年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

団団珍聞の野村文夫

2017年08月16日 | 福神漬

明治10年代の漫画風刺雑誌の経営者は野村文夫だった。このことを詳しく書いてある本木至著(団団珍聞・驥尾団子がゆく)を再び熟読する。梅亭金鵞や鶯亭金升を気にしていたが、石井研堂の明治事物起源の缶詰より、工部省が気になり村田文夫にたどりついた。

 村田文夫は野村文夫と同一人物であることを建築関係の文献から知った。明治5年頃の築地付近の大火事で銀座の再建に関しての翻訳本が村田文夫が関係していたようだ。さらに測量関係から後に画家となる本多錦吉朗(村田と同郷の人)イ英人-トンとジョンスの二人について測量を学んだと言う。

 本多は後に三菱関係の建築を多数任されたジョサイア・コンドルの日本庭園の本の挿絵を描いていて、出版社は団団社だった。このことはあまり知られていない。

 カレ-ライスと福神で日本郵船が出てくるが福神漬の命名者とどのような関連があるのだろうか。

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