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植物によるがん治療のお手伝い 聡哲鍼灸院日記

植物で心身を癒す施術の日々。そこから感じたこと、学んだことなど。。。

死刑執行の誤り

2004年09月14日 17時28分38秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
 本日、大阪池田小事件の犯人宅間死刑囚の死刑が執行された。人権団体の非難表明が出ているが霊界からは死刑執行の誤りを次のように述べてきている通信がある。

 「霊にとりて、その宿れる肉体より無理やりに離され、怒りと復讐心に燃えたまま霊界へ送られることほど危険なるものはない。いかなる霊にとりても、急激にそして不自然に肉体より切り離されることは感心せぬ。われらが死刑を愚かにして野蛮なる行為であるとする理由もそこにある。死後の存続と進化についての無知が未開人のそれに等しいが故に野蛮であり、未熟なる霊を怨念に燃えさせたまま肉体より離れさせさらに大きな悪行に駆り立てる結果となっているが故に愚かというのである。

 そなたらはみずから定めた道徳的並びに社会的法律に違反せる者の取り扱いにおいてあまりに盲目的であり無知である。幼稚にして低俗なる魂が道徳を犯す。あるいは律法を犯す。するとそなたらはすぐにその悪行の道を封じる手段に出る。本来ならばその者を悪の力の影響から切り離し、罪悪との交わりを断ち切らせ、聖純なる霊力の影響下に置くことによって徐々に徳育を施すべきところを、人間はすぐに彼らを牢獄に閉じ込める。そこには彼と同じ違反者が群がり、陰湿なる邪念に燃えている。それのみか、霊界の未熟なる邪霊までもそこにたむろし、双方の邪念と怨恨とによって、まさに巣窟と化している。(中略)

 凶悪人から身体的生命を奪う。復讐的刑罰を与える。厚顔にも法の名の下に流血の権利を勝手に正当化している。断じて間違いである。しかも、かくして傷つけられし霊が霊界より復讐に出ることをそなたらは知らぬ。」(中略)
 「然り。友よ、そなたらが設けたる牢獄、法的殺人、その他、罪人の扱い方の全てにおいて、その趣旨がことごとく誤りと無知の上に成り立っている。

 戦争および大量虐殺に至っては尚のこと恐ろしきことである。本来同胞として手を繋ぎ合うべき霊たち、その霊たちの利害の対立をそなたらは戦闘的手段によりて処理せんとする。血に飢えし霊たちは怨念と憤怒を抱きつつ肉体より引き裂かれ、霊界へと送り込まれる。肉体なき霊たちは燃えさかる激情にさらに油を注がれたる如き激しさをもって地上界を席巻し、残虐と肉欲と罪悪に狂う人間の心を一層駆り立てる。然るにその拠って来るそもそもの原因は単なる野心の満足、一時の気まぐれ、あるいは王たる資格に欠ける王子の愚かなる野望に類するものであったりする。

 ああ、友よ、人間は何も知らぬ。まだまだ知らねばならぬことばかりである。しかもそれを、これまで犯せる過ちを償うため、苦くかつ辛き体験を通じて知らねばならぬ。人間は何よりも先ず、愛と慈悲こそ報復的処罰に勝る叡智なることを知らねばならぬ。」(『霊訓<完訳・上>』、W・S・モーゼス著、近藤千雄訳、心の道場
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病気と守護霊

2004年09月11日 17時21分11秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
 「希望は実現の母でありまして、希望をもってその希望に向かって心明るく、前に進んで行く者は遂にその希望を実現する事ができます。何故ならばその人の希望は、常にその人の背後霊が良くも悪くもかなえさせようと思うものなのであります。 

 若しここに二人の同じ進行程度の病人がいたとして、「一人は守護霊が見守って下さるから必ず治る」と希望を持ち、心豊かに明るく快活にしているとし、他の一人は、「もう自分は駄目だ」と考え、希望を失い悲観し暗い心を抱いて居るとしますならば、前者は恐らく治る率が多く、後者は全く治らないかまたは同じ治るにしても、結果に於いて他の余病が出たりして、そこに大変な差が出てまいります。

 守護してくださるよき背後霊があると常に感謝する心は、努力もいらなければ力みもいらない、唯守護の慈悲に包まれて自分が無くなり気楽に暮らせましょう。」(『吉田綾霊談集・上』p115)
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病気は悩める心から

2004年09月02日 17時11分15秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
 下落合の財団法人日本心霊科学協会に行き、『吉田綾霊談集』ほか数冊購入する。吉田綾という霊能者が聴いた向こうの世界からの言葉である。

 ふつう人は「霊」と言われると幽霊、悪霊などを想像してしまい勝ちであるが、この吉田綾氏が霊聴力で聴いた言葉は高級霊からのものであり全文を通してたいへん気高く、人間に対する慈愛が満ちている感じがする。
 その中から皆様の参考になりそうな通信を一つご紹介します。

 「●病気は悩める心から
 病気している肉体とは、悩んでいる心そのものの結晶したものであります。だから悩んでいる心を悩まない心に転じますと、病まない肉体が現れてまいります。この病気はこれ以上悪くなるのではないか、と悩む心が、安心の心、即ち背後霊任せの心になれば、更にもう一歩突っ込んで感謝する心に変われば、病は段々に影をひそめてまいります。(中略)

 古い肉体が悩んでおりましょうと、常に新しいものが交代しつつある人間の肉体であれば、病む事何ぞ恐るるに足らん、といえましょう。」
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人間の死後存続

2004年08月29日 17時01分15秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
 『ブルーアイランド』(エステル・ステッド著、ハート出版)という本をお貸しした方から「私、こういう本苦手なんです。怖い写真を見ると夢に見てしまって・・・」と言われてしまった。別に心霊写真が沢山載っているわけではないのだか、彼女はいわゆる幽霊の話と思ってしまったのだろう・・・。

 残念である。“霊”という言葉から一般的に人々が連想するのは幽霊、お化けの類であろう。しかし私がお話したいのはそういう低級霊のことではない。私たちが今生きている時点で既に霊的な存在なのだということだ。

 例えが適切ではないかもしれないが、ヤドカリを思い起こしてほしい。磯にいて貝をしょっているあのカニみたいなやつである。あのヤドカリの本体が霊であり、背負っている貝殻が私たちの肉体と考えてほしい。

 ヤドカリ自身は貝殻を背負う前から存在している。実は私たちもそれと同じように、この世に生まれる前から実は存在していたのだと。ただ肉体(=ヤドカリの殻に相当)を持っていなかっただけというふうに。そしてヤドカリが殻を脱ぎ捨てても生きているように、肉体が機能を維持できなくなって私たちが死と呼ぶ現象を体験してもその後にまだ存在し続けているというふうに。

 ヤドカリ自身は殻を背負っていなくてもいても変わらない。同じものである。私たちもそうなのだ。肉体を持っている“生きている今”も肉体を失った後の“死んでいる(とみなされている)未来”も同じ一人の人間なのだ。これを霊と呼んでいる。

 霊的治療を説明する前提条件として、まずは「人間の死後存続」を理解していただきたい。
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本当の先祖供養

2004年08月24日 16時41分44秒 | 守護霊、前世、過去世、スピリット
神奈川スピリチュアリズム・サークルに参加されている方が『筑紫交霊録』(豊島伊都男編)という本を貸してくださいました。有難うございます。

 この本は他界後にも現世中の怨恨を持ち越してしまった霊人に対し、現世の人間が交霊会の場で「人は肉体を失っても魂、霊は不滅で残っていること、現世の怨恨を捨て、自分以外の他者のために自分を活かすことが来世での魂の向上という人の永遠の目的に沿うものであること」などを親身に説くことで、霊人を悟らせ、現世をうろついている状態(=これが霊感のある人に幽霊と見える)から幽界、ひいては霊界へと誘う様子(俗に言う「成仏させる」)を数多くの話でわかりやすく説いている。
本当の意味の先祖供養とはどういうものかがよく理解できる。
コメント (1)
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