年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

記憶の年 1995年1月17日と11月23日

2023年01月17日 | 宅老のグチ
東京都で災害物資の委託の漬物(梅干)を管理してた身では、関西で起こった地震で何も救援の仕事をできなかった。東京都の救援物資の手配で、簡単に食するものとして選ばれたのが梅干ではなかった。関西に向かった食料品は事後報告で知っただけで、後の災害では非常食の保管制度が消え、保管のための預かり金返還業務を行い梅干の備蓄制度が終わった。その後はコンビニの発達で、業者団体に江戸時代と同じような食品保管事業は消えたと思われる。もう災害ではコンビニの流通網で済ませるようになった。ルーツをたどればお救い米制度から始まると思う。

阪神・淡路大震災は、平成7年(1995)1月17日(火)5時46分に発生した。築地に出勤して初めて震災があったことを知り、夕方家でTVを見て愕然とした。あの神戸の高速道路と三宮のビル倒壊は今でも記憶に残る。遠い親族の一人が本棚倒壊のために死去した。

Windows 95が発売されたのは 1995年8月25日に英語版が発売され、日本語版は同年11月23日でした。多くの日本語は漢字ということで日本語専用のワ-ドプロセッサ-というものを使っていて、パソコンは縁の無いものと思っていた考えが消えました。弱小企業の漬物業界もかなり遅れて入った。あの頃は震災があっても未来にまだ希望があった。
コメント
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