年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

与力給地が気になって

2013年01月24日 | 福神漬
南町奉行所与力だった原胤昭の与力給地が気になって、京橋図書館郷土資料室へ行く。南北江戸町奉行所の与力給地が元禄年間以後に香取郡内に給地があったという。与力給地の管理役として、村名主が選ばれ、給地世話役をしていたようだ。安中藩の世話役をしていたと思われる花香家は明治維新後、南茅場町の元与力の敷地を購入したのだろうか。三菱が東京の土地を支店として取得したのが明治3年頃の南茅場町18番地であった。江戸での酒物流の中心地であった所を売却せざるを得ない状況にあったということなのだろうか。蒸気船による運行は比較的安定していて酒商売としてのうまみがへっていたのだろうか。この明治の初めのころは江戸(東京)の人口は武士が消え、人口が半減していたという。つまり酒の消費量も減っていたし、戊辰戦争の戦費を賄うため、酒に対する税金が重くなったり、新規酒造に参入することが可能になったり、時代の変化の激しいときでもあった。いずれ今でも茅場町にある清酒『白雪』さんの歴史を調べる必要があるだろう。
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