2015年4月12日(日)
”ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」”では、2011年までは主に茨城県の「関東ふれあいの道」(全18コース)を歩いてきた。
『たまには県外を』という声が上がり、2012年は東京都の「関東ふれあいの道」(全7コース)を踏破した。
続いて2013年1月から2014年4月にかけて神奈川県の「関東ふれあいの道」(全17コース)に挑み、これも無事踏破した。
次は埼玉県(全13コース)を目指すことになり、2014年9月から開始した。
埼玉県の第8回目となる今回は、コースNo.13「高原牧場を通るみち」(約17.1Km)を歩いた。
秩父鉄道熊谷駅では秩父路遊々フリーきっぷ(1,440円)を購入することにした。
往:長瀞駅、復:皆野駅を片道づつ買うよりも140円安くなる。
そのためには、ゴールの高原牧場入口17:47発の皆野駅行きバスに乗る必要がある。
そのバスに間に合うことが条件である。
定刻の8時ちょうどに熊谷駅を出発した電車は、8時52分、長瀞駅に到着。
長瀞駅では満開の桜が迎えてくれた。
『いやぁ これは素晴らしいねぇ』
長瀞駅
この日のコースは、距離が長い(17.1Km)ので『体力に自信がない』、
との理由で2名が参加を見送り、参加者は6名となった。
体調を整え、9時4分、出発!
荒川沿いの桜並木を進む。
満開のときは素晴らしかっただろうことが想像できる。
車が少ないので、道路の中央を歩く。
『道路の真ん中を歩くのって気持ちが良いわね~っ』
桜の花びらが敷き詰められた絨毯のようである。
桜並木は1Km以上も続く。
『寺にしては門が開いてないねぇ』
9時22分、金石水管橋を渡る。
金石水管橋は、児童が書いた作文を基に昭和53年(1978)起工、昭和56年(1981)竣工した橋で、
橋長157.50m、総幅員3.20m、有効幅員2.0m、とのこと。
長瀞町の荒川を隔てた東部と西部を結ぶ橋の一つで、地域住民の生活道路の他、
長瀞観光にも利用される橋でもあり、人が渡れる橋としては最も上流側に位置している。(Wikipedia)
荒川の上流は、長瀞だ。
長瀞ライン下りを楽しむ人達も。
荒川を渡り、道標に従って、右折して上流方面へ。
のどかな風景の中を進む。
鮮やかな色彩が目を引く。
『きれいな桃の花だわねぇ』
桜並木を進む。
県道82号線を横断し、荒川の支流に沿って塞神峠を目指す。
芽吹いたばかりの新緑が美しい。
道端にカタクリを見つけたが、既に開花期は終わっていた。
荒川の支流に沿って進む。
荒川の支流に沿った道が終わると、舗装道路に出た。
道端にはミツバツツジや
ヤマブキが目を楽しませてくれる。
塞神峠への道は、突然つづら折りの坂道になる。
急坂の道をしばらく道なりに進むと、視界が開けた。
緑に色づき始めた周囲の山々が美しい。
民家の庭に植えられた桃や桜などの間から宝登山方面を望む。
後方には、両神山も見える。
てっきりこの辺りが塞神峠だと思い込み、小休止しているところ。
小休止の後、緩やかな上りが続く舗装道路に・・・『????』
『まだ塞神峠まで来てなかったようだねっ』
勘違いしていたことに気がついた。
見晴しの良い場所に出た。
正面に宝登山が見える。
『見晴らしが素晴らしいって書いてあったから、ここが塞神峠かなぁ?』
さらに歩くこと10分の10時50分、ようやく塞神峠に到着した。
長瀞駅を出発して、1時間50分が経過していた。
『けっこう時間がかかったねぇ』
釜山神社方面からやって来たオートバイの若者が、目の前でスリップして転倒してしまった。
『大丈夫?』
声を掛けるも一人で起すのには難儀な様子だったので、4人がかりでオートバイを起してやった。
「FOREST TRAIL」なる UNITED AREAを通り過ぎたところに展望台があった。
皆野町市街地と宝登山、破風山、遠方には両神山が一望できる。
少し霞んではいるが、雪を被った浅間山も見えた。
ふたたび舗装道路を進むと、何やらゴチャゴチャと書かれた得体の知れない案内があった。
”荻根登山口””荻根巡礼里山展望台”などの文字が見える。
ここで寄り道をしている時間はない。
案内に従って舗装道路から逸れて釜山神社への道を上る。
急な坂道が続く。
杉並木の参道?のような小径を進むと、
11時25分、釜山神社に到着した。
第9代開花天皇の皇子、日之雅皇子命が武蔵野国を巡幸した折、釜伏山・奥の院において祠を建て、
旅の安全と国内の平定安康を祈ったのが始まりと云われている。
その後、日本武尊が巡幸した折、この神社に立ち寄って山頂において神様に供える粥を釜で焚かれ、
この釜を神体岩上に伏せ願望成就の祈りをしたと伝えられ、このことから「釜伏山」「釜山神社」
の名が付けられたと云われている。
釜山神社
釜伏峠への参道を進むと、両側にいろいろな形の石碑が置かれている。
社の名称に関係したものか、横に向けた釜があった。
参道の一の鳥居
ここにも狛犬があるが、稲荷神社ではないところから、狐ではなさそう・・・
参道のあちこちに狛犬が見られる。
秩父地方には狛犬ではなく狼を神犬とする神社が10数社ある、そうだ。
いわゆる真神という古名は現在は絶滅してしまった日本狼が神格化したものといい、
別名大口真神(おおぐちまかみ)とも呼ばれる、とのこと。
真神は古来より聖獣として崇拝され、大和国にある飛鳥の真神原の老狼は、大勢の人間を食べてきたため、
その獰猛さから神格化され、猪や鹿から作物を守護するものとされた。
この大口真神を御祭神とする社が釜伏峠に鎮座する釜山神社であり、
この社は三峰神社に次ぎ狼像が多い社としても有名だそうだ。
『これ狼だったんだぁ』
釜山神社を過ぎると、再び舗装された道路に出た。
釜伏峠である。
舗装道路から左に逸れて、皇鈴山(みすずやま)への道を進む。
坂道の途中に朽ちかけたおみやげ・軽喫茶店の建物が見える。
かつては観光牧場などで繁盛していたのだろう。
牛魂慰霊碑はかつて牧場があったことを証明している。
皇鈴山への道を進む。
『いやぁ この坂道は厳しいねぇ』
『この坂道は堪えたわぁ』
11時56分、皇鈴山の一つ手前の登谷山(668m)に到着した。
登谷山山頂からの見晴し。
東武竹沢方面か?
登谷山山頂からの見晴し。
寄居町方面
『お昼まだぁ?』 弁当タイム催促の声が上がる。
お腹は空いてきたが、弁当は皇鈴山に着いてからにしたい。
『皇鈴山までもう少し、もうちょっと頑張って歩きましょう』
目指す皇鈴山は近い。目の前である。
皇鈴山からは、ほぼ下りのみになるので、今のうちに出来るだけ距離を稼いでおきたい。
皇鈴山(みすずやま)を目指す。
皇鈴山への上りの道が始まる。
左手には見晴しの良い景色が広がる。
12時25分、皇鈴山(679m)に到着した。
東屋の前では、数組の家族連れが昼食の最中だった。
我々もこの辺りで弁当にしよう。
『いやぁ お腹が空いてたからほんと美味いよっ』
昼食後の13時ちょうど、先ずは撮影ポイントの二本木峠を目指す。
皇鈴山からは下りなので楽だ。
峠らしき場所に出たが、二本木峠ではなさそう。
二本木峠はもう少し先だった。
皇鈴山が最後の上りかと思ったら、もう一つ上りがあった。
二本木峠の手前の愛宕山への上りである。
それほど高くはないが、昼食後は身体が重い。
『この日最後の上りだよねっ?』
13時17分、愛宕山に到着。
愛宕山を少し下ったところに天体観測の小さな建物があった。
『この中に天体望遠鏡があんのかな?』
山道を下って行くと、横を舗装道路が走っており、その先に標識らしきものが見えてきた。
13時23分、二本木峠に到着した。
日本武尊が地面に突き刺した箸が木になったのが、二本木峠の名の由来であると言われている。
ここで、全員の証明写真を撮影。
後は3.3Km先の粥仁田峠を経て、ゴールの高原牧場入口バス停を目指すだけである。
遠くの秩父連山の山並みを見ながら25分ほど進むと、
埼玉県秩父高原牧場が見えて来た。
13時52分、埼玉県秩父高原牧場前を通過。
「彩の国ふれあい牧場」案内書付近を通過
「彩の国ふれあい牧場」
動物広場や放牧広場などがあり、子供連れの家族で賑わっていた。
放牧広場では、農家から生後6カ月~12カ月齢の雌子牛を預かって放牧し、健康で体力のある牛を育てている、とのこと。
こちらでは、柵の中にたくさんの牛がいた。
預かった牛が優良な血統を持つ子牛を産むように人工授精などをしているのではと思われる。
『素晴らしい眺めだわねぇ』
東秩父村・小川町方面の山並みが連なる。
「彩の国ふれあい牧場」を後にして、次は粥仁田峠を目指す。
14時21分、粥仁田峠に到着。
伝承として、日本武尊が粥を煮たのが粥新田(かゆにた)峠であると言われている。
ここ粥仁田峠は、「関東ふれあいの道」No.5「大霧山に登るみち」の分岐点になっている。
2015年9月に予定しているコースである。
大霧山への道と分かれて、高原牧場入口バス停を目指す。
熊笹に覆われた道を進む。
『この道合ってんのかしらぁ』
道無き道を進む、と言った感じである。
時々現れる「関東ふれあいの道」の道標が心強い。
この日初めて見た道標だ。
あまり人が通らないためか、倒木は道を塞いだままの状態だ。
山道を下ること40分、ようやく民家が見えてきた。
ツツジの花に癒される。
さらに下ること10分、前方に集落が見えて来た。
見覚えのある三沢地区の集落だ。中腹に常楽寺が見える。
仲間の顔にも笑顔が戻ってきた。
『ゴールはもう直ぐだよねっ』
満開状態の桜に迎えられて、気分は最高である。
寺山子安観音の延命地蔵尊にこの日の無事を感謝しておこう。
15時20分、高原牧場入口バス停に到着。
何と、17時47分発の皆野駅行きでよし、としていたのが、2時間以上も早く着いてしまった。
こうなったら、15時40分発の西武秩父行きバスに乗ることに決めた。
ここで2時間以上待つより、秩父駅で秩父鉄道に乗れば、熊谷にはその方が早く着くだろう。
バス到着まで、まだ少し時間がある。
バス停でしばし寛ぐ。
たまたま通りかかった地元のおじいさん・おばあさんにもお裾分け。
我々が休憩しているうちに、常楽寺方面から下りて来た他の10名ほどのグループに先に並ばれてしまった。
座って行けるか少々心配になってきたが・・・・
待つこと20分、約10分遅れで西武秩父行きバスがやって来た。
幸いなことにバスには誰も乗っていなかった。
先客も含めて全員ゆったりと座れ、一安心。
16時23分、秩父鉄道駅に到着。
16時39分発の熊谷行きがあったが、急行である。
”フリーきっぷ”の他に200円が必要とのこと。
ここは奮発して200円払って急行を利用することで意見が一致。
秩父駅のホームでしばし電車を待つ。
『予定より早く帰れるのが良いねっ』
武甲山が『またおいで』と言っているようだ。
急行電車の車内は空いていた。
座席は広く思ったよりも快適であった。
『これって素敵じゃないっ』『小旅行している気分だよねっ』
『これで200円は安いよねっ』
皆さん大満足の様子。
秩父駅からちょうど50分で熊谷駅に到着。
熊谷駅で高崎線(東海道線直通の小田原行き)に乗り替え、上野駅へ。
『今日は天気も良かったし、コースもそんなにきつくはなかったしねっ』
『皆さん、今日は大変お疲れ様でしたぁ』
「関東ふれあいの道」(埼玉県)第八回目、コースNo.13「高原牧場を通るみち」(約17.1Km)を歩き終わった。
この日のコースは、これまでで一番距離が長く、”健脚向き”ということもあり、最後まで歩けるか不安があったが、
高低差があまりなく、後半は下りのみだったため、何とか歩き切ることができた。
前日までは雨だったが、天気にも恵まれ、気持ち良く歩けた。
次回はNo.12「グリーンラインに沿ったみち」は、22Kmとこれまでの最長距離コースが待ち構えている。
一都六県にわたる「関東ふれあいの道」の中でもこれほど長い距離は他に見当たらない。
次回は相当厳しいものになると思われるが、万全の体調で挑むことにしたい。
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”ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」”では、2011年までは主に茨城県の「関東ふれあいの道」(全18コース)を歩いてきた。
『たまには県外を』という声が上がり、2012年は東京都の「関東ふれあいの道」(全7コース)を踏破した。
続いて2013年1月から2014年4月にかけて神奈川県の「関東ふれあいの道」(全17コース)に挑み、これも無事踏破した。
次は埼玉県(全13コース)を目指すことになり、2014年9月から開始した。
埼玉県の第8回目となる今回は、コースNo.13「高原牧場を通るみち」(約17.1Km)を歩いた。
秩父鉄道熊谷駅では秩父路遊々フリーきっぷ(1,440円)を購入することにした。
往:長瀞駅、復:皆野駅を片道づつ買うよりも140円安くなる。
そのためには、ゴールの高原牧場入口17:47発の皆野駅行きバスに乗る必要がある。
そのバスに間に合うことが条件である。
定刻の8時ちょうどに熊谷駅を出発した電車は、8時52分、長瀞駅に到着。
長瀞駅では満開の桜が迎えてくれた。
『いやぁ これは素晴らしいねぇ』
長瀞駅
この日のコースは、距離が長い(17.1Km)ので『体力に自信がない』、
との理由で2名が参加を見送り、参加者は6名となった。
体調を整え、9時4分、出発!
荒川沿いの桜並木を進む。
満開のときは素晴らしかっただろうことが想像できる。
車が少ないので、道路の中央を歩く。
『道路の真ん中を歩くのって気持ちが良いわね~っ』
桜の花びらが敷き詰められた絨毯のようである。
桜並木は1Km以上も続く。
『寺にしては門が開いてないねぇ』
9時22分、金石水管橋を渡る。
金石水管橋は、児童が書いた作文を基に昭和53年(1978)起工、昭和56年(1981)竣工した橋で、
橋長157.50m、総幅員3.20m、有効幅員2.0m、とのこと。
長瀞町の荒川を隔てた東部と西部を結ぶ橋の一つで、地域住民の生活道路の他、
長瀞観光にも利用される橋でもあり、人が渡れる橋としては最も上流側に位置している。(Wikipedia)
荒川の上流は、長瀞だ。
長瀞ライン下りを楽しむ人達も。
荒川を渡り、道標に従って、右折して上流方面へ。
のどかな風景の中を進む。
鮮やかな色彩が目を引く。
『きれいな桃の花だわねぇ』
桜並木を進む。
県道82号線を横断し、荒川の支流に沿って塞神峠を目指す。
芽吹いたばかりの新緑が美しい。
道端にカタクリを見つけたが、既に開花期は終わっていた。
荒川の支流に沿って進む。
荒川の支流に沿った道が終わると、舗装道路に出た。
道端にはミツバツツジや
ヤマブキが目を楽しませてくれる。
塞神峠への道は、突然つづら折りの坂道になる。
急坂の道をしばらく道なりに進むと、視界が開けた。
緑に色づき始めた周囲の山々が美しい。
民家の庭に植えられた桃や桜などの間から宝登山方面を望む。
後方には、両神山も見える。
てっきりこの辺りが塞神峠だと思い込み、小休止しているところ。
小休止の後、緩やかな上りが続く舗装道路に・・・『????』
『まだ塞神峠まで来てなかったようだねっ』
勘違いしていたことに気がついた。
見晴しの良い場所に出た。
正面に宝登山が見える。
『見晴らしが素晴らしいって書いてあったから、ここが塞神峠かなぁ?』
さらに歩くこと10分の10時50分、ようやく塞神峠に到着した。
長瀞駅を出発して、1時間50分が経過していた。
『けっこう時間がかかったねぇ』
釜山神社方面からやって来たオートバイの若者が、目の前でスリップして転倒してしまった。
『大丈夫?』
声を掛けるも一人で起すのには難儀な様子だったので、4人がかりでオートバイを起してやった。
「FOREST TRAIL」なる UNITED AREAを通り過ぎたところに展望台があった。
皆野町市街地と宝登山、破風山、遠方には両神山が一望できる。
少し霞んではいるが、雪を被った浅間山も見えた。
ふたたび舗装道路を進むと、何やらゴチャゴチャと書かれた得体の知れない案内があった。
”荻根登山口””荻根巡礼里山展望台”などの文字が見える。
ここで寄り道をしている時間はない。
案内に従って舗装道路から逸れて釜山神社への道を上る。
急な坂道が続く。
杉並木の参道?のような小径を進むと、
11時25分、釜山神社に到着した。
第9代開花天皇の皇子、日之雅皇子命が武蔵野国を巡幸した折、釜伏山・奥の院において祠を建て、
旅の安全と国内の平定安康を祈ったのが始まりと云われている。
その後、日本武尊が巡幸した折、この神社に立ち寄って山頂において神様に供える粥を釜で焚かれ、
この釜を神体岩上に伏せ願望成就の祈りをしたと伝えられ、このことから「釜伏山」「釜山神社」
の名が付けられたと云われている。
釜山神社
釜伏峠への参道を進むと、両側にいろいろな形の石碑が置かれている。
社の名称に関係したものか、横に向けた釜があった。
参道の一の鳥居
ここにも狛犬があるが、稲荷神社ではないところから、狐ではなさそう・・・
参道のあちこちに狛犬が見られる。
秩父地方には狛犬ではなく狼を神犬とする神社が10数社ある、そうだ。
いわゆる真神という古名は現在は絶滅してしまった日本狼が神格化したものといい、
別名大口真神(おおぐちまかみ)とも呼ばれる、とのこと。
真神は古来より聖獣として崇拝され、大和国にある飛鳥の真神原の老狼は、大勢の人間を食べてきたため、
その獰猛さから神格化され、猪や鹿から作物を守護するものとされた。
この大口真神を御祭神とする社が釜伏峠に鎮座する釜山神社であり、
この社は三峰神社に次ぎ狼像が多い社としても有名だそうだ。
『これ狼だったんだぁ』
釜山神社を過ぎると、再び舗装された道路に出た。
釜伏峠である。
舗装道路から左に逸れて、皇鈴山(みすずやま)への道を進む。
坂道の途中に朽ちかけたおみやげ・軽喫茶店の建物が見える。
かつては観光牧場などで繁盛していたのだろう。
牛魂慰霊碑はかつて牧場があったことを証明している。
皇鈴山への道を進む。
『いやぁ この坂道は厳しいねぇ』
『この坂道は堪えたわぁ』
11時56分、皇鈴山の一つ手前の登谷山(668m)に到着した。
登谷山山頂からの見晴し。
東武竹沢方面か?
登谷山山頂からの見晴し。
寄居町方面
『お昼まだぁ?』 弁当タイム催促の声が上がる。
お腹は空いてきたが、弁当は皇鈴山に着いてからにしたい。
『皇鈴山までもう少し、もうちょっと頑張って歩きましょう』
目指す皇鈴山は近い。目の前である。
皇鈴山からは、ほぼ下りのみになるので、今のうちに出来るだけ距離を稼いでおきたい。
皇鈴山(みすずやま)を目指す。
皇鈴山への上りの道が始まる。
左手には見晴しの良い景色が広がる。
12時25分、皇鈴山(679m)に到着した。
東屋の前では、数組の家族連れが昼食の最中だった。
我々もこの辺りで弁当にしよう。
『いやぁ お腹が空いてたからほんと美味いよっ』
昼食後の13時ちょうど、先ずは撮影ポイントの二本木峠を目指す。
皇鈴山からは下りなので楽だ。
峠らしき場所に出たが、二本木峠ではなさそう。
二本木峠はもう少し先だった。
皇鈴山が最後の上りかと思ったら、もう一つ上りがあった。
二本木峠の手前の愛宕山への上りである。
それほど高くはないが、昼食後は身体が重い。
『この日最後の上りだよねっ?』
13時17分、愛宕山に到着。
愛宕山を少し下ったところに天体観測の小さな建物があった。
『この中に天体望遠鏡があんのかな?』
山道を下って行くと、横を舗装道路が走っており、その先に標識らしきものが見えてきた。
13時23分、二本木峠に到着した。
日本武尊が地面に突き刺した箸が木になったのが、二本木峠の名の由来であると言われている。
ここで、全員の証明写真を撮影。
後は3.3Km先の粥仁田峠を経て、ゴールの高原牧場入口バス停を目指すだけである。
遠くの秩父連山の山並みを見ながら25分ほど進むと、
埼玉県秩父高原牧場が見えて来た。
13時52分、埼玉県秩父高原牧場前を通過。
「彩の国ふれあい牧場」案内書付近を通過
「彩の国ふれあい牧場」
動物広場や放牧広場などがあり、子供連れの家族で賑わっていた。
放牧広場では、農家から生後6カ月~12カ月齢の雌子牛を預かって放牧し、健康で体力のある牛を育てている、とのこと。
こちらでは、柵の中にたくさんの牛がいた。
預かった牛が優良な血統を持つ子牛を産むように人工授精などをしているのではと思われる。
『素晴らしい眺めだわねぇ』
東秩父村・小川町方面の山並みが連なる。
「彩の国ふれあい牧場」を後にして、次は粥仁田峠を目指す。
14時21分、粥仁田峠に到着。
伝承として、日本武尊が粥を煮たのが粥新田(かゆにた)峠であると言われている。
ここ粥仁田峠は、「関東ふれあいの道」No.5「大霧山に登るみち」の分岐点になっている。
2015年9月に予定しているコースである。
大霧山への道と分かれて、高原牧場入口バス停を目指す。
熊笹に覆われた道を進む。
『この道合ってんのかしらぁ』
道無き道を進む、と言った感じである。
時々現れる「関東ふれあいの道」の道標が心強い。
この日初めて見た道標だ。
あまり人が通らないためか、倒木は道を塞いだままの状態だ。
山道を下ること40分、ようやく民家が見えてきた。
ツツジの花に癒される。
さらに下ること10分、前方に集落が見えて来た。
見覚えのある三沢地区の集落だ。中腹に常楽寺が見える。
仲間の顔にも笑顔が戻ってきた。
『ゴールはもう直ぐだよねっ』
満開状態の桜に迎えられて、気分は最高である。
寺山子安観音の延命地蔵尊にこの日の無事を感謝しておこう。
15時20分、高原牧場入口バス停に到着。
何と、17時47分発の皆野駅行きでよし、としていたのが、2時間以上も早く着いてしまった。
こうなったら、15時40分発の西武秩父行きバスに乗ることに決めた。
ここで2時間以上待つより、秩父駅で秩父鉄道に乗れば、熊谷にはその方が早く着くだろう。
バス到着まで、まだ少し時間がある。
バス停でしばし寛ぐ。
たまたま通りかかった地元のおじいさん・おばあさんにもお裾分け。
我々が休憩しているうちに、常楽寺方面から下りて来た他の10名ほどのグループに先に並ばれてしまった。
座って行けるか少々心配になってきたが・・・・
待つこと20分、約10分遅れで西武秩父行きバスがやって来た。
幸いなことにバスには誰も乗っていなかった。
先客も含めて全員ゆったりと座れ、一安心。
16時23分、秩父鉄道駅に到着。
16時39分発の熊谷行きがあったが、急行である。
”フリーきっぷ”の他に200円が必要とのこと。
ここは奮発して200円払って急行を利用することで意見が一致。
秩父駅のホームでしばし電車を待つ。
『予定より早く帰れるのが良いねっ』
武甲山が『またおいで』と言っているようだ。
急行電車の車内は空いていた。
座席は広く思ったよりも快適であった。
『これって素敵じゃないっ』『小旅行している気分だよねっ』
『これで200円は安いよねっ』
皆さん大満足の様子。
秩父駅からちょうど50分で熊谷駅に到着。
熊谷駅で高崎線(東海道線直通の小田原行き)に乗り替え、上野駅へ。
『今日は天気も良かったし、コースもそんなにきつくはなかったしねっ』
『皆さん、今日は大変お疲れ様でしたぁ』
「関東ふれあいの道」(埼玉県)第八回目、コースNo.13「高原牧場を通るみち」(約17.1Km)を歩き終わった。
この日のコースは、これまでで一番距離が長く、”健脚向き”ということもあり、最後まで歩けるか不安があったが、
高低差があまりなく、後半は下りのみだったため、何とか歩き切ることができた。
前日までは雨だったが、天気にも恵まれ、気持ち良く歩けた。
次回はNo.12「グリーンラインに沿ったみち」は、22Kmとこれまでの最長距離コースが待ち構えている。
一都六県にわたる「関東ふれあいの道」の中でもこれほど長い距離は他に見当たらない。
次回は相当厳しいものになると思われるが、万全の体調で挑むことにしたい。
”ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」の目次”へ