして検証もできないことです。ですから正しい、正しくないという判断がぼくにはできません。それは“霊の世界”や“あの世の世界”の話と同じでしょう。
霊的世界の事柄については次のようなスタンスをぼくはとっています。(これは「過去世リーディングを受けてきた」という題名で2005年11月24日に書いた日記のコメント欄に書いたものです)
「あのね、ぼくはこう思っています。霊的なことつまり“うらが取れない=証明できない”世界からの情報をぼくはそれが“魂の向上を促すのであれば受け入れる”、そういうスタンスを取ってます。これはあくまでぼくの個人的な霊的な事柄に対するスタンスであって、これが正しいと言っているわけでもなく、また他の方にもお勧めするわけでもありません。
いまの時点でのぼくの理解は“この世は霊的に自分を磨く、つまり愛情や慈悲、謙虚さ、平和な心といった徳性を積む場所”だと捉えていますので、それらを育むような経験ができる、あるいはそれらをより深めようと意欲を高めてくれる情報であれば、それの真偽を追求することは二の次としているんです。
ぼくの場合には高江州先生に見てもらった過去世のほうが今のぼくよりはるかに気高い、神性が高いと知ったので、今生は過去世よりレベルが下がっている、このままでは後戻り、退歩で終わってしまうという強い危機感を持つに至りました。そしてもっと向上しようという意欲が湧いてきたし、目標レベルもきちんと理解できました。だから今回の経験は明らかにぼくの成長にプラスに働いているのです。
このように霊的な事柄を自分の成長に捉えられるならば積極的に取り込めばいいと思っています」
そのようなスタンスで考えているぼくの目には次の文章はすんなり入ってきます。
第一章 宇宙との調和 「宇宙からの情報では、私ども人間は、一人ひとり本質というエネルギー体の振動波が存在し、それはすべて承知の上で、それぞれが、この時期にその人間を選択して宇宙の仕組みを理解し、この文化がより宇宙と調和のとれる方向へ変換できるよう、ある役割をしながらスタディするのが目的で生まれたそうです」
→“私ども人間は、一人ひとり本質というエネルギー体の振動波が存在しそれはすべて承知の上で”。ぼくはここが最も大切なところだと思っています。「自分はエネルギー体であること」この認識が腑に落ちれば死の恐怖が和らぐのではないでしょうか。ぼくの場合は『シルバーバーチの霊訓』(アン・ドゥリー編、近藤千雄訳、潮文社、昭和60年)という本に3年ほど前に出会って“見えない世界というものがありこの世は学ぶところである”という考え方を知りました。そしてこの考え方が当時患者さんが亡くなることで襲われる無力感からぼくを救ってくれたのです。
学校や社会からは学ぶことができない“自分はエネルギー体であり不滅の存在であること”。ここを心の底から“承知”できるかできないかで自分の行動が変わってきてしまうように思います。
まず基本的なスタンスとしてぼくはこの本に書かれていることを肯定して受け止めています。この本に書かれている情報は足立氏の頭の中にひらめいたことであり、現代科学的には理解できないこと、そして検証もできないことです。ですから正しい、正しくないという判断がぼくにはできません。それは“霊の世界”や“あの世の世界”の話と同じでしょう。
霊的世界の事柄については次のようなスタンスをぼくはとっています。(これは「過去世リーディングを受けてきた」という題名で2005年11月24日に書いた日記のコメント欄に書いたものです)
「あのね、ぼくはこう思っています。霊的なことつまり“うらが取れない=証明できない”世界からの情報をぼくはそれが“魂の向上を促すのであれば受け入れる”、そういうスタンスを取ってます。これはあくまでぼくの個人的な霊的な事柄に対するスタンスであって、これが正しいと言っているわけでもなく、また他の方にもお勧めするわけでもありません。
いまの時点でのぼくの理解は“この世は霊的に自分を磨く、つまり愛情や慈悲、謙虚さ、平和な心といった徳性を積む場所”だと捉えていますので、それらを育むような経験ができる、あるいはそれらをより深めようと意欲を高めてくれる情報であれば、それの真偽を追求することは二の次としているんです。
ぼくの場合には高江州先生に見てもらった過去世のほうが今のぼくよりはるかに気高い、神性が高いと知ったので、今生は過去世よりレベルが下がっている、このままでは後戻り、退歩で終わってしまうという強い危機感を持つに至りました。そしてもっと向上しようという意欲が湧いてきたし、目標レベルもきちんと理解できました。だから今回の経験は明らかにぼくの成長にプラスに働いているのです。
このように霊的な事柄を自分の成長に捉えられるならば積極的に取り込めばいいと思っています」
そのようなスタンスで考えているぼくの目には次の文章はすんなり入ってきます。
第一章 宇宙との調和 「宇宙からの情報では、私ども人間は、一人ひとり本質というエネルギー体の振動波が存在し、それはすべて承知の上で、それぞれが、この時期にその人間を選択して宇宙の仕組みを理解し、この文化がより宇宙と調和のとれる方向へ変換できるよう、ある役割をしながらスタディするのが目的で生まれたそうです」
→“私ども人間は、一人ひとり本質というエネルギー体の振動波が存在しそれはすべて承知の上で”。ぼくはここが最も大切なところだと思っています。「自分はエネルギー体であること」この認識が腑に落ちれば死の恐怖が和らぐのではないでしょうか。ぼくの場合は『シルバーバーチの霊訓』(アン・ドゥリー編、近藤千雄訳、潮文社、昭和60年)という本に3年ほど前に出会って“見えない世界というものがありこの世は学ぶところである”という考え方を知りました。そしてこの考え方が当時患者さんが亡くなることで襲われる無力感からぼくを救ってくれたのです。
学校や社会からは学ぶことができない“自分はエネルギー体であり不滅の存在であること”。ここを心の底から“承知”できるかできないかで自分の行動が変わってきてしまうように思います。
『波動の法則』には、その本質の構\造図や重さも明らかにされてますね。ちょっとひいちゃう人もあるかもしれませんが、実際に人が息をひきとる前後の体重差を計って、本質(≒魂)の重さを求めた科学者もいました。わずかですが、重さがあるようですよ。
あれから8年たちました。
すべてのことは、必要必然、絶妙なタイミングで現れるのですね、聡哲さんとの出逢いにも感謝しています。
いつか、お会いできることを楽しみにしています。
新しいことを学んでそれを体験して智恵にしていけるか、が大切なことなんでしょうね。ぼくの場合は夢の中での自分の態度がまったく未熟なので自分の本質がまだまだだといつも思い知らされています。
ととろさん
8年ほど前にこの本を3度お読みになりましたか。そして切らずに過ごされている・・・。ととろさんの中で大きな位置を占める本だったんですね。人の一生を左右するような本を読めてぼくは幸運でした。ありがとうございます。
>いつか、お会いできることを楽しみにしています。 →ditto!