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植物によるがん治療のお手伝い 聡哲鍼灸院日記

植物で心身を癒す施術の日々。そこから感じたこと、学んだことなど。。。

動物園で思うこと

2005年03月27日 21時33分40秒 | 地球環境、自然保護、エコロジー、ロハス
 今日は花粉の中を娘と彼女の従兄、義兄の4人で動物園でたっぷり遊んできてしまった。日中はだいぶ暖かくなり快適だった。今日の夜がどうなることやら。(花粉症の人間にとっては夜間の洟がとても困るのです)

 クロサイの赤ちゃんが生まれていた。フェンスから一番奥に横たわっていて、横に母サイと思われる個体がじっとたたずんでこちらをにらんでいる風情だった。他にはシロテナガザルや丹頂、ペリカン、シカなどを見た。

 動物園に来るといつも思う。人に実際の個体を見せるという教育効果はとても重要だが、やはり個体は寂しそうであり自然に帰してやりたい、と。この手の論議はいつもあると思う。教育効果か個体の幸せか。

 大自然の中にはおいそれと行けない、でも本物にはできるだけ触れて欲しい。そういう考えの折衷案として、自然の中から個体を抜き出して目の前にそれらしき環境を人為的に作って人々に見せている。しかしそれでは個体の姿はたしかにその動物を表現するけれども、その個体の魂、大自然の中で仲間たちと生き生きと生きている姿はどうしても見ることはできないのだ。

 大事なことは目に見えないことなのだ。感性や直観のようなものを磨くには、人間の私たちのほうから大自然の中に入らないとつかむことができないのではないか。

 昨今、動物のDNAを保存して種を維持するという科学的挑戦が為されているが、それも物質の面しかものを見ていない態度の表れだ。それよりも環境全般の保全の方がもっと優先されるべきだと思う。

 人はすべての生き物と協調して生きてゆくしか明るい前途はない。人の幸せの為に他の動物の不幸があってはならない。例え教育効果があるにしてもそれは個体の幸せ以上の価値はないと私は思っている。

 いつか人が霊的に成長した時には動物園は無くなっているだろう。早くそういう時が来て欲しいとも思う。娘には大自然の中に連れて行ってやりたい。本物の自然に触れて欲しい。そして人が自然の一部であることを人生の早いうちに理解して欲しいと願っている。

 
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ドレイズ法

2005年02月10日 22時02分05秒 | 地球環境、自然保護、エコロジー、ロハス
 ふた昔ほど前は自然保護、動物愛護運動をしていた。その中にドレイズ法反対の署名活動もあった。ドレイズ法とは動物実験の一種でうさぎの目に涙腺がないことを利用して、うさぎの結膜に薬品を点滴して眼粘膜にどのような影響を与えるかを調べたり、その刺激性を確かめる実験方法だったと思う。

 可哀想にうさぎは薬品を投与されたあとは目も見えなくなりただされる。人間の為に動物の目を使っていたのだ。なんたるハレンチ!今思い出しても怒りが湧いてきてしまう。生物の命を軽んずる行為だとして動物愛護団体を筆頭に1985年頃、槍玉に上がった実験方法だ。

 今はどうなっているのだろう。まだ密かに化粧品会社の開発部門で行われているのだろうか?

 当時は動物愛護的な感覚でこの方法に反対し、この試験を行わないで開発された化粧品がそれを売り物にしていたこともあった。シアーズ・ローバック女史が展開したイギリス発の化粧品ショップ「ボディショップ」がそれである。

 これまで自然保護、環境保護の運動を経験し、環境にやさしい生活や商品を提案するような仕事をしてきたが、今は癌の治療に携わって命についてこれまでいろいろ学んできた。特にこの2年間の霊的な気づき、学びは大きかった。

 その学びを通して今一度ドレイズ法を見てみると、これは人の霊性を下げる行為だ。たとえ結果としてその薬剤の刺激性などが分かる利益があったとしても、他の動物に痛みを与える行為、ましてその後すぐするような行為は、万物の保護者たる人間の霊性を著しく損ねる。

 ここから推察すれば抗がん剤開発のための動物実験も決して許される行為ではないことはお分かりいただけると思う。

 霊的摂理、知識が少しは分かってきた現在の視点で見れば、このような行為に対しては必ず大霊による因果律の摂理が働くであろうと考えられる。

 明日は動物実験に対するシルバーバーチの見解を述べてみたい。そしてそこからの視点で見た抗がん剤というものについて語ろうと思う。
 
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環境問題

2004年10月27日 00時00分01秒 | 地球環境、自然保護、エコロジー、ロハス
 小さい頃から自然の中で遊ぶのが好きだった。高校生の頃から「どうしてこんなに建物を建てるのだろう」と森や谷戸が開発されてしまうことに憤りを感じていた。

 大学を出て社会人になってから始めた登山で、林道開発やブナ林伐採の問題を知った。自然を守る団体の会員になって観察会のリーダーもした。生協の環境対策室や商品部で環境に良い商品開発に取り組みもした。

 私の根底には緑豊かなところで人々があくせくせずに心豊かに暮らすことが幸せ、という価値観がある。ネイティブ・アメリカンの人々に強く共感を覚えるのもそのためだと思う。

 治療師として霊的なことを理解し始めて気付いたのは、私のやってきた自然を守る活動は「霊的成長の場を豊かに保つ」ということだったのだと思う。これまでは自然が好きだから守ろう、という単純な理由で動いてきた。今でもそうだけど自然の価値を霊的視点から見れるようになった
 
 人が霊的に成長するには感動が必要だ。それは美しいもの、光景、話などを感じることで心が動かされる経験だ。ライオンやトラ、象、熱帯の鳥、海の鯨、オルカ、熱帯雨林、氷河、アルプス・・・失われつつある大自然は私達の霊性を高めてくれる存在なのだ。

 ベティ・シャインの『スピリチュアル・ヒーリング2』でも魂と環境について述べていて我が意を得たりと思えて嬉しかった。
 「高次の心はレイラインを探し出すこともできる。レイラインとは地上を走っているエネルギー・ラインで、人間のエネルギー体が持っている経絡に似ている。こうしたエネルギー・ラインは、地球を取り巻いている電磁気のネットワークの反映だと思う。そしてそれは集合的無意識によって破壊されうる。

 環境が破壊され、それによって人が悲嘆にくれると、魂にも影響が出、ひいてはその人の霊性全体にも影響が出てくる。だれもこの連鎖から逃れられないのだ。」

 今は治療師として人の体を治すことを生業としているが段々霊性向上のきっかけとなることに軸足が移りつつあることが自分でも分かる。人が病を通して霊性を向上して行けば、ひいてはそれが命あるものを尊重する大事さにつながっていくだろう。

 結局私がずっとやってきたことはその時によって形は違うがこの星自体の霊的環境を良くすることだったのだと思う。

 天上天下唯我独尊・・・この言葉は釈迦様だけでなく人間誰にでも言える事で世界広しと言えども自分はただ一つ、他に同じものは何一つない尊い存在であるということ。つまりその者でなくては仕おおせぬものを持っている尊い存在ということだそうだ。

 同じ時期にこの地上に巡り合せたあなたよ、お互い、自分にしか為しえぬ任務を全うしたのち、また向こうの世界でお会いできると良いですね。
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