ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

日光街道を歩く 第9回 徳次郎宿~今市宿

2013年09月17日 | ウマさんの「旧日光街道」を歩く
2013年9月17日(火)

2011年4月から12月にかけて旧水戸街道を、そして2012年2月から5月にかけて、成田街道を歩き終え、
仲間の方たちから次の”街道歩き”を望む声が次第に大きくなってきた。
Webなどを参考に検討を重ねた結果、大部分が日帰り可能な「日光街道」を歩くことにした。

7月・8月は暑いのでお休みとしていたが、猛暑日も影を潜めたこの時期に街道歩きを再開した。
会を重ねて、今回が9回目となり、目指す日光東照宮はもう目と鼻の先である。
これまでは日帰りだったが、今回は今市宿で宿泊し、翌日東照宮を目指すことにした。

水戸線友部駅で小山行き電車を待つ。


水戸線終点の小山駅で東北線宇都宮行きに乗り換える。
9時16分発の宇都宮行電車が到着。


東北線車内
この日の参加者は9名、最終回にしてはやや寂しい。


9時40分、出発地の宇都宮駅に到着。
この日は今市宿で一泊することから、後処理に困らないように駅弁を購入した。
隣のコンビニで弁当を買う人もいる。


宇都宮駅からスタート地点の「六本杉」まで関東バスを利用する。


10時5分、定刻どおり石那田行きバスがやってきた。


乗客は我々一行9人以外には2人が乗っただけ。
まるで貸切状態である。


10時47分、スタート地点の「六本杉」に到着した。
我々を下ろすとバスは空っぽの状態で走り去っていった。


準備体操は省略して、今市宿を目指して出発だ!
昨日は台風18号で朝まで大雨だったが、台風一過、雲一つない快晴である。


国道119号線を日光を目指して進む。
並木道の道路は車がひっきりなしに走って危険なため、桜並木に並行した歩道を進む。


昨日の台風18号の影響で収穫期を迎えたばかりの稲が倒れている。
『刈入れが大変なんだろうなぁ』


しばらくは国道119号線を進む。
並木道が途切れると民家、また暫くすると並木道、と云う具合に並木道と民家が交互に続く。


台風一過で、日差しは強い。
少しでも日差しが遮られる並木道を歩きたいのだが・・・


石那田一里塚
日本橋より30番目の一里塚である。
道路の反対側にあり、車がひっきりなしに走るため、写真撮影だけに留めた。


バス停の名称も”一里塚”となっている。


石那田一里塚の反対側(歩いている方)に、日光街道の植樹を記念する日光街道植樹記念碑があった。


日光街道植樹記念碑のすぐ横に天保十一年(1840)の建立とされる十九夜塔の如意輪観音が祀られていた。


六本杉停留所を出発してちょうど30分、日光(今市)まで13Kmの表示。
まだまだ先は長い。


さらに10分ほど進んだところに木陰があったので、水分補給のため一休みだ。


田川
台風18号による大雨の影響で川いっぱいに溢れんばかりの水が流れている。


田川大橋を渡ると・・・


左手に石那田八坂神社がある。
明暦元年(1655)の創建で、旧石那田村の鎮守である。


毎年7月17日~24日に厄除けの天王祭が行われているとのこと。


祭礼に繰り出される各集落の屋台は彫刻や提灯で豪華に飾られている。


並木道に沿って進む。


この辺りの並木は桜の木であるが、すぐ脇には雑木などもあって、森の中を歩いている気分だ。


栗の実なども落ちていて夢中で拾っているところ。
まさに実りの秋である。


りんごも赤く色づいている。美味しそうだ!


うらない地蔵
お地蔵さんの台座に3個の丸い石が置かれている。
願をかけた後、そのうちの1個を持ち上げ、軽ければ願いが叶うと云われている、そうだ。


『よいしょっと! これ意外と軽いわねっ』
願いごとが叶うかも・・・


道端に彼岸花が咲いていた。
気温はまだ高いが、秋を感じる。


12時24分、新渡神社(にわたりじんじゃ)に到着した。
鳥居の前に大きな欅の木が植えられている。
本殿はたくさんの杉の木に囲まれていた。


ここまで何事もなく来れたことに感謝しよう。


時間も12時半を回ったことだし、『ここで弁当にしましょうっ』
神社の社務所と公民館を兼ねた建物が日除けになり、弁当を食べるにはちょうど良い具合である。


宇都宮駅で買ったそぼろと鶏肉の駅弁(700円)は、なかなか美味かった。


日光社寺まで18Km、日光市街(今市)まで10Kmの表示。
『記念に撮っておこう』


”杉並木”の文字が入った看板が出てきた。
間もなく「日光街道杉並木」が始まるのだろうか。


道が二手に分かれていた。
左は国道119号のバイパスで車がひっきりなしに走っている。
ここは、右側を歩くべきであろう。


右手を少し進むと並木寄進碑が建てられていた。
松平正綱が杉並木を植栽して東照宮に寄進したことが記された石碑である。
この碑は日光神領の境界に建てられているので、境石と呼ばれている。
杉並木の起点となる神橋畔および、各街道の切れる今市市山口(日光街道)、同小倉(例幣使街道)、
同大桑(会津四街道)の4ヶ所に建っている、そうだ。


待ちに待った杉並木の始まりである。
車は杉並木に沿ったバイパスを通ることになっている。
杉並木は一応車は通れるが、一方通行になっており、車は極めて少ないことから、ここを歩くことにした。


杉並木の中は気温が低くて本当に気持ちが良い。
『杉並木を歩くのは最高の気分だわねっ』
『ここを歩かなきゃ日光街道を歩いたことにはならないよねっ』
次第に「日光街道」を歩いているんだという実感が湧いてきた。


杉並木があるところは、”保護地域”、住宅などがあるところは”普通地域”となっている。
特に保護が必要な場所は”特別保護地域”に指定されている。


119号線が全てバイパスになっている訳ではない。
バイパスのないところは杉並木に沿った草むらを歩く個所もある。
草むらを歩いていたら、何度か蛇を見掛けた。
『早くバイパスが出来ると良いわねぇ』


水無一里塚
日本橋より32里目の一里塚。
杉並木街道の中にあり、両塚とも僅かだが原型を残している。


水無の地蔵堂
ちょうど杉並木の途切れる付近に、数体の石仏などに取り囲まれるようにして、お堂が建っていた。


お堂の中には赤い頭巾と衣を着せられたお地蔵さんが祀られていた。


杉並木の右側を歩いたり、


左側を歩いたり、119号線を縫うように歩く。


バイパスが整備されているところは杉並木の真ん中を歩く。
一日も早くバイパスが完成し、歩道が整備されることを望むばかりである。


来迎寺(らいげいじ
今市宿の如来寺の末寺。永正十四年(1517)の創建、だそうである。


日光杉並木街道
日光街道・ 例幣使街道・会津西街道の三つの街道からなり、総延長37㎞ もある並木道。
古いものでは樹齢380年を超える杉の巨木が約12,500本も連なる壮大な並木で、我が国で唯一、
特別史跡と特別天然記念物の二重指定を受けている。
ギネスブックにも世界最長の並木道として掲載されるなど、貴重な文化遺産である。


旧今市市七本桜の一里塚
日光街道、33里目の一里塚である。
塚上の杉は、根元が腐って空洞ができており、大人4人程度ならば入れることから、並木ホテルと呼ばれている。


実際に空洞の中に入って見ると、5-6人は楽に入れる大きさである。
『いやぁ、この空洞はでかいねぇ』


JR日光線をくぐると・・・


今市宿の追分も近い。


16時4分、今市宿の”追分地蔵”に到着した。


地蔵堂の大きさは、東日本でも有数とのこと。
全員無事に到着できたことに心から感謝のお参りをしよう。
少し賽銭も弾んでおくことにした。


日光街道と日光例幣使街道との追分(分岐点)に位置していることから、”追分地蔵”の名で親しまれている。


この日宿泊する「ホテルつたや」は追分地蔵からほんの数分のところにあった。
16時11分、「ホテルつたや」に到着。
ほぼ予想していたとおりの時刻である。


チェックインの前にホテルの前で整理運動だ。
『いっちにっ さんっしっ』


ひと風呂浴びてさっぱりしたところで、夕食である。
『皆さん、大変お疲れさまでしたぁ』
『かんぱ~いっ!』


街道歩きで宿泊するのは初めてだが、いつものメンバーで顔なじみである。
これまで歩いてきた想い出に浸りながら話しに夢中になった。


部屋に戻った後も、話は続き、時の経つのも忘れ、遅くまで盛り上がった。


『明日は最終回、東照宮目指して頑張ろうっ』
足の古傷が痛んで、杖をついての歩行だったが、最後まで皆さんと一緒に楽しく元気にゴールを目指したい。


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コメント
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