年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

御雇外国人一覧(明治5年3月)

2017年08月15日 | 福神漬

福神漬の重要資料に石井研堂の明治事物起源(缶詰のはじまり)がある。しかしこの記述は日本缶詰協会では軽く扱われている。日本の缶詰の始まりは別起源となっている。

 しかし福神漬に関する歴史としては重要な資料なので今検証している。明治3年御雇外国人(アメリカ人)が四谷区津の守に住み工部大学校に勤めたと言う。山田箕之助はこの外国人から缶詰の製造法を伝授されたようだ。

 新宿区の歴史博物館は津の守にあるので、この地に住んでいた御雇外国人の所属と氏名を尋ねたが資料が無く、東京都の公文書館へ行くように指示された。中央区や都立中央図書館で御雇外国人の基礎調査をするが約1万人ほど明治の中頃まで雇われていた様だ。勿論高級な御雇外国人もいたがそのサポ-トする使用人も含まれていた。

 工部大学校は今の官庁街虎ノ門のところから始まり東京大学の工学部となった。工部大学校の資料を探すため、東京大学のある文京区真砂図書館郷土資料のところで文献を探す。

 ここでの資料では明治3年には工部大学校は存在しなかった。もう少し後で発足している。この明治3年ころは工部寮と言われていたようだ。色々調べて出てくる史料の中に工部寮関係のアメリカ人は誰も出てこなかった。工部寮関係の史料の中に村田文夫という人の名前が出てきた。団団珍聞社の野村文夫と似ていると思っていたら、同一人物だった。

 村田文夫の著書(西洋見聞録)明治2年出版を読むために明治文化全集第七巻外国文化編を借り出すとその本に明治5年3月の御雇外国人の姓名給与一覧があった。214名のリストにイギリス人119人、フランス人50人、アメリカ人16人、プロシャ人(ドイツ人?)8人。オランダ人2人、イタリア人1人、ポルトガル人1人、ベルギ-人1人、デネマルカ人(ジャマイカ人?)1人マニラ人(フィリピン人)4人、中国人9人、インド人2人と言う史料があった。

 アメリカ人は文部省10人開拓使5人勧農寮1人で工部関係の人は見当たらない。工部関係では造船寮イギリス人6人、イタリア人、ポルトガル人各1人、土木寮イギリス人1人、工学寮イギリス人2人、鉱山寮イギリス人4人、鉄道寮イギリス人52人中国人1人、灯台寮イギリス人32人、フィリピン人4人中国人7人、インド人2人、電信寮イギリス人10人、造船寮フランス人24人製鉄寮フランス人2人、製作寮フランス人6人、測量司イギリス人4人となっている。

 缶詰の発達の歴史を調べるとナポレオンの懸賞金のかかった保存でき手持ち運びできる食料容器として缶詰が誕生したがグルメと知られているフランス人は軍隊用しか発展しなかったようで、非グルメと知られていたイギリス、アメリカで缶詰が発達した。石井研堂の誤りはどこかで国籍を誤ったのだろうか。

 村田文夫は明治の初期にはイギリス留学の経験を生かして工部関係の史料に度々出てくる。福神漬の野村文夫と工部省の野村文夫はどう繋がるのだろうか。その謎を解く鍵は測量関係にある。当時の測量は勿論数学的知識も必要だが絵画の素養が必要な仕事であった。写真技術が未発達の時代では地図を筆記しなければならなかった。同様なところでは植物学では文献と同定するため絵画にして記録を残すため絵の素養が必要な学問であった。

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