中央区に所蔵されている小林清親関連本から気になるところ。小林清親の娘カヅさんの文から、明治14年東京両国の大火のあと、鶯亭金升の紹介で漫画風刺雑誌団団珍聞に入社したと言う。清親34歳、金升14歳。14歳の少年とも言える人が就職を世話することが出来たのだろうか。団団珍聞投書家だった鶯亭金升はいかに早熟とはいえなぜと言う疑問が残る。数年後のあと、小林清親が仲人をして、鶯亭金升は花柳流の縁者の女性を妻とした。
鶯亭金升の生年日が間違っているのだろうか。横浜の戸田欽堂・築地・銀座のキリスト教関係もあるのだろうか。この辺の文献がまだ見つからない。