ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

当初参加者19名は想定外 小石川後楽園から小石川植物園

2023年05月05日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2023年5月5(金)

隔週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
令和5年度(2023年度)第3回、令和5年(2023年)第9回、「小石川後楽園から小石川植物園
ウォーキングに参加した。

この日常磐線荒川沖駅に集まったのは10名ちょうど、予想よりやや少ない感じ。
小石川後楽園と小石川植物園の入園料団体割引は20名からとなっているので、
果たして20名集まるのかが気になる。
常磐線荒川沖8時25分発の電車を待っているところ。


9時19分、日暮里駅に到着し、乗換え前に体調を整えるのが当会の習わしになっている。
気になる参加者は、土浦駅からの9名と龍ヶ崎市駅からの1名を合わせ、20名ちょうどとなった。
入園料の団体割引の対象となる20名が参加したことに一安心といった次第。


日暮里駅で山手線に乗換え、総武線乗換えの秋葉原駅には9時40分に到着。


この日の出発地総武線飯田橋駅には9時49分に到着した。


飯田橋駅東口前に集まって、この日のコースや概略スケジュールを説明。
TK会長の挨拶の後、


10時ちょうど、先ずは小石川後楽園を目指して出発だ!
飯田橋駅東口の横断陸橋へ。


横断陸橋を小石川後楽園方面へ。


横断陸橋から飯田橋駅方面を臨む。


小石川後楽園方面へ。


横断陸橋から首都高5号池袋線下を流れる堀?を臨む。
『水はあんまりきれいじゃないよねっ』


横断陸橋を降り、


外堀通りを水道橋方面へ進み、


飯田橋職安前交差点を左折して小石川後楽園方面へ。


日中友好会館前を通過すると・・・


10時7分、小石川後楽園西門に到着した。


入園料は通常一般300円だが、65歳以上は半額の150円、さらに団体割引(20名以上)で
一人120円となった。
園内の見学は各自自由とし、10時30分に東京ドーム側の東門に集まってもらうことにした。


小石川後楽園の庭園は、初代水戸藩主徳川頼房と2代光圀が完成させた回遊式築山泉水庭園である。
園内を時計回りに観て周ることにしよう。
受付を過ぎると左側に小廬山(しょうろざん)が見える。
廬山は中国の景勝地とのことで、京都東山の清水寺の一帯が小廬山と呼ばれており、
それを模したのが、小石川後楽園の「小廬山」になる、とのこと。


『今日は天気が良くて景色がすごくきれいねっ』


渡月橋を進むと右側には大堰川(おおいがわ)が、
大堰川の名は京都嵐山を想起して名付けられた。
三代将軍徳川家光の好みで作られたとされる。
かつては神田上水の流れを引き入れていた。
両岸には蛇篭を伏せ、深山激流の趣をつくっている。


渡月橋左手には西湖の堤が、
中国の名勝地杭州(現在の浙江省)、「西湖」にかかる堰堤を模した堤。
本園以後に造られた大名庭園の「西湖の堤」の先駆けとなった。


渡月橋を渡り切ると、


右手に屏風岩が
屏風のように真っ直ぐに屹立しているためこの名が付いた。
三代将軍家光が訪れた際に、岩の近くの松に手巾をかけ、河原の石に腰を下ろして休んだと云われる。


皆さんの後ろに付いて行き、


通天橋
紅葉の名所である京都嵐山の東福寺「通天橋」にならい、大堰川にかけられた朱塗りの橋。
この橋から眺めるイロハモミジの新緑と秋の紅葉が美しい、と云われる橋を渡ると・・・


得仁堂があった。
光圀18歳の時、史記「伯夷列伝」を読み感銘を受け、伯夷・叔斎の木造を安置した堂。


径なりに進むと丸屋(まろや)があった。
茅葺で栗の木の柱を使い、田舎の侘びた茶屋の佇まいを表している。
「丸」の字を染め抜いた暖簾を下げていた。


丸屋辺りから正面には琵琶湖を模した大泉水が観えた。
大泉水はこの庭園の中心となる景観で、蓬莱島と竹生島を配し、琵琶湖を見立てて造られた。
昔はこの池で舟遊びをしたと云われている。


左に目をやると蓬莱島が浮かんでいる。
こういう景色は気持ちが癒されるし安らぐものだ。


白糸の滝
六代藩主治保(はるもり)の時に造られた。
その様子が千条の白糸が垂れているように見えることから、この名が付けられた。


水辺には鯉がいて人の姿を見て近くに寄って来た。
『大きいわね~っ』 『あいにく餌はないんだよね~っ』


少し広い「松原」に出た。


畑の奥には花菖蒲と藤棚らしきものが・・・


九八屋(くはちや)
江戸時代の風流な酒亭の様子を表している。
命名は「酒を飲むに昼は九分、夜は八分にすべし」と酒飲みならず万事控えるを良しとする、
との教訓による。


現在の松原の様子
往時は数百本の松が鬱蒼として空も見えないほどだったと伝えられる。
八代将軍徳川吉宗が紀州藩主時代にこれを絶賛したとの記録がある。


異形灯籠の脇を通って進むと、


瘞鷂碑(えいようひ)が建てられている。
水戸七代藩主治紀(はるとし)は将軍家から賜った鷹を大切にしていた。
鷹は治紀が没した四年後に亡くなったため、八代斉脩(なりのぶ)がこれを哀しみ碑を建てた。


瘞鷂碑を過ぎた辺りから観た大泉水
順和風の回遊式築山泉水庭園の後ろに超高層ビルが聳えるといったアンバランスな構図が
何と言えば良いのか・・・


徳大寺石に亀が日向ぼっこをしていた。


内庭の唐門は、かつての「後楽園」への正式な入口だった。
戦災で焼失したが、令和2年(2020年)に復元された。


内庭
水戸藩の書院があったところ。
唐門によって仕切られ、大泉水側の「後園」と分かれていた。
水面は睡蓮に覆われていた。


白い睡蓮の花が所々に咲いている。


内庭から東京ドーム方面を臨む。


10時38分、小石川後楽園東門に到着した。
皆さんも三々五々東門に集まった。


次の目的地伝通院を目指して小石川後楽園を後にして、


東京ドーム方面へ。


東京ドームを時計回りに進むと・・・


後楽園遊園地のジェットコースターが見えて来た。
ジェットコースターが轟音と共に走り抜ける度に「ギャー」という叫び声が辺りに響き渡る。
『今日は子供の日だからねっ』


東京ドームを通り過ぎ、


小石川後楽園の塀に沿って進む。


牛天神下交差点を渡り、


安藤坂方面へ。


間もなく安藤坂交差点だ。


安藤坂交差点を右に曲がり、緩やかな安藤坂を進む。
『広いよねぇ~この道』


この坂は伝通院前から神田川に下る坂である。江戸時代から幅の広い坂道であった。
傾斜は急であったが、明治42(1909)年に路面電車(市電)を通すにあたりゆるやかにされた。
坂の西側に安藤飛騨守の上屋敷があったことに因んで、戦前は「安藤殿坂」、戦後になって
「安藤坂」と呼ばれるようになった。
古くは坂下のあたりは入江で、漁をする人が坂上に網を干したことから、また江戸時代に
御鷹掛の組屋敷があって鳥網を干したことから「網干坂」とも呼ばれた。
文京区教育委員会 平成8年3月


11時11分、伝通院に到着した。
伝通院は、波乱の人生を送った徳川家康の生母・於大の方の菩提寺として知られている。


山門を潜って中に入ると・・・


正面に本堂が


本堂内部でお参りを済ませた。


於大の方の墓
於大の方は、慶長7年8月28日(1602年10月13日)、家康の滞在する伏見城で没した。
寺名は於大の方の院号・伝通院に由来しているとのこと。


『立派なお墓だねぇ』


女性の皆さんは日陰で一休み中だった。


伝通院を後にして小石川植物園を目指すことにした。


善光寺坂を下って行くと・・・巨大な老木があった。
文京区の特別天然記念物に指定されているムクノキだ。


樹高約13m(主幹約5m)、目通り幹周約5mを計る推定樹齢約400年の古木である。
第二次世界大戦中、昭和20年5月の空襲により樹木上部が焼けてしまったが、大正時代の
調査によると樹高は23mもあった。
文京区教育委員会


慈眼院前、


続いて小石川善光寺月参堂前の緩い坂道を下って行くと、


都道436号のとある交差点に出た。


交差点を渡って左にしばらく道なりに進む。


工事中の柳町小学校脇を通り、


幾つか角を曲がって進むと・・・


11時44分、小石川植物園に到着した。
入園料は通常500円のところ、20人以上の団体割引で350円となっている。
ここでも園内の見学は各自自由とし、13時00分にこの出入り口に集まってもらうことにした。
小石川後楽園の場合は見学時間は約30分間としたが、小石川植物園は園内も広いし、
植物の種類も多く見所も多いと聞いているので、倍以上の時間を採って13時ちょうどとした。
それでも時間が足りずにもっと見学したいという人は、ここで分かれることとした。


入口近くに精子が存在すると明らかにされたソテツが植えられている。
明治29年(1896年)当時に、東京農科大学助教授であった池野誠一郎博士は、裸子植物の
ソテツに精子が存在することを初めて明らかにしたとのこと。


坂道を上って行くと植物園本館の建物が。
関係者以外は立入禁止となっている。


本館前のヒマラヤスギの大木


メンデルの葡萄
遺伝学の基礎を築いたG. J. Mendel (1822-1884) が実験に用いた葡萄の分株とのこと。


ニュートン(Newton)のリンゴ
Newtonの生家にあったリンゴの木は、接ぎ木により各国の科学機関に分譲されていますが、
本園の株は、1964年に英国物理学研究所所長サザーランド卿から、日本学士院長 柴田雄次博士
に贈られたもの、と紹介されている。


イロハモミジの並木
『秋はきれだろうねっ』 『時期をあらためてまた来たいねっ』


精子発見のイチョウ
職員であった平瀬作五郎によって精子が発見されたことで特に有名とのこと。
イチョウには雄株・雌株があり、精子が発見された株は、なんと雌株なのだそう。
秋にはギンナンがたくさん実ります、と紹介されている。


ボダイジュ並木(ナツボダイジュ)
ユリノキやスズカケノキからなる巨木の並木が。
これらは明治時代に街路樹用樹木として試験的に植えられたものとのこと。


ボダイジュ並木(ヘラノキ)


ボダイジュ並木(モミジバスズカケノキ)


ボダイジュ並木(ユリノキ)
『ボダイジュってたくさんあるんだねっ』


『みんな大木で高いから首が疲れちゃうわよねっ』


日本庭園の案内標識があったので、日本庭園へ行ってみることにした。


石畳の坂道を下って行くと・・・


日本庭園の景色が現れた。
『やっぱりこの景色は落ち着くよねっ』
『日本に生まれて良かった!!』


日本庭園にカルミアという名の満開の花を付けた木があった。
自身としては初めて見る花(多分)である。


日本庭園の池に沿って進む。


花菖蒲が植えられていたが、花は未だ咲いていなかった。
『あと1か月後くらいには満開になるよねっ』


水カンナ


ちょっと歩き疲れたので、木陰で一休み。


太郎稲荷前を通り、


細くて急な階段を上って分類標本園へ。


分類標本園(1)
生きた植物をみて、植物の分類体系を学べるように、東アジアに分布する種を中心に、
約500種の代表的な植物が、ほぼドイツの植物分類者エングラーの分類体系に従って
植えられています、と紹介されている。


分類標本園(2)
また、東側(売店側)からシダ植物・双子葉植物・単子葉植物となっています。
現在最新の分類体系に従うように植え替えを行っています、とのこと。


続いて薬園保存園へ。
園内案内によると、小石川植物園は、もとは徳川幕府の薬園だったそう。
そのため、園内にはサネブトナツメ、カリン、サンシュユなど薬用に用いられた樹木が
残っている、とのこと。
薬用植物園では往事を記念して、当時ここで栽培されていた約120種の薬用植物を栽培
している、そうだ。


薬用植物(1)


薬用植物(2)


『けっこう見慣れたのがあるねぇ』


薬用植物(3)


薬用植物(4)


薬用植物(5)


薬園保存園の隣には売店があり、たくさんの人が休憩していた。


自動販売機も備えられている。


近くにあったベンチが空いたので、ちょっと一休みしよう。
お腹が空いてきたので配られたお菓子が美味しかった。


ソメイヨシノの広場ではあちこちで親子連れなどがビニールシートを広げて寛いでる姿が。
弁当などの持ち込みも自由のようだ。


間もなく集合時刻、最後に小石川養生所の井戸を見て帰ることにした。
案内板には享保7年(1722年)に設立された小石川養生所で使われた井戸で、水質が良く、
水量も豊富で大正12年(1923年)の関東大震災の時には、避難者の飲料水として多いに
役立ちました、とあった。


小石川養生所の井戸


植物園の入場門には既に皆さんが集まっていた。
時計は13時を少し回ったところで、皆さん時間どおりに行動してくれるので大いに助かる。
2名がもう少し植物園で時間を過ごしたいとのことなので、18名が植物園を後にした。


都道436号沿いに建つ共同印刷本社ビルを左手に見ながら道路を横断して播磨坂さくら並木へ。


播磨坂さくら並木
小石川植物園前の都道436号交差点から春日通りの小石川五丁目交差点までに設けられた道路
中央部分がさくら並木の公園となっている。
沢のような流れもある。


播磨坂さくら並木の緩やかな坂道を進む。


3月21日に下見で歩いた時はまだ満開とはいかなかったが、こんな感じだった。


播磨坂さくら並木の坂道を300mほど進み、


播磨坂桜並木の交差点を右に曲がり、


道なりに150mほど進み、区立一中裏交差点を左へ。


文京区第一中学校の前を進むと、


春日通りに出た。


信号を渡って100mほど進むと


13時28分、東京メトロ丸の内線茗荷谷駅に到着した。


東京メトロに乗ること凡そ15分、丸の内線の東京駅に到着した。


JR東京駅北口通路を通って八重洲地下街へ抜け、八重洲地下街で解散することにした。
八重洲地下街は予想以上に混んでいたが、何とか1軒の空いている店を見つけた。
12名が一緒になった。


席の準備で5分ほど待たされたが、12名全員が揃って座ることが出来た。
ほどなく一足先に注文した男性陣の生ビールが運ばれて来た。
女性陣には申し訳なかったが、 『かんぱ~いっ』 『お疲れさ~ん』


女性陣は一部の人を除き、飲物の注文は控えていたようだ。


『この1杯が美味しんだよなっ』


『お疲れさ~ん』


男性陣が注文したのは、天丼である。
あさりの味噌汁とご飯がお代わり自由とのこと。
味噌汁は全員がお代わりをした。


帰りの電車はかなり混んでいたが、柏駅から座ることが出来て一安堵。
16時38分、無事荒川沖駅に到着し帰路に就いた。

『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』

この日はJR総武線飯田橋駅を出発し、小石川後楽園・伝通院・小石川植物園を見学し、
東京メトロ丸の内線茗荷谷駅までを歩いた。
”東京自然を楽しむウォーキング”に紹介されていたコースだったが、小石川後楽園・伝通院・
小石川植物園を訪れたのは自身初めてである。(3月21日に下見で訪れたのは除く)

下見の時に両園とも入園料の団体割引が20人以上となっているのを確認した。
その時は、当会の現状からこの日の参加者は少なく見ても楽に20数名はいるだろう
と思っていたので、団体割引の件は問題ないだろうと高を括っていた。
しかし、この日土浦駅と荒川沖駅から乗った人が19名と分かった時には、正直言って
がっくりしたというのが本音である。

当初の当てが外れてがっくりしていたら、4月から入会した龍ヶ崎市の方が参加している
ことが分かり、胸を撫で下ろしたという次第。
小石川後楽園は65歳以上は半額なので大して問題はないが、小石川植物園は20名以上の
団体割引のみのため、この差は大きい。

この日の万歩計は、17,000歩超を計測していた。

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