ウマさんの気ままな行動日記(その2)

ウォーキング、ハイキング、釣り、ドライブ、100名城巡りなどをレポートします。

関東ふれあいの道(埼玉) No.13「高原牧場を通るみち」

2015年04月12日 | ウマさんの「関東ふれあいの道」を歩く
2015年4月12日(日)

”ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」”では、2011年までは主に茨城県の「関東ふれあいの道」(全18コース)を歩いてきた。
『たまには県外を』という声が上がり、2012年は東京都の「関東ふれあいの道」(全7コース)を踏破した。
続いて2013年1月から2014年4月にかけて神奈川県の「関東ふれあいの道」(全17コース)に挑み、これも無事踏破した。
次は埼玉県(全13コース)を目指すことになり、2014年9月から開始した。

埼玉県の第8回目となる今回は、コースNo.13「高原牧場を通るみち」(約17.1Km)を歩いた。

秩父鉄道熊谷駅では秩父路遊々フリーきっぷ(1,440円)を購入することにした。
往:長瀞駅、復:皆野駅を片道づつ買うよりも140円安くなる。
そのためには、ゴールの高原牧場入口17:47発の皆野駅行きバスに乗る必要がある。
そのバスに間に合うことが条件である。


定刻の8時ちょうどに熊谷駅を出発した電車は、8時52分、長瀞駅に到着。


長瀞駅では満開の桜が迎えてくれた。
『いやぁ これは素晴らしいねぇ』


長瀞駅


この日のコースは、距離が長い(17.1Km)ので『体力に自信がない』、
との理由で2名が参加を見送り、参加者は6名となった。


体調を整え、9時4分、出発!


荒川沿いの桜並木を進む。
満開のときは素晴らしかっただろうことが想像できる。


車が少ないので、道路の中央を歩く。
『道路の真ん中を歩くのって気持ちが良いわね~っ』


桜の花びらが敷き詰められた絨毯のようである。
桜並木は1Km以上も続く。


『寺にしては門が開いてないねぇ』


9時22分、金石水管橋を渡る。
金石水管橋は、児童が書いた作文を基に昭和53年(1978)起工、昭和56年(1981)竣工した橋で、
橋長157.50m、総幅員3.20m、有効幅員2.0m、とのこと。


長瀞町の荒川を隔てた東部と西部を結ぶ橋の一つで、地域住民の生活道路の他、
長瀞観光にも利用される橋でもあり、人が渡れる橋としては最も上流側に位置している。(Wikipedia)


荒川の上流は、長瀞だ。


長瀞ライン下りを楽しむ人達も。


荒川を渡り、道標に従って、右折して上流方面へ。


のどかな風景の中を進む。


鮮やかな色彩が目を引く。
『きれいな桃の花だわねぇ』


桜並木を進む。


県道82号線を横断し、荒川の支流に沿って塞神峠を目指す。


芽吹いたばかりの新緑が美しい。


道端にカタクリを見つけたが、既に開花期は終わっていた。


荒川の支流に沿って進む。


荒川の支流に沿った道が終わると、舗装道路に出た。


道端にはミツバツツジや


ヤマブキが目を楽しませてくれる。


塞神峠への道は、突然つづら折りの坂道になる。


急坂の道をしばらく道なりに進むと、視界が開けた。


緑に色づき始めた周囲の山々が美しい。


民家の庭に植えられた桃や桜などの間から宝登山方面を望む。
後方には、両神山も見える。


てっきりこの辺りが塞神峠だと思い込み、小休止しているところ。


小休止の後、緩やかな上りが続く舗装道路に・・・『????』
『まだ塞神峠まで来てなかったようだねっ』
勘違いしていたことに気がついた。


見晴しの良い場所に出た。


正面に宝登山が見える。
『見晴らしが素晴らしいって書いてあったから、ここが塞神峠かなぁ?』


さらに歩くこと10分の10時50分、ようやく塞神峠に到着した。
長瀞駅を出発して、1時間50分が経過していた。
『けっこう時間がかかったねぇ』


釜山神社方面からやって来たオートバイの若者が、目の前でスリップして転倒してしまった。
『大丈夫?』
声を掛けるも一人で起すのには難儀な様子だったので、4人がかりでオートバイを起してやった。


「FOREST TRAIL」なる UNITED AREAを通り過ぎたところに展望台があった。
皆野町市街地と宝登山、破風山、遠方には両神山が一望できる。


少し霞んではいるが、雪を被った浅間山も見えた。


ふたたび舗装道路を進むと、何やらゴチャゴチャと書かれた得体の知れない案内があった。
”荻根登山口””荻根巡礼里山展望台”などの文字が見える。


ここで寄り道をしている時間はない。
案内に従って舗装道路から逸れて釜山神社への道を上る。


急な坂道が続く。


杉並木の参道?のような小径を進むと、


11時25分、釜山神社に到着した。


第9代開花天皇の皇子、日之雅皇子命が武蔵野国を巡幸した折、釜伏山・奥の院において祠を建て、
旅の安全と国内の平定安康を祈ったのが始まりと云われている。
その後、日本武尊が巡幸した折、この神社に立ち寄って山頂において神様に供える粥を釜で焚かれ、
この釜を神体岩上に伏せ願望成就の祈りをしたと伝えられ、このことから「釜伏山」「釜山神社」
の名が付けられたと云われている。


釜山神社


釜伏峠への参道を進むと、両側にいろいろな形の石碑が置かれている。
社の名称に関係したものか、横に向けた釜があった。


参道の一の鳥居
ここにも狛犬があるが、稲荷神社ではないところから、狐ではなさそう・・・


参道のあちこちに狛犬が見られる。
秩父地方には狛犬ではなく狼を神犬とする神社が10数社ある、そうだ。
いわゆる真神という古名は現在は絶滅してしまった日本狼が神格化したものといい、
別名大口真神(おおぐちまかみ)とも呼ばれる、とのこと。
真神は古来より聖獣として崇拝され、大和国にある飛鳥の真神原の老狼は、大勢の人間を食べてきたため、
その獰猛さから神格化され、猪や鹿から作物を守護するものとされた。
この大口真神を御祭神とする社が釜伏峠に鎮座する釜山神社であり、
この社は三峰神社に次ぎ狼像が多い社としても有名だそうだ。
『これ狼だったんだぁ』


釜山神社を過ぎると、再び舗装された道路に出た。
釜伏峠である。


舗装道路から左に逸れて、皇鈴山(みすずやま)への道を進む。


坂道の途中に朽ちかけたおみやげ・軽喫茶店の建物が見える。
かつては観光牧場などで繁盛していたのだろう。


牛魂慰霊碑はかつて牧場があったことを証明している。


皇鈴山への道を進む。


『いやぁ この坂道は厳しいねぇ』


『この坂道は堪えたわぁ』


11時56分、皇鈴山の一つ手前の登谷山(668m)に到着した。


登谷山山頂からの見晴し。
東武竹沢方面か?


登谷山山頂からの見晴し。
寄居町方面


『お昼まだぁ?』 弁当タイム催促の声が上がる。
お腹は空いてきたが、弁当は皇鈴山に着いてからにしたい。
『皇鈴山までもう少し、もうちょっと頑張って歩きましょう』


目指す皇鈴山は近い。目の前である。
皇鈴山からは、ほぼ下りのみになるので、今のうちに出来るだけ距離を稼いでおきたい。


皇鈴山(みすずやま)を目指す。


皇鈴山への上りの道が始まる。


左手には見晴しの良い景色が広がる。


12時25分、皇鈴山(679m)に到着した。


東屋の前では、数組の家族連れが昼食の最中だった。


我々もこの辺りで弁当にしよう。
『いやぁ お腹が空いてたからほんと美味いよっ』


昼食後の13時ちょうど、先ずは撮影ポイントの二本木峠を目指す。


皇鈴山からは下りなので楽だ。


峠らしき場所に出たが、二本木峠ではなさそう。


二本木峠はもう少し先だった。


皇鈴山が最後の上りかと思ったら、もう一つ上りがあった。
二本木峠の手前の愛宕山への上りである。
それほど高くはないが、昼食後は身体が重い。


『この日最後の上りだよねっ?』


13時17分、愛宕山に到着。


愛宕山を少し下ったところに天体観測の小さな建物があった。
『この中に天体望遠鏡があんのかな?』


山道を下って行くと、横を舗装道路が走っており、その先に標識らしきものが見えてきた。


13時23分、二本木峠に到着した。
日本武尊が地面に突き刺した箸が木になったのが、二本木峠の名の由来であると言われている。
ここで、全員の証明写真を撮影。


後は3.3Km先の粥仁田峠を経て、ゴールの高原牧場入口バス停を目指すだけである。


遠くの秩父連山の山並みを見ながら25分ほど進むと、


埼玉県秩父高原牧場が見えて来た。


13時52分、埼玉県秩父高原牧場前を通過。


「彩の国ふれあい牧場」案内書付近を通過


「彩の国ふれあい牧場」
動物広場や放牧広場などがあり、子供連れの家族で賑わっていた。
放牧広場では、農家から生後6カ月~12カ月齢の雌子牛を預かって放牧し、健康で体力のある牛を育てている、とのこと。


こちらでは、柵の中にたくさんの牛がいた。
預かった牛が優良な血統を持つ子牛を産むように人工授精などをしているのではと思われる。


『素晴らしい眺めだわねぇ』


東秩父村・小川町方面の山並みが連なる。


「彩の国ふれあい牧場」を後にして、次は粥仁田峠を目指す。


14時21分、粥仁田峠に到着。
伝承として、日本武尊が粥を煮たのが粥新田(かゆにた)峠であると言われている。
ここ粥仁田峠は、「関東ふれあいの道」No.5「大霧山に登るみち」の分岐点になっている。
2015年9月に予定しているコースである。


大霧山への道と分かれて、高原牧場入口バス停を目指す。


熊笹に覆われた道を進む。


『この道合ってんのかしらぁ』
道無き道を進む、と言った感じである。


時々現れる「関東ふれあいの道」の道標が心強い。


この日初めて見た道標だ。


あまり人が通らないためか、倒木は道を塞いだままの状態だ。


山道を下ること40分、ようやく民家が見えてきた。


ツツジの花に癒される。


さらに下ること10分、前方に集落が見えて来た。
見覚えのある三沢地区の集落だ。中腹に常楽寺が見える。


仲間の顔にも笑顔が戻ってきた。
『ゴールはもう直ぐだよねっ』


満開状態の桜に迎えられて、気分は最高である。


寺山子安観音の延命地蔵尊にこの日の無事を感謝しておこう。


15時20分、高原牧場入口バス停に到着。
何と、17時47分発の皆野駅行きでよし、としていたのが、2時間以上も早く着いてしまった。
こうなったら、15時40分発の西武秩父行きバスに乗ることに決めた。
ここで2時間以上待つより、秩父駅で秩父鉄道に乗れば、熊谷にはその方が早く着くだろう。


バス到着まで、まだ少し時間がある。
バス停でしばし寛ぐ。
たまたま通りかかった地元のおじいさん・おばあさんにもお裾分け。


我々が休憩しているうちに、常楽寺方面から下りて来た他の10名ほどのグループに先に並ばれてしまった。
座って行けるか少々心配になってきたが・・・・


待つこと20分、約10分遅れで西武秩父行きバスがやって来た。
幸いなことにバスには誰も乗っていなかった。
先客も含めて全員ゆったりと座れ、一安心。


16時23分、秩父鉄道駅に到着。


16時39分発の熊谷行きがあったが、急行である。
”フリーきっぷ”の他に200円が必要とのこと。
ここは奮発して200円払って急行を利用することで意見が一致。


秩父駅のホームでしばし電車を待つ。
『予定より早く帰れるのが良いねっ』


武甲山が『またおいで』と言っているようだ。


急行電車の車内は空いていた。


座席は広く思ったよりも快適であった。
『これって素敵じゃないっ』『小旅行している気分だよねっ』


『これで200円は安いよねっ』
皆さん大満足の様子。

秩父駅からちょうど50分で熊谷駅に到着。
熊谷駅で高崎線(東海道線直通の小田原行き)に乗り替え、上野駅へ。
『今日は天気も良かったし、コースもそんなにきつくはなかったしねっ』
『皆さん、今日は大変お疲れ様でしたぁ』


「関東ふれあいの道」(埼玉県)第八回目、コースNo.13「高原牧場を通るみち」(約17.1Km)を歩き終わった。
この日のコースは、これまでで一番距離が長く、”健脚向き”ということもあり、最後まで歩けるか不安があったが、
高低差があまりなく、後半は下りのみだったため、何とか歩き切ることができた。
前日までは雨だったが、天気にも恵まれ、気持ち良く歩けた。

次回はNo.12「グリーンラインに沿ったみち」は、22Kmとこれまでの最長距離コースが待ち構えている。
一都六県にわたる「関東ふれあいの道」の中でもこれほど長い距離は他に見当たらない。
次回は相当厳しいものになると思われるが、万全の体調で挑むことにしたい。


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関東ふれあいの道(埼玉) No.7「長瀞の自然と歴史を学ぶみち」

2015年03月15日 | ウマさんの「関東ふれあいの道」を歩く
2015年3月15日(日)

”ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」”では、2011年までは主に茨城県の「関東ふれあいの道」(全18コース)を歩いてきた。
『たまには県外を』という声が上がり、2012年は東京都の「関東ふれあいの道」(全7コース)を踏破した。
続いて2013年1月から2014年4月にかけて神奈川県の「関東ふれあいの道」(全17コース)に挑み、これも無事踏破した。
次は埼玉県(全13コース)を目指すことになり、2014年9月から開始することになった。

埼玉県の第7回目は、コースNo.7「長瀞の自然と歴史を学ぶみち」(約8.8Km)を歩いた。
荒川沖駅5時27分発の常磐線上り始発電車に乗り、上野駅には6時27分に到着。

6時40分発の高崎線に乗り替え熊谷へ向かう。
この日の参加者は5名、今までで最も少ない。
朝が早いので、電車の中で朝食を摂る人も。


熊谷には7時48分に到着。
熊谷で8時ちょうど発の秩父鉄道に乗り替える。
上長瀞駅までの切符(780円)を買った直後に、「秩父路遊々フリーきっぷ」(当日限定1,440円)という
便利なものがあることに気が付いた。
帰りは皆野駅から(800円)なので、通常で買えば1,580円、その差は140円だ。
窓口で、最初の切符の払い戻しと、あらためて「秩父路遊々フリーきっぷ」を購入した。
払い戻しに快く応じてくれたのが嬉しい。


8時ちょうど発の三峰口行き電車は既に入線していた。


秩父鉄道の車内。
剣道部の高校生などが乗り合わせていた。
空席はあまりなかったが、何とか全員無事座れて一安心。


寄居駅を過ぎると、剣道部の学生も下車して、空席が目立つようになってきた。
熊谷から出発地の上長瀞まで約50分、ひと眠りしておくのは賢明だ。


8時52分、上長瀞駅に到着。
この駅で降りたのは、我々5人だけだった。


駅前でめいめい準備を整え、


8時59分、先ずは長瀞駅を目指して出発!!
荒川(長瀞)方面へ進む。
駅前の土産物店は未だ閉まったままである。


「虎岩」の案内があった。
この地域は、国の名勝・天然記念物に指定されており、茶褐色の幅15mほどの岩が「虎岩」とのこと。
大正五年(1916)に宮沢賢治が長瀞を訪れ、「虎岩」を次のように詠っている。
つくづくと ”粋なもようの博多帯” 荒川岸の片岩のいろ


道から外れ、荒川の河川敷へ向かう。


これは、一見「虎岩」のように見えるが・・・


対岸の岩が「虎岩」なのだろうか?


『虎岩はどこだ???』
『看板くらい立てておいてくれれば良いのにねぇ』
(後で気付いたことだが、背にしている岩が「虎岩」ではないかと思われる)


長瀞駅方面へ進むと、「小滝の瀬」が現れた。
ここだけ河川敷が白くなっている。


長瀞駅方面へ向かう。


長瀞駅方面への道は、両側に桜が植えられている。
花見のシーズンは人も多く、もっと華やかになるだろう。


『せっかくだから長瀞を観て行こうっ』


『ここを渡った所が岩畳かなっ』


岩畳から長瀞上流部を望む。
対岸の”秩父赤壁”が見える。


岩畳から長瀞下流部を望む。
長瀞ライン下りの船着き場が見える。
まだ営業前なのか、1艘も漕ぎ出していない。人影はまばらだ。


土産物店方面を見ると、観光客が次々と現れ始めた。
長瀞ライン下りを楽しもうという人達だろうか。


時計を見ると、9時37分を差していた。
長瀞駅への土産物店はそろそろ営業を始めようかという状態である。


長瀞駅方面


長瀞駅
熊谷方面からの電車が到着したばかりだった。
次々にお客が降りてくる。


国道140号の長瀞駅前交差点の宝登山神社大鳥居


宝登山神社を目指して緩やかな参道を進む。


宝登山神社が見えて来た。


宝登山神社の鳥居
先ほど見た鳥居にはなかった扁額やしめ縄もあり、風格が感じられる。


急な石段を上ると、


正面に宝登山神社の拝殿が。
宝登山神社は、神武天皇・大山祇神(おおやまづみのかみ)・火産霊神(ほむすびのかみ)を祀り、
秩父神社・三峰神社とともに、秩父三社の一つとしてとして知られている。
火災盗難よけ・諸難よけの守護神としての御神徳が高く、地元はもとより関東一円からの参拝者は、
年間100万余を数える、とのこと。


本殿は、銅葺き入母屋造り、千鳥破風、向拝の軒、唐破風権現造りと、
江戸建築の技巧美を今なお伝えている。


10時2分、宝登山神社にこの日の無事を祈願して、宝登山へ向かう。
ここから宝登山山頂まで2Km、約1時間との案内表示があった。


緩やかな坂道の奥宮参道を進む。


少し上ると参道は砂利道になった。


参道を出発して約18分、「関東ふれあいの道」の道標があった。
宝登山山頂まで50分と表示されている。


緩やかな勾配の砂利道を進むと、


少しだけ見晴しの良い場所に出た。
前方は野上方面と思われる。


10時26分、ベンチがあったので、ここで一休みだ。


10時32分、宝登山神社奥宮を目指す。


宝登山神社奥宮へ。


奥宮参道を上る人は多い。
我々の前にも一団が山頂を目指している。


山の斜面の杉の木は伐採され、JATA(社団法人日本旅行業協会)により、別の木が植林されていた。


こちらは、三菱UFJ信託銀行による植林である。


「関東ふれあいの道」道標を横目に見ながら、さらに坂道を上って行くと、


左手に長瀞市街地が見えた。
画面では見難いが、長瀞駅前交差点の白い大鳥居も見える。


後を振り返ると、『ここでちょっと近道をしましょうよ』と、I子さんが斜面を上り始めた。
ここは、後に続くことにした。


急斜面を上ると、


再び参道に出た。
先を行く一団の先だったので、少しだけ近道だった。


しばらく進むと左手に長瀞方面の家並が見えた。
次第に建物などが小さく見えるようになり、高度が上がっていることを実感する。


10時58分、宝登山神社奥宮への石段前に到着。


石段を上って行くと、宝登山神社奥宮の大鳥居が聳えていた。


11時ちょうど、宝登山神社奥宮に到着。
この日の証明写真の撮影ポイントは、奥宮の前と指定されている。


先にお参りを済ませて、全員の証明写真を撮影した。


朝が早かったので、お腹が空いてきた。
11時12分、ちょっと早いが、奥宮付近で弁当タイムにしよう。


Kさんは、いつものように、カップラーメン持参である。
熱いお湯を注いでラーメン作りに余念がない。


目の前には蝋梅園が広がる。


蝋梅の見頃は既に終わってしまったと思っていたが、まだ咲いていた。
顔を近づけると仄かに香りがした。


少し時間があったので、ロープウェイ山頂駅へ行ってみることにした。
左側には、新たに蝋梅の植林が行われていた。
宝登山山頂は、そのうち一面蝋梅で覆われてしまうだろう。


ロープウェイ山頂駅前の広場では、「白鳥睦会 屋台囃子保存会」による、
秩父屋台囃子の演奏が行われていた。
小学生くらいの子供も力強く太鼓を打ち鳴らしていた。


この日は日曜日のため、ロープウェイ長瀞山頂駅には長い行列が出来ていた。


秩父地域の今日の予想最高気温は、14℃前後だが、山頂は風が冷たい。
寒さ凌ぎに甘酒(200円)で身体を温める。
『身体が温まるねぇ』


糀と砂糖の甘さがちょうど良い具合だ。


ロープウェイ山頂駅には梅林が広がる。


梅林の中を宝登山山頂へ。
『蝋梅と梅の両方を観られて良かったわねぇ』


蝋梅はほぼ終わったようだが、梅林はこれからしばらく見頃が続くと思われる。


12時4分、宝登山山頂(497.1m)に到着した。
ちょうど昼時でもあり、山頂は大勢のハイカー達が弁当を広げていた。


12時5分、ゴールの根古屋橋を目指して、宝登山を下る。


根古屋橋への下りは、いきなり急な坂道で始まった。
『けっこう急な坂道だねぇ』


急な坂道が続く。
『ここは下りもだけど、上るのも大変だよねっ』


上りの人とすれ違う。
『こんちわぁ』


12時20分、分岐点に到着。
左は、野上駅方面である。


我々のゴールは野上駅とは反対方向だ。
分岐点までは、何人かとすれ違ったりしたが、とたんに誰にも会わなくなった。
それだけ、「関東ふれあいの道」は、人気がないということなのだろう。


大木に藤の古木(蔓)が絡み付いている。
からみ付かれた木は既に枯れているものもある。
『藤も一生懸命なんだねっ』


この日3つ目の里程標
ゴールの根古屋橋まで、残り2.8Kmとある。


緩やかな坂道を下る。
ここから先は下りしかない。
『今日のコースは、楽で良いわねっ』


シイタケのほだ木がずらり。


『シイタケ残ってないかしらねっ』


木々の隙間から麓の田んぼや道路が見えて来た。


12時48分、宝登山山頂を下り始めて約40分、県道44号線に到着。
正面に西光寺というお寺があったが、特に立寄ることはしなかった。


県道44号線を根古屋橋へ


県道44号線を根古屋橋へ。
周辺にはコンビニどころか自動販売機も見当たらない。
人家がぽつりぽつりと建っているだけである。
『ここはほんど何にもないねぇ』


13時2分、明治稲荷前を通過。


商い中とあったので、ちょっと覗いてみることにした。
最初は、地元の小さなスーパーのような店かと思ったら、そうではなかった。


舞茸専門の販売所(マイタケセンター直売所)だった。


せっかくなので、お土産に1個500円の舞茸を買った。
天婦羅にして食べることにしよう。
包装して貰っているところ。


舞茸を手にぶら下げて根古屋橋へ向かう。


しばらく歩くと・・・


根古屋橋が現れた。


13時30分、根古屋橋を渡ったところにバス停があり、そこがゴールである。
ここから、皆野駅行きバスに乗ることになる。


待つことしばし、14時7分発の皆野駅行きバスがやって来た。
見覚えのある皆野町営バスである。


14時25分、皆野駅前バスターミナルに到着。


皆野駅
これまで何度か利用したので、ある意味懐かしい。


14時30分発、熊谷行きの電車が入ってきた。


熊谷駅には、ちょうど1時間後の15時30分に到着。
熊谷駅で高崎線(東海道線直通の小田原行き)に乗り替え、上野駅へ。
16時42分、上野駅に到着。
昨日のダイヤ改正で、上野始発の常磐線は11番ホームとなっている。


『今日は天気も良かったし、コースもきつくはなかったねっ』
『皆さん、今日は大変お疲れ様でしたぁ』


「関東ふれあいの道」(埼玉県)第七回目、コースNo.7「長瀞の自然と歴史を学ぶみち」(約8.8Km)を歩き終わった。
この日のコースは”家族向き”ということもあり、距離はさほど長くなく、アップダウンも少なかった。
つい1週間前の予報では傘マークがあり、雨が心配されたが、天気にも恵まれ、気持ち良く歩けた。

いよいよウォーキングシーズン到来であるが、次回は17.1Kmとこれまでの最長距離コースが待ち構えている。
山道の17.1Kmは、かなり厳しいものになると思う。
日頃のウォーキングで体力を付けて、挑むことにしたい。


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関東ふれあいの道(埼玉) No.6 「花の美の山公園を訪ねるみち」

2015年02月15日 | ウマさんの「関東ふれあいの道」を歩く
2015年2月15日(日)

”ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」”では、2011年までは茨城県の「関東ふれあいの道」(全18コース)を歩いてきた。
”たまには県外を”という声に押され、2012年は東京都の「関東ふれあいの道」(全7コース)に挑戦し、踏破した。
続いて2013年1月から2014年4月にかけて神奈川県の「関東ふれあいの道」(全17コース)を歩き、これも無事踏破した。
そして次は埼玉県(全13コース)を目指すことになり、2014年9月から開始した次第である。

埼玉県の第六回目は、コースNo.6「花の美の山公園を訪ねるみち」(約8.2Km)を歩くことにした。

荒川沖駅6時16分発の常磐線上り電車に乗り、上野駅には7時20分に到着。
上野から07:33発の高崎線に乗り、熊谷駅に向かった。
この日の参加者は7名、いつもよりちょっぴり少ない。
実は、友部からのメンバーが、切符購入に手間取っているうちに指定の電車に乗り遅れ、
直後に来た電車に乗り、土浦から特急に乗り替えて、我々より4分遅れで上野駅に到着し、
高崎線には何とか間に合った、というハプニングがあったことを付記しておこう。
土浦からの特急がなければ、高崎線には間に合わないため、その場合は上野から新幹線で熊谷に向かい、
熊谷駅で合流する手筈にしていたので、それよりは安くついた、ということでめでたしめでたし・・・


冬の日曜日早朝のため、高崎線下りの乗客は少ない。
熊谷駅までは1時間ほどだが、赤羽辺りからは乗客も増えてくる。
今のうちに朝食を済ませておこう。


本を読んだり、サンドウイッチを頬張ったりと、時間の過ごし方は様々だ。


8時38分、熊谷駅に到着し、秩父鉄道乗り場へ向かう。
この日は団体客の姿がいつもより多い感じがした。
大部分が宝登山や長瀞方面への観光客と思われる。


我々は、運良く熊谷駅から8時52分発の三峰口行きに座ることが出来た。
途中の寄居駅でかなりの乗客が降りたが、それ以上の大勢の乗客が乗り込み、逆に車内は満員状態となった。


乗客の大半は途中の長瀞駅で降りてしまい、電車はガラガラ状態。
9時45分、この日の出発地親鼻駅に到着。
この駅で降りたのは我々7人だけだった。


秩父鉄道親鼻駅舎
親鼻駅をスタートとする「関東ふれあいの道」を歩こうという人は我々以外にはいないようだ。
大勢居過ぎても困るが、全くいないというのは寂しい。


9時50分、美の山公園を目指して親鼻駅を出発!
先ほど渡った線路を戻り、駅の反対側へ。


国道140号を皆野町方面へ少しだけ進み、


国道140号を横断すると、案内板があった。
美の山公園3.1Kmと表示されている。


先ずは、萬福寺へこの日の無事をお参りしていこう。
萬福寺は、真言宗豊山派の寺で、西光山無量寿院富沢坊萬福寺と称する。
平安中期の治安三年(1023)看鍐法印示寂(かんそうほういんしじゃく)の開山と伝えられ、
本尊は阿弥陀如来である。


萬福寺の山門を出ると、


山門の前に六地蔵が並んでいた。
『行ってきま~すっ』


美の山公園を目指す。


10時2分、ここから美の山公園山頂まで3.1Kmとなっている。


美の山公園への道は落ち葉の坂道で始まった。
どうやらMさんは、風邪気味らしい。
奥さんには引き止められたそうだが、熱はないので参加した、とのこと。
この日のコースは、「家族向き」とのことなので、何とか最後まで持って欲しいものだ。


しばらく落ち葉の山道を進む。


くぬぎなどの木々の間から皆野町周辺の住宅地が見える。


10時19分、山道を上り始めてから17分ほどで舗装された道路に出た。


美の山公園へは道路の反対側に続いている。


真冬の時期とは言え、山道を歩くと暑くなって汗もかく。
上着を脱いで体温を調節しよう。


2.1km先の美の山公園山頂を目指す。
引き続き、落ち葉の中を進む。


落ち葉はからからの状態のため、滑り易い。
いつもとは違う力が足にかかるためか、少々疲れる。


10時43分、美の山公園山頂まで1.6Kmの地点を通過。


この日初めての里程標が現れた。
ここまで2.2Km、残り6Kmとある。


美の山公園山頂へ続く道
少し平坦になってきた。


10時58分、スカイリゾートホテルへの分岐点を通過。


11時ちょうど、美の山公園の西の端「みはらし園地」に到着。
美の山公園はとても広く、「みはらし園地」からイベント広場の駐車場まで1.5Km以上もあり広大だ。


「みはらし園地」からの眺望
破風山方面だろうか?


「みはらし園地」で一息入れ、1.1Km先の美の山公園山頂を目指す。


園内の案内板に従って、右側の「関東ふれあいの道」への道を進む。


道路には雪が残って凍っているところもあり、滑り易く危険だ。


11時22分、榛名神社前を通過。


榛名神社の近くに見晴し台があった。


あいにく曇っていて視界は悪い。
午前中は”晴れ”の天気予報だったが、外れである。


美の山公園山頂へ向かう。


これが美の山公園山頂(583m)か?
周りを見渡しても山頂のような場所は見当たらないので、ここが山頂と案内されている所だろう。
とにかく上ってみよう。


『こっちが雲取山方面かしらねぇ』


目の前には秩父の市街地が広がるが、あいにく三峰山方面(妙法ガ岳1,329m、白岩山1,921m、雲取山2,017m)は全く見えない。


ひと際高く聳えるのは、武甲山(1304m)だ。


美の山公園山頂には、金子伊昔紅(かねこいせっこう)の銅像が建てられている。
埼玉の三大民謡として歌い踊り続けられている、「秩父音頭」を作詞し、世に広めた、とのこと。


銅像の脇には伊昔紅の句碑もある。
一目千本 万本咲いて かすむ美の山 花の山


11時39分、インフォメーションセンターに到着
ここで、全員の証明写真を撮影した。


風が強くなって来たので、インフォメーションセンターを背にして弁当タイムだ。


山頂にはまだ蝋梅の花が咲いていた。


12時17分、美の山公園を後にして、次の目的地二十三夜寺を目指す。
ここからゴールの高原牧場入口バス停までは4.5Kmである。
予定では、14時57分発の皆野駅行きバスに間に合うように到着すれば良し、としていたが、
少し急げば13時58分発に間に合うかもしれない。
『急いで一つ前のバスに乗りましょうっ!』


駐車場脇に二十三夜寺への案内板があった。
二十三夜寺2.8Km、高原牧場入口バス停4.0Kmと表示されている。


ここからは下りなので、楽である。
先頭を行くKさんの足取りは軽い。


Mさんは黙々と後に続く。
風邪の状態が気になる。


12時27分、二十三夜寺まで2.3Km、高原牧場入口バス停まで3.5Kmの地点を通過。
約10分で500mは、良いペースだ。


ここからは、急な下り坂になる。
Kさんのペースが上がる。


KEさんが後に続く。


しばらく下ると舗装された道路に出た。


後に続くKEさん。


再度舗装道路をに出た。
この辺りは、道路がジグザグに走っているようだ。


舗装道路を少し進み、途中からまたまた細い山道に入る。


12時42分、二十三夜寺まで1.6Km、高原牧場入口バス停まで2.8Kmの地点を通過。
このペースであれば、高原牧場入口バス停13時58分発のバスには何とか間に合いそうだ。


家が数軒だけの小さな集落の中を進む。


かなり急な坂道だ。車でも厳しい坂道なのではないだろうか。
『ここに住んでいる人は大変だろうねっ』


次第に道が細くなってきた。
ほとんど人が歩いた形跡がない。


『この道で合ってるんだよねっ?』
「関東ふれあいの道」の人気の無さをあらためて知らされる。


関東一のイカリソウの群生地の標識が。
イカリソウの花は赤紫色で春に咲くそうである。
一度群生しているところを見てみたいものだ。


12時53分、二十三夜寺まで1.0Km、高原牧場入口バス停まで2.2Kmの地点を通過。
あと約1時間で2.2Kmは問題ないだろう。


下りだけかと思ったら、少しばかりの上りもある。
『急に足が重くなっちゃうねっ』


里程標
ゴールの高原牧場入口バス停まで残り2Kmだ。
『頑張ろうっ!』


12時59分、二十三夜寺まで0.7Km、高原牧場入口バス停まで1.9Kmだ。、


今度は舗装された道路を進む。


二十三夜寺への入口があった。
二十三夜寺まで0.2Km、高原牧場入口バス停まで1.4Kmの表示だ。


13時14分、入口から下ること4分で、ようやく二十三夜寺に到着した。


二十三夜寺
美の山公園駐車場を出発してから、ほぼ1時間が経過していた。
かなり急いだのだが、結局時速2.8Kmだったことになる。
「関東ふれあいの道」では、全行程8.2Kmを2時間5分と案内されている。
これは時速4Kmに相当するが、一般の人はこんなに早く歩くものなのだろうか?
我々の脚では絶対に無理である。


二十三夜寺本堂
勢至菩薩をご本尊としてお祀りしている、数少ない寺院のひとつ、とのこと。


二十三夜寺仁王門の阿像


二十三夜寺仁王門の吽像


二十三夜寺を後にして、ゴールの高原牧場入口バス停へ


県道82号に出たようだが、バス停はどっちかな???


感を頼りに隣りのバス停に行ってみると、三夜前停留所とあり、西武秩父方向へ歩いたことが判明。
『反対側に来ちゃったみたいだねっ』


バス停の脇に江戸相撲の武蔵川大治郎の碑があった。
案内によると、
武蔵川大治郎は、文政六年(1823)ここ三沢で生まれ、小さい時から体格に優れていて、
たちまち田舎相撲の横綱になった。
その後、妻や子を残して、江戸相撲を志し、安政六年(859)には十両、文久三年(1863)には
武蔵川を襲名して、次の年には待望の前頭に昇進した。(以下略)


ゴールの高原牧場入口バス停へ。


13時34分、高原牧場入口バス停に到着。
ここで、二十三夜寺からコースを間違えたことに気が付いた。
『そう言えば常楽寺を通らなかったねぇ』


皆野駅行きバスまで少し時間があるので、『常楽寺へ行ってみよう』ということに。


坂道を150mほど上って行くと、常楽寺の碑があった。


一高山常楽寺は真言宗の寺院で、300年ほど前に開かれたと伝えられているが、
江戸時代天保年間の火災により、建物と資料の全てを焼失してしまった。
現在の本堂は、嘉永五年(1852)に再建されたもの。
山号を一高山といい、寺名は光明院常楽寺で、ご本尊は不動明王である。


常楽寺から三沢地区を望む。


本堂の脇には阿弥陀堂があり、近隣の人たちの信仰を集めている、とのこと。


急坂の道をバス停へ向かう。


バスが来るまでのほんのひと時を寛ぐ。


『向かい側がコースNo.13に繋がってるみたいねっ』
コースNo.13は、2015年4月に予定しているが、17.1Kmもあるため、果たして全行程を歩けるのか、
また、時速2.5Kmとした場合、電車・バスをどう乗り継げば良いのか、今から頭を悩ましているところである。


14時01分、3分ほど遅れて皆野駅行きバスがやって来た。


乗客は我々以外には誰もいなかった。
親鼻駅まで貸切状態のままだった。


終点の皆野駅手前の親鼻駅でバスを降り、14時18分、親鼻駅に到着した。
朝ここから出発したので、自然に『ただいまっ』という言葉が口に出た。


三峰口行き電車


西武秩父方面からやって来たのは、石灰を積んだ貨物列車だ。


『いやぁ 今でも石灰を運んでるんだねっ』


14時34分、定刻どおり熊谷行き電車がやって来た。


電車が走り出して間もなく、皆さん、気持ち良さそうに眠りに就いた。
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』


「関東ふれあいの道」(埼玉県)第六回目、コースNo.6(花の美の山公園を訪ねるみち)を歩き終わった。
この日のコースは”家族向き”ということで、距離もさほど長くはなく、最後までしっかりと歩けた。
予報では天気は”晴れ”だったが、あいにく曇りとなり、美の山公園山頂からの眺望は望めなかった。
これからのコースは、距離が次第に長くなり”健脚向き”コースが増えて来る。
何とか頑張って「踏破認定証」受領を目指したい。

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関東ふれあいの道(埼玉) No.8 「秩父盆地を眺めるみち」

2015年01月18日 | ウマさんの「関東ふれあいの道」を歩く
2015年1月18日(日)


”ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」”では、2011年までは主に茨城県の「関東ふれあいの道」(全18コース)を歩いてきた。
”たまには県外を”ということで、2012年は東京都の「関東ふれあいの道」(全7コース)を踏破した。
続いて2013年1月から2014年4月にかけて神奈川県の「関東ふれあいの道」(全17コース)を歩き、無事踏破した。
次は埼玉県(全13コース)を目指すことになり、2014年9月から開始することになった。

埼玉県の第5回目は、コースNo.8「秩父盆地を眺めるみち」(約4.3Km)を歩くことにした。
朝まだ暗い荒川沖駅を6時16発の常磐線に乗り、上野駅には7時20分に到着。

熊谷行きに乗り替えるため、上野7時35分発の高崎行き電車を待っているところ。
この日の参加者は8名。


高崎線車内
このあと、めいめいおにぎりやサンドウイッチを頬張る。
腹ごしらえは万全だ。


熊谷には8時38分に到着、熊谷で8時52分発の秩父鉄道へ乗り替える。
皆野まで800円である。


秩父鉄道車内
熊谷駅を出発した時には空いていたが、寄居駅から秩父方面への観光客がどっと乗って来た。
半分以上の人が立ったままの状態になった。


しかし、長瀞駅、上長瀞駅で殆どの乗客が降り、またガラガラ状態となった。
今の時期、宝登山・長瀞の観光客が多いのだ。
9時47分、電車は定刻どおり皆野駅に到着
皆野駅で降りたのは我々だけだった。
線路の先に見えるのは武甲山と思われる。


皆野駅


皆野駅前
タクシーも利用する人は見当たらない。
昨年10月12日(日)No.9「将門伝説を探るみち」で訪れた時は「龍勢祭」で出払っていたので、
今日は全く別状態である。これが、普通なのであろう。


バス発着場(皆野町営バス)は、駅前の道を左に曲ったところにあった。


バス待合室でバスを待っているところ。


日野沢方面行きのバスがやって来た。
小型のバスだ。


乗り込んだのは、我々だけだった。


10時34分、皆野駅から20分足らずで出発地点の風戸(ふっと)入口に到着した。


「関東ふれあいの道」のコース案内図を確認
「風戸の鏡肌」まで20分とある。


破風山(はっぷざん)2.5Km、札立峠(ふだたてとうげ)3Kmと表示されている。


10時38分、日野沢川に架かる日野橋を前に、『今日も一日頑張って歩こうっ!』


『けっこう雪が残っているわねぇ』


直ぐ左に破風山・札立峠への分岐点があった。
危うく見落とすところだった。


『いきなりの雪道だよっ』
表面は氷のように硬くなっている。
こんな状態が続くのだろうか? 一瞬不安が頭をよぎる。


しかし、上るにつれて次第に雪がなくなってきた。


南に面した場所では、雪はすっかり溶けていた。
『これは助かるよねっ』
一時はどうなるかと思ったが、一安心だ。


しばらくすると、舗装された道路に出た。


「風戸の鏡肌」
案内板には、次のように紹介されていた(概略)
風戸は所在地の地名。鏡肌とは、断層で岩石がずれるときの摩擦でできた光沢のある面のことで、
鏡の肌のように光って岩石の面が見えることをいう。
”風戸断層”がこの近くを通っており、鏡肌は、幅約9m、高さ約7mある。
ジュラ紀(約1億9960万年前にはじまり、約1億4550万年前まで続く地質時代)にできたもの、だそうだ。


さすがに今は鏡のように光ってはいないが、すべすべな感じである。
『これが風戸の鏡肌かぁ』


破風山手前の猿岩を目指す。
今回は猿岩が証明写真の撮影ポイントになっている。


道路の両側の陽が当らない場所にはまだ雪が残っている。


風戸の集落を通過
『こんなところにも家があるんだねぇ』


東屋があった。見晴し台のようだ。


東屋から観た景色
前方正面は宝登山と思われる。
手前はゴルフ場(ミッションヒルズカントリークラブ)だ。


破風山1.5Km、猿岩1Kmと案内表示されている。
上り口から1Km歩いたことになる。
猿岩まで1Kmだ。


登山者数を確認をするために、カウンターが設置されていた。
一人づつカウンターを押して進む。


薄暗い杉林を進む。


地図には表れていない、小さな分岐点があった。


こちらは、”山靴の道コース入口”とある。


急坂・岩場あり、とあるので、ベテラン向きのコースなのだろう。


我々は反対側の道を進み、猿岩を目指す。


杉林の尾根を進む。


次第に坂道がきつくなってきた。


自分以外は全員「まゆみの会」会員である。
日頃から山道を歩いているので、この程度の坂道は何ともないらしい。


急坂の丸太の階段もなんのそのである。


突然里程標が現れた。
ここまでちょうど2Km歩いたことになる。
ゴールの水潜寺まで、残り2.3Kmだ。


先頭のKさんが猿岩の標識に到着したらしい。


11時43分、猿岩に到着。
猿岩の標識をバックに全員の証明写真の撮影を済ませた。
自分としては、一仕事終わった感じである。
後は、L版にプリントして次回各自に配布するだけだ。


弁当にはまだ少し早いので、次の破風山を目指すことにした。


破風山を目指す。


破風山に近くなると、一面雪の世界が現れた。


『いやぁ山頂近くはまだ雪が相当残ってるんだねぇ』
『この先大丈夫なのかなぁ』


『こんな雪に出合えるなんて最高っ!』
この先を心配したり、雪にはしゃいだり、反応は様々である。


雪原の先に東屋が現れた。破風山まで0.2Kmの地点だ。
幸いなことに、誰も利用している人はいなかった。


時計は12時7分を差していた。
東屋にはベンチもあることだし、ここで弁当を摂ることにした。


昼食も終わり、あらためて0.2Km先の破風山を目指した。


道はしばらく平坦である。


時折、木々の隙間から秩父盆地方面が見える。
一段高い山は武甲山と思われる。


最後の急坂を上り、


12時44分、破風山(はっぷざん)山頂(626.5m)に到着した。


山頂からの眺めは本当に素晴らしい。
秩父盆地が一望である。
『いやぁ 天気も良いし、最高の眺めだねっ』


秩父市内方面
中央の一番高いのが、武甲山(1,304m)だ。
『秩父盆地が箱庭みたいだわねっ』


秩父盆地の反対側の山々の稜線も美しい。


左の山頂に鉄塔が見えるのが城峯山(1,037.7m)だ。
昨年10月12日(日)にコースNo.9「将門伝説を探るみち」で上ったので記憶に新しい。
ただし、この時は雲で何も見えなかった。
『あそこから歩いて来たんだぁ』
『今日は富士山もきれいに見えるだろうねっ』


破風山山頂からの景色(動画)


ちょうど居合わせた地元の人と思しき人に写真を撮ってもらった。
全員が揃って撮ることはあまりないので記念になる。


12時50分、破風山からの下り開始。


破風山を下る。


下り始めて約8分、札立峠(ふだたてとうげ)に到着した。


説明板には次のように紹介されていた。
秩父札所の巡礼は、笈摺(おいずり)を着、菅笠・手甲・脚絆を身につけ、草鞋をはいた姿で、1巡約100Km
歩いて5泊6日の道程を、各寺に札を打ち巡拝した。
この峠は、昔からの巡礼道で、33番菊水寺を参詣の後、赤平川に沿った久長集落から、ここを越えて下日野沢へ降り、
34番水潜寺で打ち留めの札と笈摺を納めた。
札立峠の名は、昔、大旱魃(かんばつ)の時、旅の僧の「雨を祈らば観音を信ぜよ」との教えにより、
「樹甘露法雨」の札を立てたところから名付けられたと云われている。


案内板の足元に小さな観音像が祀られていた。
巡礼者を見守ってくれているのだろう。


34番札所の水潜寺を目指す。
残り1.3Kmと案内されている。


昼でも薄暗い山道を下る。


瓦礫の道は歩き難い。
足首の捻挫には気をつけたい。


かつては、多くの巡礼者がこの道を歩いたのだ。
”巡礼道”の札が往時を偲ばせる。


周りは杉林だが、手入れが行き届いていない。
荒れ放題といった状態の所が目立つ。


里程標
水潜寺まであと0.3Kmだ。


突然、お地蔵さんが迎えてくれた。
”おつかれさま 水潜寺はすぐそこ”の案内文字が嬉しい。


水潜寺が見えてきた。


13時32分、水潜寺に到着


何はともあれ、無事歩けたことを御参りしていこう。


本堂前の観音様は、子供を抱いているところをみると子安観音だろうか。
水潜寺の御本尊の千手観音は、お堂の中に鎮座している。


西国33観音霊場、坂東33観音霊場、そして秩父34観音霊場合せて100観音霊場となる。
水潜寺は、100観音霊場巡りの結願の寺でもあるのだ。


バス停へ向かう


秩父34観音霊場の観音様がずらりと並んでいる。


13時44分、札所前バス停に到着。
皆野駅行きは、13時59分発、ちょうどい良い時間に到着したものである。


しばし、談笑して時間をつぶす。
『いやぁ 今日はけっこう歩いたよねぇ』


14時2分、3分ほど遅れて皆野駅行きバスが来た。
朝利用したのと同じ皆野町営バスである。


14時25分、皆野駅に到着。
秩父鉄道熊谷行きは14時30分だ、『急ごうっ』


皆野駅の線路から秩父方面を望む。


秩父鉄道の車内は空いていた。
熊谷駅までひと眠りしてしまった。


「関東ふれあいの道」(埼玉県)第五回目、コースNo.8「秩父盆地を眺めるみち」を歩き終わった。
この日は距離は今までで一番短かく、”家族向き”ということだったが、けっこう歩いたという印象である。
他県の”一般向き”コースと大して変わらないと思った。
この日も天気に恵まれ、景色を楽しみながら気持ち良く歩けた。
破風山からの眺望は素晴らしいの一言である。


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関東ふれあいの道(埼玉) No.11「義経伝説と滝のあるみち」

2014年12月14日 | ウマさんの「関東ふれあいの道」を歩く
2014年12月14日(日)


”ウマさんの「続関東ふれあいの道を歩く」”では、2011年までは主に茨城県の「関東ふれあいの道」(全18コース)を歩いてきた。
”たまには県外を”ということで、2012年は東京都の「関東ふれあいの道」(全7コース)を踏破した。
続いて2013年1月から2014年4月にかけて神奈川県の「関東ふれあいの道」(全17コース)を歩き、無事踏破した。
次は埼玉県(全13コース)を目指すことになり、2014年9月から開始することになった。

埼玉県の第4回目は、コースNo.11「義経伝説と滝のあるみち」(約8Km)を歩くことにした。
荒川沖駅5時27分発の常磐線上り始発電車に乗り、日暮里駅には6時23分に到着。

池袋へ向かうため、山手線内回り電車を待っている。この日の参加者9名。
山手線ホームはまだ暗い。


池袋から西武池袋線7時5分発の三峰口行きを待つ。
発車しているのは、7時55分発の飯能行きである。


発車前の西武線車内
まだ空席が多い。


今のうちに朝食を済ませておこう。


女性陣も『お腹が空いては戦は出来ぬ』とばかりに、駅中のコンビニで買ったパン・おにぎりを頬張る。


8時21分、定刻通りに西武吾野駅に到着
吾野駅の利用は、埼玉県「関東ふれあいの道」4回のうち、3回目である。


改札口を出ると、正面に「関東ふれあいの道」の標識が目に入る。


この日のコース「義経伝説と滝のあるみち」の案内板
顔振峠(かあぶりとうげ)まで3.6Km、黒山三滝まで7Kmとある。
奥州へ逃れる源義経が、景色の良さに顔をふりふり登ったという伝説がある、とのこと。


改札口前で準備体操をして、


8時50分、出発!


『いきなり急な階段だねぇ』


国道299号の旧道を横断


新国道299号を東吾野方面へ。
今日は、衆議院選挙の投票日である。
『期日前投票済ませて来たわよっ』
皆さん、棄権などしないのだ。


東吾野方面へ
『やはりお天道様が当ると温かいねっ』


煙突から煙が・・・
薪ストーブである。


浅見鉄工」は、”職人の手作り”による薪ストーブを製造・販売している。
ちょうど店の前に薪ストーブを展示しているところだった。
サイズはA型・B型・C型・D型とあり、B型が一番の売れ筋とのこと。


東吾野方面へ進み、顔振峠は、左へ進むことになる。


国道299号は、トンネル工事中だった。
越生方面へ通じることになるのだろうか?


借宿神社前を通り、


高麗川の支流を渡って、顔振峠へ。


高麗川の支流脇に顔振峠まで2.6Kmの標識が立っていた。
我々は手前から来たのだが、吾野駅は反対側を差しているということは、道を間違ったらしい。
どこで間違ったのか、思い当たらないが、まあ大したことではない。


標識に従って、県道61号を顔振峠へ向かう。


しばらく舗装された道が続く。


『ここは陽が当らないから寒いねぇ』
予報では、この日の秩父方面の最高気温は5~6℃である。
午前中でもあり、陽も当らないので、実際にはもっと低いと思われる。
手袋をしていても手がかじかむほどだ。


高麗川から歩くこと約20分、顔振峠は県道61号から分かれる。


顔振峠への山道の始まりだ。
ここから1.4Kmと表示されている。


顔振峠への山道を10分ほど進むと、


先ほど分岐した道に戻ってしまい、やや拍子抜け。
『なあんだまた合流しちゃったんだぁ』


少しばかり山道らしい道を顔振峠へ。


今度は本格的なハイキング道になった。


この日最初に現れた里程標
吾野駅から3Km歩いたことになる。
ゴールの黒山バス停まで残り5Kmだ。


20分ほど上ると、ようやく陽が差す場所に出た。


『あらぁ 素晴らしい眺めじゃないっ』


右の一段高い山は武甲山(1,304m)だ。
その左側、一つおいて、小持山(1,273m)、大持山(1,294m)が見える。


顔振峠へ向かってさらに坂道を進む。


『あの山なのかなぁ』
『いや、こっちの山じゃないっ?』


名前入りのかなり大きなパノラマ写真が置いてあった。
(写真は横約2mほどあり、その約1/3ほどを写している)


写真と同じところを実際に見てみる。


パノラマ写真の少し先に摩利支天寿光殿なる四面二重塔が建っている。
二重塔は、木造寺社建築で、有志の勤労奉仕により十年余の歳月を経て完成した、とのこと。
内装には珍しい古切手のモザイク画が奉納されている、そうだ。


摩利支天は、陽炎(かげろう)を神格化したものである。
護身、蓄財などの神として、日本では中世以降信仰を集めた。
楠木正成は兜の中に摩利支天の小像を篭めていたという。また、毛利元就は「摩利支天の旗」を旗印として用いた。
山本勘助や前田利家といった武将も摩利支天を信仰していたと伝えられている。
禅宗や日蓮宗でも護法善神として重視されている。


10時01分、顔振峠平九郎茶屋に到着


顔振峠では、平九郎茶屋1軒だけが営業を続けていた。
後は全て閉店していた。
平九郎茶屋には時間的に早かったため立ち寄らなかったが、なんとか頑張って営業を続けて欲しいものである。


木造の顔振峠碑
「関東ふれあいの道」マークが描かれている。


平九郎茶屋からの眺望
茶屋の女将によれば、天気が良ければ富士山も見えるそうだ。
今日は、あいにく富士山は見えなかった。


次の目的地、1.8Km先の傘杉峠へ向かう。


しばらく舗装された道を進む。


顔振峠から約20分ほどで傘杉峠への上り口に到着した。
傘杉峠まで0.7Km、黒山三滝まで2.2Kmと表示されている。


傘杉峠へ杉林の尾根道を進む。


上りだが、それほどきつくはない。


里程標
吾野駅から5Km、ゴールの黒山バス停まで残り3Kmだ。


みちは上りばかりではない。当然下りもある。


小高いところにベンチがあったので、ここで一休み。
周りは杉に囲まれて見晴しは全く効かない。


さらに下って行くと、


舗装された道路が見えてきた。
傘杉峠のようだ。


10時51分、傘杉峠に到着


「関東ふれあいの道」コースNo.12(グリーンラインに沿ったみち)の案内板だ。
コースNo.12は、2015年5月17日に歩く予定にしている。
吾野駅からここまでは、この日のコースと重複している。
『埼玉県は、重複しているところが多いねぇ』


この先は、コースNO,12へ続く。
高山不動・関八州見晴台から刈場坂峠を経て白石バス停へと通じる、全長22Kmの最も長いコースである。
果たして1日で歩けるのか、今から不安が募る。


この日は、傘杉峠からコースNo.12の反対側、黒山三滝へ向かう。


黒山三滝へは、下るだけである。


岩の斜面を下る。
『気を付けてっ ゆっくりゆっくりっ!』


途中で上りの一団とすれ違った。
立川方面から来たそうで、今日はゴールの吾野駅周辺で一泊するそうだ。
『一泊するなんて羨ましいわねっ』


我々は下るだけだが、上りはきつそうだ・・・


と思ったらとんでもない。けっこう急坂があるため、気を抜けない。
『怖いよね~っ』


黒山三滝への途中、シダが群生していた。
厳しい寒さにも関わらず、葉は青々としているので、冬ではないような錯覚に陥る。


里程標
吾野駅から6Km、ゴールの黒山バス停まで残り2Kmだ。
黒山三滝まであと1Kmほどになる。


黒山三滝へのみちは、小さな沢がいくつかある。
この沢水が間もなく滝になるのだ。


みちは緩やかになったり、


梯子が設けられていたりする。


『おっとっとっと』
丸太が濡れているので注意が必要だ。


杉林を進む。


下りであっても、休まずに歩くと、『いやぁ暑いっ』
堪らず上着を一枚脱いで体温調節だ。


沢を渡る。
水の量が次第に多くなっているのが分かる。
『足を滑らせるとずぶ濡れになっちゃうねっ』


標識に”天狗滝”とあったので、探してみたが、この辺りからは滝を見ることは出来なかった。


少し下ると、黒山三滝のうち二つの滝が見えてきた。
もう一つの天狗滝と合せて、黒山三滝という。
天狗滝は、下流にある、とのこと。


下が女滝、上が男滝
二つの滝をバックに全員の証明写真を撮り終えた。


男滝(落差11.2m)
黒山は、古くから修験の霊場としての歴史がある。
室町時代の応永五年(1398)、栄円は山本坊を開き、熊野神社を本宮、男滝を那智社、天狗瀧を新宮に見立て、
関東の修験道の拠点とした。


女滝(落差4.5m)


そろそろ昼飯時だ。
黒山三滝の茶店を抜けて、


不動橋を渡り、東屋へ。


12時1分、東屋へ到着。
『お腹空いちゃったぁ』


『ちょうど良い時間だねっ』


弁当の後は、少し下ったところにある天狗滝へ向かった。
『小さいけど、滝らしいのが見えるっ』


ここからでは、よく見えない。
『近くに行ってみようっ』


天狗滝へは細い石段が続いている。


12時35分、天狗滝に到着。
三滝のうち、天狗滝が一番落差(落差13.6m)が大きい。


三滝を観終わったことだし、後は、約0.9Km先の黒山バス停へ向かうだけである。


「根っ子食堂」前を通過。
実は、この頃から、デジカメの電池が切れる寸前になっていた。
電池切れを示す赤LEDが点灯しっ放しになった。
シャッターを続けて押すと2枚目はシャッターが下りない。
予備の電池と交換してみたが、何と交換した電池もバッテリー切れ状態である。
予備電池を充電したのは、数ヶ月前のことだ。
仕方なく、1枚撮っては直ぐにSWをOFFにして、電池の消耗を少なくした。


渋沢平九郎
飯能戦争は、慶応四年(1868)、彰義隊から別れた振武軍と追撃してきた倒幕軍(官軍)との間に発生した
維新戦乱の一つである。
優勢な官軍の攻撃の前に飯能市能仁寺の本営は落ち、振武軍は奥武蔵山中に敗走した。
副将として参加していた渋沢栄一の養子である渋沢平九郎は、顔振峠を経て黒山へ逃れてきたが、
待ちかまえていた官軍に包囲され、22歳の若さで自刃した。
自刃の地がこの近くにある、とのこと。


黒山三滝入口のゲートへ到着。
バス停はすぐ近くである。
13時29分発のバス発車まで少し時間がある。


黒山バス停から数百メートルのところに、渋沢平九郎自刃の地碑があった。


黒山バス停
『皆さん、今日は大変お疲れさまでしたぁ』
(これが、この日最後の写真となった)


「関東ふれあいの道」(埼玉県)第四回目、コースNo.11(義経伝説と滝のあるみち)を歩き終わった。
この日は”一般向き”ということで、距離もさほど長くなく、天気にも恵まれ、気持ち良く歩けた。
富士山は見れなかったものの、顔振峠からの眺望は素晴らしく、黒山三滝も観れてけっこう楽しめた。
年内は、これで終わりだが、来年も「踏破認定証」受領を目指して歩きたい。

デジカメの予備バッテリーまでもが電池切れだったのには、正直まいった。
撮りたいものがあるのに撮れないというのは、本当につらいことである。
これからは、出掛ける前に必ず予備バッテリーの確認をしておかなくては・・・


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コメント
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