ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

出雲大社常陸から稲田姫を巡る歴史探訪ウォーク

2014年10月17日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2014年10月17日(金)

毎週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
平成26年度第21回(2014年第31回)、「出雲大社から稲田姫を巡る」歴史探訪ウォーキングに参加した。


この日のコース地図
水戸線福原駅をスタートして、出雲大社常陸へ参拝した後、国道50号線を水戸方面へ。
西念寺・林照寺を経て稲田神社へ向かう。
その後は、ヤマタノオロチ神話に登場するスサノオノミコトの妃、稲田姫を祀った奥の院を探訪する。
御影石の採掘場を経て、水戸線稲田駅へ至る、全長約7.5Kmのコースである。


友部駅ホームで待っていると、4両編成の9時ちょうど発水戸線小山行き電車が入ってきた。


車内は、通勤通学時間帯は過ぎているのでご覧のように空いていた。
ほぼ1両が貸切状態である。


9時15分、スタート地点の福原駅に到着。


高架橋を渡る。
見晴しが良く、快晴なので、気分も爽快になる。


福原駅には1名が直行していた。
結局この日の参加者は21名となった。


体調を整え、駅前の駐車場で準備体操
3週間ぶりに会長が参加して、号令を掛ける。
『今日は空が眩しいねぇ』


9時27分、いつも元気なOさんを先頭に出発!


福原駅前の味処「井がわ」前を通過


福原駅近くの住宅地を通過すると、


国道50号線だ。


国道50号線を潜って右に折れると、出雲大社の大きな看板が目に入る。


後を振り返ると、加波山方面が。
なかなか見晴しの良い場所である。


出雲大社の一の鳥居
駅からここまで約9分、意外と近い。


坂道を上って行くと、二の大鳥居だ。その大きさに圧倒される。
全て御影石でできている。
『いやぁ これはでっかいなぁ』


大鳥居を潜って坂道を上ると、出雲大社の拝殿前に出た。
『しめ縄 凄~いっ』一斉に感嘆の声が上がる。
平成12年12月4日、日が沈み休まる国「日隅宮」と称される島根県・出雲大社から、
大国主大神の第2御子神である建御名方大神が鎮まる長野県諏訪大社を通り、
日が生まれる国・常陸国へと直線上で結ばれている御神縁の地福原に、
出雲大社常陸分社が御造営された。


狛犬(阿形)


大しめ縄は近くで見ると本当に凄い!
本家(島根県)とほぼ同じ大きさはあるだろう。
大しめ縄は、長さ16m、重さ6トンもある。


島根県出雲大社の大しめ縄(2011年5月19日撮影)


全員がお参りを済ませる。
ご祭神は縁結びで有名な大国主大神である。
高円宮家の次女典子さま(26)と、出雲大社権宮司の千家国麿さん(41)の結婚式が、
この10月5日に出雲市の出雲大社で行われたばかりなので記憶に新しい。


拝殿の脇に檜の大國柱(だいこくばしら)がある。
樹齢は2,650年で、直径は2m50Cmもあるそうだ。
平成四年の御造営に伴い、御神縁により、此の地に据えられた。
御祭神・大國主大神の”むすび”の御力を顕す”大國柱”と呼ぶに相応しい威容を誇る、とある。


しめ縄をバックに記念撮影をして、


国道50号線を稲田神社方面へ向かう。


国道50号線は、車がひっきりなしに通る。
(国道50号を通らない裏道があるのを後で知ったが、Yahooの地図ではズームを最大に拡大しても
それらしき道は見当たらなかったことを付記しておく)


『車には十分気をつけましょうっ!』


裏道を通ると、左側の道に出られるようになっていた筈だ。
しかし、国道50号から下には下りられないため、このまま進むしかない。


ようやく国道50号線から分かれて小路に入り、一安心。


関戸農村集落センターの先に関戸神社があった。


関戸神社へお参り。
神社の由緒には、「この宮は昔、手撫崎大明神と言い、奇稲田姫の両親手摩乳神・脚摩槌神の二神をお祭し、
手足の痛みに霊験あらたかで、衆人の尊敬厚く手指足袋の奉納山をなして、その数 万を越えたと云う」とある。


たくさんのわらじが奉納されていた。


ここで軽くお茶タイムして、


関戸神社を後にして、稲田神社を目指す。


国道50号を横断


国道50号を渡ったところに笠間市の石のモニュメントがあった。
石の町らしく、全て御影石で出来ている。


国道50号に並行して、田んぼの中を進む。
『のどかで素敵だわねぇ』


のんびりとした、田園風景の中を進む。
車はたまにしか通らない。


再び国道50号線を横断して少しばかり進むと、西念寺Pの看板があった。


西念寺の参道(国道50号方面)
杉や欅の大木が両側に聳え立ち、歴史を感じさせる。


参道の先に形の変わった山門が見える。


楼閣式の西念寺の山門だ。こういった形の山門は初めて見た。
浄土真宗発祥の聖地である。
越後配流を解かれた親鸞聖人が、この地の領主で弟子となった稲田九郎頼重に迎えられて、ここに草庵を結んだ。
貞永元年(1232)60歳で京都へ旅立つまで約20年間にわたり、この草庵を根拠とした。(説明板より)


境内を進むと本堂の前に親鸞が植えたと云われる「御葉つき銀杏」の大木がある。


親鸞聖人が草庵の庭に、銀杏の実を葉に包んで蒔いたところ、葉先に実った、そうである。
東大の向坂教授によると、世界的な珍種で天然記念物のお墨付きとのこと。
明治四年の大火で類焼したが、その後樹勢は回復した。


銀杏の木の周りには、ぎんなんがいっぱい落ちていた。


西念寺本堂
浄土真宗の宗祖・親鸞はこの地で『教行信証』の製作を開始し、草稿本を撰述したと伝えられる。
浄土真宗立教開宗の聖地として、真宗門徒の崇敬を集めている。


本堂の近くに立つ親鸞上人の石像。


西念寺幽楼
念佛法難で流罪となった法然と親鸞は、5年の後に被免となったが、法然は亡くなった。
弟子が集まって相談し、念佛興隆の後継者として親鸞にお願いしようとした。
当時、親鸞(善信房)は、流罪により越後にいた。弟子のひとりに元常陸の国宇都宮城主、後の実信房がいた。
実信房は、関東が安全な場所であると提案し、親鸞を庇護することになった。関東の諸大名もこれに従った。
親鸞は、この地を眺め六角堂夢想に似ていると喜んだ。
親鸞が稲田にこられた3つの縁は、
1.法然が亡くなったこと。
2.関東武士の庇護を得たこと。
3.この地が六角堂夢想に似ていたこと、があげられる。(説明板より)


神原の井(かんばらのいど
鹿島大明神 白髪の老翁となりて、親鸞聖人の法筵(ほうえん)につらなり。 
聞法髄喜(もんぽうずいき)のあまり御弟子となり、法名を釈信海と賜う。
老翁喜びのあまり、鹿島七つ井の一つを献ぜばやと大地を叩き給いしところ、忽然と清水湧き出でたり。
この水六月十四日減ずることあるも、案じ給うこと勿れと、今も猶(なお)旧暦六月十四日に此の不思議あり。
徳川光圀公いわれを聞き、喜びのあまり御影石の井筒を寄進せり。
(説明板より)


御杖杉
建保二年(1214)の頃、親鸞聖人越後の国府よりこの稲田にご来入あり。
南方に聳ゆる山々の景色を眺めさせられ、救世菩薩の夢告を受けたのはこの地なり。
草庵を結びて、衆生化益(しゅじょうけやく)の宿願を達せばやと、
御杖杉を深く挿し給いしところ、不思議にも根芽を生じ、大木となれり。
明治四年(1871)本堂焼失のとき類焼したるは、惜しむべきことなり。
水戸光圀公詠歌 老いの身の これぞ力のしるしとぞ つきとめにけり 庭の杖すぎ
(説明板より)


稲田御坊西門に「見返り橋」とあった。
『どこに見返り橋があるんだろうね?』


前方の田んぼの中、白っぽいのが”見返り橋”と思われる。
貞永元年(1232)、親鸞が、妻恵信尼と別れをされた橋のあったところ。
別れじを さのみなげなく 法の友 また会う国の ありと思えば」 と詠われている、そうだ。


西念寺を後にして参道を国道50号方面へ進むと、


直ぐ左手に林照寺がある。
親鸞聖人を宗祖とする浄土真宗単立寺院で、鎌倉時代に誠信房によって開基された。


茅葺のお御堂は、稲田草庵を忍ばせる精舎一宇として、聖人の{南無阿弥陀仏のいわれ}と{念仏往生の教え}
を人々に厚く伝承している。


林照寺を後にして、次の目的地稲田神社へ向かう。


太鼓橋を渡ると、


国道50号に出た。


林照寺から10分ほどで、稲田神社の鳥居に到着した。
出雲大社ほどの大きさはないが、これも御影石で出来ている。


石段を上って本殿へ。


拝殿
この神社は女神様ということで、女性の参拝者が多い、そうだ。
写っているのは女性ばかりだが、これはたまたまである。


本殿
水戸光圀公がこの地を訪れて、その衰退ぶりを嘆き、
四神旗を奉納し、復興に務めたと云われている、とのこと。


神社の先はグラウンドになっていて、地元のお年寄りがゲートボールを楽しんでいた。
その先は行き止まりと思い、いったん国道50号へ戻った。


稲田神社本宮址(奥の院)の案内板に従って、


本宮址(奥の院)へ向かうが、途中何も案内が見当たらない。


地元の人に場所を確認し、園家の前を通って奥の院へ。


11時45分、目指す奥の院に到着した。


奥の院は、一段高いところにあった。


稲田姫を祀ってある奥の院


奥の院の内部は簡素で質素であった。


奥の院から少し離れたところにも小さな祠があったが、何を祀っているのかは分からない。
合掌だけして、その場を後にした。


11時55分、そろそろお腹も空いてきた。
皆さん、あまり歩きたくない様子である。
みかげ石採石場への道とその近くに昼飯に相応しい公園がないか訊いているところ。
『直ぐ前の道を左手に行ったところに採石場があるよっ』
『公園は稲田神社裏にしかないねっ』


という訳で、昼飯場所を求めて、来た道を500mほど戻ると、稲田神社裏手のグラウンドへの道があった。


坂道を少し上ると、稲田神社裏手のグラウンドに到着
『国道50号を通らなくても良かったんだぁ』


早速、グラウンドの回りにあったベンチで弁当タイム


青空の下で食べる弁当は最高に美味しい!
(毎回同じ言いまわししか思いつかない)


12時42分、弁当も終わり、みかげ石採石場へ。


再び稲田姫奥の院近くを通り、採石場へ向かう。


小さな峠を越えると、左手に採石場が見えてきた。
手前の工場のような建物は、中野組石材㈱と思われる。
電車の都合上、現場に向かう時間がないため、ここから眺めるだけにした。


『現場はどんな感じなんだろうね?』


こんな感じ
(稲田駅「石の百年館」の展示写真)


こんな感じ
(稲田駅「石の百年館」の展示写真)


稲田駅へ向かう。
御影石をふんだんに使った中野組石材㈱の塀
『塀も凄く贅沢だねぇ』


中野組石材工業㈱の工場
稲田石は約6,500万年前に生成され、世界の御影石では最も若い石材と云われており、
中野組石材工業㈱を中心に東西8Km、南北6Kmにわたる通称「石切山脈」とよばれる一帯から産出される。


御影石の”五重塔”と”日本一の採掘場”の看板が印象的である。


採石場の遠望を見やりながら、


ゴールの稲田駅へ向かう。


『暑くもなく本当に良い天気だわぁ』


堂々と道いっぱいに広がって歩く。
『気持ちが良いもんだねっ』


右手に採石場を水源とする小さな流れを見ながら、稲田駅へ。


国道50号・稲田駅の表示が見えてきた。


国道50号を渡る。


しんでん橋を渡ると、


ゴールの稲田駅は目の前だ。


13時12分、稲田駅に到着。


水戸行き電車には少し時間があるので、駅隣の「石の百年館」へ。


「石の百年館」の内部見学


「石の百年館」の内部見学
『現場はこんなになってるんだぁ』


石の博物館の内部には、小さなホールもある。


稲田駅の待合室で一休み。


13時56分発の水友部行電車を待つ。


水戸線車内風景


友部駅で常磐線に乗り替えて、


帰路についた。
『皆さんっ 今日は大変お疲れさまでしたぁ』


茨城の「歴史探訪ウォーキング」推奨コースで、、自身としては初めてのコースだったが、見所も多く楽しめた。
高円宮家の次女典子さまと、出雲大社権宮司の千家国麿さんの結婚式が、
この10月5日に出雲大社で行われたばかりなので、記憶に残る例会になったと思う。
また、「歴史探訪ウォーキング」では紹介されていなかったが、親鸞聖人開宗の聖地である西念寺を訪問できたのは、
大きな収穫だった、と思う。
ウオーキングの楽しさを左右する天気に恵まれたのは、何よりも大きいことは言うまでもない。
車で直行したFさんが、弁当代わりに稲田駅近くの「蕎麦屋」で食べた蕎麦が『これまでで最高だった』と言うので、
是非一度食してみたいものである。


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