ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

日本100名城巡り No.90 平戸城

2018年08月17日 | ウマさんの「日本100名城巡り」
2018年8月17日(金)

この日訪れた平戸城は、長崎県平戸市にある城で、松浦氏の居城として知られている。
別称亀岡城・日の岳城(ひのたけじょう)とも呼ばれる。
三方を海に囲まれ天然の要害としている城で、本丸・二の丸・三の丸から構成された
梯郭式の平山城である。

11時32分、平戸観光交流センターに到着
平戸観光交流センターで平戸城や平戸市に関するパンフなどを入手。


平戸観光交流センターから平戸城の模擬天守が見える。


亀岡公園の案内MAPで天守閣や櫓の位置などを確認して、


先ずは北虎口門を目指して石段を上る。


坂道を上って行くと、


櫓のような建物が現れた。
北虎口門脇の狸櫓(たぬきやぐら)である。
平戸城では数少ない現存する建築物とのこと。


狸櫓の角を左に曲がると、北虎口門があった。
本丸北下に位置し、石垣と石垣の間に乗った「渡櫓」様式で、
宝永三年(1706)建造の城内に現存する唯一の木造遺構、とのこと。
改変されている部分が多いが、現存建物として貴重な存在だそうだ。


北虎口門と狸櫓


北虎口門の先に地蔵坂櫓がある。


北虎口門を潜り、城内へ。


北虎口門を内側から見たところ。


北虎口書院で入城料510円を払って城内へ。


北虎口書院前を左に曲がって石段を上ると、


正面に狸櫓がある。


狸櫓由来記
この建物の名称は正しくは「多門蔵」であるが、これまで誰も「多門蔵」とは呼ばず、
「狸櫓」とばかり呼ばれてきた。
その由来については、第35代藩主(松浦観中公煕ヒロム)が「亀岡随筆三十六」に
記している、とあるだけで、由来については何も記されていない。


狸櫓の内部は、平戸城に関する資料が展示されている。


平戸城の概略
慶長四年(1599)、松浦鎮信(しげのぶ)は三方を平戸瀬戸に囲まれた亀岡山に
日之嶽城を築いたが、幕府による改易を恐れて、慶長十八年(1613)に鎮信自ら
城を焼き捨てた。
以後、城は築かれなかったが、元禄十六年(1703)、藩主が寺社奉行に抜擢されたのを機に
新規築城を幕府に願い出て許された。
江戸時代中期、5代藩主・松浦棟(たかし)は、東シナ海警備の必要性もあり、
元禄十七年(1704)2月に日之嶽城跡に新たに築城を開始し、宝永四年(1707)に
平戸城が完成した。
明治四年(1871)、廃藩置県により廃城、山上部の建物は現存する北虎口門・狸櫓
を残して取り壊された。


代表的な櫓
本丸沖見櫓、二の丸見奏櫓、二の丸懐柔櫓、二の丸乾櫓、二の丸地蔵坂櫓、
三の丸大手二重櫓


代表的な城門
本丸二の門、北虎口門、二の丸安寿御門


平戸城古図の各櫓・門位置図


平戸城と山鹿流


狸櫓を出て土塀に沿って本丸へ向かう。
本丸・二の丸をはじめ、外郭ラインの至る所に山鹿流軍学による折れや屈曲が
施されている、とのこと。


北虎口門から延びる土塀に設けられた石挟間(石垣に開けられた挟間)


石段を上って行くと、


本丸櫓門が現れた。


本丸櫓門を潜って石段を上る。


本丸櫓門の櫓部分は、休憩所となっている。


本丸右手に平戸城模擬天守が聳える。
昭和37年(1962)、本丸北東隅に三重五階の模擬天守が建造された。
現在は城のシンボルとなっている。


1階で100名城スタンプを押し、城内へ。
城内展示(1)


城内展示(2)


城内展示(3)


城内展示(4)


城内展示(5)
平戸城縄張り模型


模擬天守最上階


模擬天守からの眺望(1)
平戸港・オランダ商館を望む。


模擬天守からの眺望(2)
見奏櫓


模擬天守からの眺望(3)
平戸瀬戸の急潮、黒子島が一望出来る。


模擬天守からの眺望(4)
懐柔櫓、平戸大橋方面を望む。
懐柔櫓は、模擬天守とともに昭和37年に築造されたもの。


模擬天守からの眺望(5)
本土と平戸島を結ぶ朱色の吊橋平戸大橋(全長665m)


模擬天守からの眺望(6)
乾櫓から平戸市街地を望む。


模擬天守からの眺望(7)
最教寺奥の院大師堂(三重塔)


模擬天守からの眺望(8)
平戸港と平戸市街地を望む。


模擬天守からの眺望(9)
聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂


平戸城遠景(1)
平戸瀬戸に突き出した亀岡山に築かれている。
左から見奏櫓、沖見櫓、模擬天守、乾櫓


平戸城遠景(2)
オランダ商館前から見たところ。


城内を回ってみよう。
見奏櫓・懐柔櫓の案内板に従って進む。


見奏櫓が見えて来た。


見奏櫓


見奏櫓内部の展示品(1)


見奏櫓内部の展示品(2)


見奏櫓内部の展示品(3)


見奏櫓内部の展示品(4)


懐柔櫓へは扉が閉まっていて行けなかった。


見奏櫓から模擬天守を望む。
右手に見えるのは、沖見櫓


再び模擬天守から本丸櫓門を通り抜け、


石段を下って北虎口書院方面へ。


北虎口書院裏の古井戸跡


案内板に従って地蔵坂櫓へ。


石段を上ると、


地蔵坂櫓があった。


地蔵坂櫓の内部は、民族文化財資料館として古い民具が展示してあった。
地蔵坂櫓内部の展示品(1)


地蔵坂櫓内部の展示品(2)


地蔵坂櫓内部の展示品(3)


地蔵坂櫓を後にして亀岡神社・乾櫓方面へ。


乾櫓


乾櫓から亀岡神社へ向かう途中、明治天皇の祖母中山愛子の像があった。
この像は、明治百年を記念し、明治天皇の祖母にあたる平戸出身の中山愛子姫(~1906)
を偲んで、昭和43年(1968)に建立された、とある。


亀岡神社神楽殿


亀岡神社


亀岡神社社殿


いったん乾櫓まで戻って地図を確認し、


槙並木へ。


槙街道
以下の説明が。
慶長四年(1599)に平戸瀬戸を望む丘の上に日の岳城が築かれた。
この槙並木は、その築城の頃植えられ、樹齢は400年は超えていると思われる。
この槙並木は、二の丸の石垣に沿って列をなしており、今では亀岡公園修景の
主役として聳え立つ平戸城と並ぶ名所として知られている。
槙の並木として、こうした大木が列植されているものは、他に例がないものである。


槙並木の先の亀岡神社二の鳥居から亀岡神社を望む。


亀岡神社二の鳥居


二ノ大手門(推定)


二ノ大手櫓跡(推定)


平戸ツツジ園


大手二ノ門辺り(推定)


大手一ノ門辺り(推定)


亀岡神社参道


亀岡神社一の鳥居


亀岡神社一の鳥居


亀岡神社(平戸城・亀岡公園)入口


平戸市内方面へ進み、
(実際には、この後市内観光を兼て平戸港近くで昼食を摂り、幸橋・オランダ商館・
最教寺三重塔などを見学し、平戸城へ戻った)


城内通りを進むと、


乾櫓が見えて来た。


テニスコート
この辺りは平戸城三の郭跡である。


乾櫓


乾櫓への登城口を過ぎると、


自由の広場平戸観光交流センターに到着した。


日本100名城巡りは、今回の平戸城で99番目となる。
残りは、1城(島原城)のみとなった。

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