ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

あらためて佐久の大杉に感動 八郷古代散策ロード

2022年06月10日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2022年6月10日(金)

隔週金曜日、主に地元土浦周辺を歩く「健康ウォーキング同好会」が主催する、
令和4年度(2022年度)第5回、令和4年(2022年)第7回、「八郷古代散策ロード(石岡市)
ウォーキングに参加した。

この日のコースは、2011年(平成23年)6月3日 と 2014年(平成26年)5月23日に歩いているので、
今回で3度目となる。

予定集合時刻より5分ほど遅れて、スタート地点となる石岡市八郷総合庁舎(旧八郷町役場)
に到着すると、既にかなりの人数の皆さんが集まっていた。


20名を少し超える人数を想定していたが、予想を大きく超える28名の参加者が集まった。


会からのお知らせや昼食場所(八郷の蕎麦店)の紹介等をし、出発の準備は整った。
Yahoo天気予報では、昼頃に一時的な小雨が予想されているので、出来ればその前に
戻って来たいところである。


10時16分、いつものように元気なTK会長(82)を先頭に出発!!


八郷総合庁舎前を通過。
『ほんと、立派な庁舎だよねぇ』


庁舎入口にはこの日のコース地図が立てられている。
(会員の皆さんには事前に配布済み)
『このコースは石岡市(八郷町)の観光の目玉でもあるんだろうねっ』


庁舎出口を右折して丸山古墳群方面へ。


左手に「丸山荘病院」を見ながら進むと、


恋瀬川に架かる高友橋を渡る。


高友橋から恋瀬川の下流方面を望む。


高友橋を渡り、”丸山古墳 350m” の案内に従って進む。
コースは随所に案内と距離が表示されているので、コースを迷うことなく歩ける。
また正確な距離が示されているので、これは助かる。
『心遣いが嬉しいよねっ』


案内に従って進むと、佐志能神社の鳥居が迎えてくれた。


佐志能神社への石段を上る。
『ずいぶん長い石段だねぇ』 運動不足の身体にいきなり100段は堪える。


約100段の石段を上り切ると・・・


10時33分、正面に佐志能神社の社殿があった。
『ようやく着いたって感じよねっ』


史蹟・丸山古墳と佐志能神社
高友の丸山丘陵の中央の丸山古墳と佐志能神社は、大和朝廷の東国討伐に大きな業績を残された
第十代崇神天皇第一皇子豊城入彦命の奥津城であり、命を奉斎した社として、古くから崇敬され
顕彰保存されてきた。
昭和五十五年 丸山古墳保存会 県文化財保護協会


佐志能神社の拝殿から内部を撮った写真
本殿入口には 平成二十五年 伊勢神宮式年遷宮 と書かれた垂れ幕が。
式年遷宮は20年に一度、東と西に並ぶ宮処を改めて、古例のままにご社殿や御装束神宝をはじめ
全てを新しくして、大御神にお遷りいただくお祭りのこと。
「皇家第一の重事、神宮無双の大営」とも称される日本で最大最高のお祭り、とされる。
この制度は約1300年前、天武天皇のご発意により始まり、持統天皇4年(690)に第1回が行われ、
平成25年(2013年)には62回目の遷宮が行われた。 


佐志能神社を後にして二子塚古墳(丸山4号墳)へ。
砂利道を進んで行くと・・・


10時39分、二子塚古墳(丸山4号墳)の案内表示があった。
『いやぁ 随分荒れてる感じだねぇ』


案内表示によると、二子塚古墳(丸山4号墳)は、
恋瀬川左岸の高友地区の背後に連なる50m~60mほどの丘陵部に所在し、丸山古墳(丸山1号墳)の
東方30mに位置する。
古墳としては、横穴式石室を有する中規模の前方後円墳である。
古墳の規模は、全長35m、後円部径20.5m・高さ3m、前方部端幅18m・高さ2.7m
と紹介されている。


横穴式石室は、草が生い茂っていて全く場所が分からない状態だった。
この写真は前回(2014年(平成26年)5月23日)訪れた時に撮ったもので、
石で塞がれた古墳の横穴石室の入口。


横穴式石室の入口の確認は諦めて、来た道を戻ることに。


佐志能神社前を通り過ぎて100mほど進むと・・・


丸山古墳、万葉歌碑の案内標識が。


緩やかな坂道を上って行くと・・・10時48分、丸山1号墳の入口に到着した。


説明板には、以下のように紹介されている。
丸山古墳は、八郷盆地の中央を流れる恋瀬川の流域に展開する広大な沖積地に南面して、
柿岡の高友丘陵の景勝の地に占める全長55m、高さ7mの前方後方墳で、古くから崇神天皇の
第一皇子豊城入彦命(とよきいりびこのみこと)の奥津城として伝承され、古墳近くに鎮座する
佐志能神社とともに顕彰されてきた。(以下略)
石岡市教育委員会
前方後方墳ってあまり聞いたことがないねぇ 珍しいよねぇ』


後方部の墳頂へ登ってみると、


墳頂にはひっそり一つの五輪塔が佇んでいた。


墳頂に立つと、方形なのか円形なのかは分かりづらい。


後方部と思しき所から一段低い前方部方面を観たところ。
前方後方という珍しい墳形に加え、副葬品の内容などから、4世紀後半の頃に築造された、
有力支配者の墳墓と考えられるとともに、茨城県下における代表的な古式古墳であることが
明らかになった、と案内されていた。


丸山古墳1号墳の上り口に万葉和歌の句碑(万葉集 巻四521)が建てられている。
庭に立つ 麻手刈り干し布さらす 東女を忘れ給ふな
(庭に茂り立つ麻を刈り干したり 布を晒したりする この東女をお忘れくださいますな)


丸山古墳1号墳を後にして、佐自塚古墳へ。


佐自塚古墳600m、佐久の大杉1.2Kmの案内標識に従って進む。


『こんな感じの道ばっかりだったら、歩き易いし疲れないんだけどね~っ』 同感!


杉の林を進む。


杉の林の緩い坂道を抜けると・・・


視界が開けて一面の田んぼに出た。
田んぼの先にこんもりとした森が見える。
目指す佐自塚古墳だ。


少し後続Gとの間隔が開いて来た。


少し待つと後続Gの一団が佐自塚古墳にやって来た。


ここで小休止して一息入れることにしよう。


小休止タイムは楽しいひと時である。


『ごちそうさま~っ いつも嬉しいよねっ』


11時17分、休憩場所の少し先に佐自塚古墳の説明板があった。


佐自塚古墳は、全長58m、後円部径35m・高さ6m、前方部幅27m・高さ4.3mの前方後円墳。
昭和38(1963)年に調査され、後円部中央墳頂下約1.5mの地点から全長約6mの粘土槨が
発見された。中から勾玉・管玉・竹櫛・土師器の壺などが出土。
不規則な透かしをもつ円筒埴輪も確認されており、東日本の埴輪の出現期の古墳として
注目する見方もある。
五世紀中葉前後の築造と推定される、と紹介されている。


佐自塚古墳の前方部


佐自塚古墳の後円部


後円部の墳頂に立つ祠を見つめる皆さん。
2011年(平成23年)6月3日に訪れた際に、恐らく東日本大震災の影響で倒れたままの状態
だったのを見兼ねて、Oさん(当時73歳)達が元の状態に戻したことを想い出しているところ。
『いやぁ 懐かしいなぁ』


佐自塚古墳を下りると前方に青々とした田んぼと筑波連山が見えた。
『癒されるねぇ 美しい景色だよねぇ』


次の目的地である佐久の大杉を目指し、田んぼに沿って佐久集落へ向かう。


前方に佐久の集落が見えて来た。


『ここを左に曲がると鹿島神社だったよねっ』


11時34分、鹿島神社の鳥居の後方に大きな杉の木が見えた。
『あら~っ まだ立派に立ってるわねぇ』


鹿島神社の鳥居を潜ると、


目の前に杉の大木が聳える。
『いやぁ これは凄いなぁ』 『立派だよねぇ』の声とともに、
『頑張ってるんだねぇ』 『私達も頑張らなきゃねっ』の声が相次いだ。


大杉の周りを巡る木道から見上げる。
『いやぁ ほんとこれは凄いよねっ』と感動の声が一段と大きくなった。


木道から見上げた佐久の大杉


皆さん説明板に見入って感心している様子。


茨城県指定天然記念物 佐久の大杉 (昭和十六年三月三十一日指定)
樹高28.6m・幹周り8.9m・推定樹齢千三百年
この大杉は、鹿島神社の御神木として、長い歳月にわたり地域の人々に親しまれ崇拝されてきました。
伝承によれば、神社が創建されたといわれる応永期(1394~1428)には、すでに千年に近い杉」
として知られていたといわれています。(以下略)
佐久の大杉保存会  石岡市教育委員会


あらためて佐久の大杉の雄姿を仰ぎ見て・・・


11時42分、鹿島神社を後にした。
『大杉に感動させられちゃったわねっ』


次の目的地八重天満神社へ向かう。


矢貝橋から恋瀬川の上流を望む。


恋瀬川に架かる矢貝橋を渡ると、


八重の集落がある。


立派な門の家である。まるでお寺のような佇まいである。
『これって普通の民家なのかねぇ?』


立派な門の家の先を右に曲がって道なりに進むと、


八重天満神社入口に到着した。
時計を見ると11時57分を回っていた。
ウォーキング後に八郷の美味しい蕎麦を食そうと思っていたのだが、このペースでは蕎麦店に
間に合わないことが予想される。
せっかく八郷へ来たのに美味しい蕎麦を食べそびれるのは何としても避けたい。
ここは少しでも時間を有効に使うため、八重天満神社への立ち寄りはパスすることに。


参考までに2014年(平成26年)5月23日に訪れた際に撮った写真を紹介する。




次の目的地である長堀2号墳を目指す。


集落の墓地前を通り過ぎると・・・


12時5分、長堀2号墳に到着した。


昭和47年2月、早稲田大学考古学研究室の市毛勲氏の指導によって測量調査が行われ、
その結果、主軸をやや西に寄せた丸山古墳とほぼ同一規模の前方後方墳と判明した、とある。
古墳の規模は、全長46m、後方部端幅30m・高さ3.5m、前方部端幅16m・高さ2mと案内されている。
発掘調査はまだ行われていない、とのこと。


墳頂へ上ってみるが、皆さん続いて上って来ようとしない。
あまりにも草ボウボウのため、皆さん墳頂へ上ることをためらっているようだ。
数人が上って来るのが見えた。


後方部から前方部を見たところ。


次の目的地長堀6号墳を目指す。


のどかな道を長堀6号墳へ。


12時16分、長堀6号墳に到着した。
何だかさっぱりとした形になっている。
墳頂に生えていた大木が見えないが、伐採されてしまったのだろう。


数人が石段を上り、墳頂を目指した。


墳頂に生えていた大木は伐採されていたが、小さな祠のようなものは残されていた。


墳頂からの眺望
『少し眺めが良くなったんじゃないっ?』


長堀6号墳を後にして、


稲荷神社で最後の休憩を摂ろうと思っていたが、このまま通過してゴールを目指すことにした。


ゴールの八郷総合庁舎を目指す。
ゴールまでは残り900m余だ。


小川橋を渡り、恋瀬川に沿って八郷総合庁舎方面へ。


『もう直ぐゴールだよねっ』


恋瀬川に架かる高友橋を右に曲がると、前方に八郷総合庁舎の建物が見えて来た。


八郷総合庁舎の入口に到着。


12時40分、ゴールの八郷総合庁舎に到着した。


TK会長から労いの言葉と挨拶があった。


『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
ここで解散とし、皆さんめいめいに好みの蕎麦店などへ向かった。


我々が向かったのは、八郷そば街道で紹介されている「中津川」だ。


自車の5名の他に3台(6名)の車が「中津川」へ。
計11名が集まったことになる。


霊山バスハイキングの際に運転を務めた城南交通の塚本さんから聞いていた、
”つけけんちんそば”(1,000円)を注文した。
美味しかったのは言うまでもない。


八郷古代散策ロードウォーキングが無事終了した。
今回が3回目となるが、前回(2014年5月23日)から8年という年月が経っていることからか、
コースの全てが新鮮に感じられた。
佐久の大杉の雄姿には感動を覚えるとともに、良くぞ無事に生育してくれていると感謝の念が
湧いて来た。
この先もまだまだ立派な姿を見せて欲しいと願わずにはいられない。

この日帰宅すると、別の嬉しいニュースが待っていた。
エンゼルスの大谷翔平選手が「2番・投手兼DH」でスタメン出場し、投げては7回4安打1失点、
打っては5回裏の12号逆転2ランを含む4打数2安打2打点と投打にわたる見事な活躍を披露。
7連勝中のレッドソックスを5対2で破り、球団史上ワーストの14連敗をストップさせた、
というものである。
この日のビールは殊の外美味かった。大谷翔平選手ありがとう! 乾杯!!

この日の万歩計は、11,500歩を計測していた。

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