今日は花粉の中を娘と彼女の従兄、義兄の4人で動物園でたっぷり遊んできてしまった。日中はだいぶ暖かくなり快適だった。今日の夜がどうなることやら。(花粉症の人間にとっては夜間の洟がとても困るのです)
クロサイの赤ちゃんが生まれていた。フェンスから一番奥に横たわっていて、横に母サイと思われる個体がじっとたたずんでこちらをにらんでいる風情だった。他にはシロテナガザルや丹頂、ペリカン、シカなどを見た。
動物園に来るといつも思う。人に実際の個体を見せるという教育効果はとても重要だが、やはり個体は寂しそうであり自然に帰してやりたい、と。この手の論議はいつもあると思う。教育効果か個体の幸せか。
大自然の中にはおいそれと行けない、でも本物にはできるだけ触れて欲しい。そういう考えの折衷案として、自然の中から個体を抜き出して目の前にそれらしき環境を人為的に作って人々に見せている。しかしそれでは個体の姿はたしかにその動物を表現するけれども、その個体の魂、大自然の中で仲間たちと生き生きと生きている姿はどうしても見ることはできないのだ。
大事なことは目に見えないことなのだ。感性や直観のようなものを磨くには、人間の私たちのほうから大自然の中に入らないとつかむことができないのではないか。
昨今、動物のDNAを保存して種を維持するという科学的挑戦が為されているが、それも物質の面しかものを見ていない態度の表れだ。それよりも環境全般の保全の方がもっと優先されるべきだと思う。
人はすべての生き物と協調して生きてゆくしか明るい前途はない。人の幸せの為に他の動物の不幸があってはならない。例え教育効果があるにしてもそれは個体の幸せ以上の価値はないと私は思っている。
いつか人が霊的に成長した時には動物園は無くなっているだろう。早くそういう時が来て欲しいとも思う。娘には大自然の中に連れて行ってやりたい。本物の自然に触れて欲しい。そして人が自然の一部であることを人生の早いうちに理解して欲しいと願っている。
クロサイの赤ちゃんが生まれていた。フェンスから一番奥に横たわっていて、横に母サイと思われる個体がじっとたたずんでこちらをにらんでいる風情だった。他にはシロテナガザルや丹頂、ペリカン、シカなどを見た。
動物園に来るといつも思う。人に実際の個体を見せるという教育効果はとても重要だが、やはり個体は寂しそうであり自然に帰してやりたい、と。この手の論議はいつもあると思う。教育効果か個体の幸せか。
大自然の中にはおいそれと行けない、でも本物にはできるだけ触れて欲しい。そういう考えの折衷案として、自然の中から個体を抜き出して目の前にそれらしき環境を人為的に作って人々に見せている。しかしそれでは個体の姿はたしかにその動物を表現するけれども、その個体の魂、大自然の中で仲間たちと生き生きと生きている姿はどうしても見ることはできないのだ。
大事なことは目に見えないことなのだ。感性や直観のようなものを磨くには、人間の私たちのほうから大自然の中に入らないとつかむことができないのではないか。
昨今、動物のDNAを保存して種を維持するという科学的挑戦が為されているが、それも物質の面しかものを見ていない態度の表れだ。それよりも環境全般の保全の方がもっと優先されるべきだと思う。
人はすべての生き物と協調して生きてゆくしか明るい前途はない。人の幸せの為に他の動物の不幸があってはならない。例え教育効果があるにしてもそれは個体の幸せ以上の価値はないと私は思っている。
いつか人が霊的に成長した時には動物園は無くなっているだろう。早くそういう時が来て欲しいとも思う。娘には大自然の中に連れて行ってやりたい。本物の自然に触れて欲しい。そして人が自然の一部であることを人生の早いうちに理解して欲しいと願っている。