山尾庸三伝
山尾庸三は天保8年(1837)今の山口県山口市に生まれる。村田蔵六の近所であった。下級であったが才能を認められ、安政3年江戸麹町三番町の斉藤弥九郎道場に入門する。桂小五郎を頼ったという。当時、桂は三浦浦賀警備で不在だったが辛うじて斉藤道場に入門できた。その当時の斉藤道場は政事道場と言われ諸藩の志士のたまり場であったという。山尾の剣術は不得手であった。江川太郎左衛門、勝海舟にも学んだという。ロシアに船が出るとき北岡健三郎(斉藤弥九郎の弟)に頼み込み、亀田丸に乗りロシアへ行った。
山尾庸三伝
山尾庸三は天保8年(1837)今の山口県山口市に生まれる。村田蔵六の近所であった。下級であったが才能を認められ、安政3年江戸麹町三番町の斉藤弥九郎道場に入門する。桂小五郎を頼ったという。当時、桂は三浦浦賀警備で不在だったが辛うじて斉藤道場に入門できた。その当時の斉藤道場は政事道場と言われ諸藩の志士のたまり場であったという。山尾の剣術は不得手であった。江川太郎左衛門、勝海舟にも学んだという。ロシアに船が出るとき北岡健三郎(斉藤弥九郎の弟)に頼み込み、亀田丸に乗りロシアへ行った。
牧野和漢薬草大図鑑より
なた豆はウレア-ゼ、カナバリン、カナバリアジベレンⅠ,Ⅱ、でんぷん、タンパク質、脂肪などを含む。
薬効、薬理 薬理は未祥
種子は食用、なた豆、なた豆殻は中を温め、腎を益するなどの効能あり、咽頭結核、腰痛を治す。
今の時代ではこれだけしか効能の記述がないようだ。幕末明治初期にはどの様な効能があったのだろうか。少なくともなた豆に関して効能があると信じる必要性はないのではないか。なた豆を英文表示にするとSWORD
BEENSとなる。団団珍聞社主野村文夫は英国密留学をしていて英語の知識があったかもしれない。団団珍聞には初めから英語の欄があった。