年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

福神漬とは何だったろうか 10

2010年05月25日 | 福神漬
『福』とは何か。東京高等法院の福島事件の裁判で一番問題となったのは言葉だった。河野磐州が最初書いたのは「専制政府を改良して」であったが花香が主張して、「転覆」と改めたのであった。 この「転覆」という言葉と『福神漬』の命名に至る過程で何があったのか、又は何もなかったのかが問題となる。
 ナタ豆の花は根元から咲いて先端まで行って元に戻ってくる咲き方をするという。この事から旅立ちにナタ豆を贈る風習があった(無事に戻ってくる)。つまりナタ豆には『覆』という意味が隠されている。
 原胤昭が『天福六歌撰』と題して、浮世絵を出版したのは、明治16年9月福島事件の判決直後の話である。 『天福六歌撰』は歌舞伎の天保六花撰(てんぽうろっかせん)から来ている。幕末に書かれた松林伯円の講談をもとに河竹黙阿弥が歌舞伎狂言として書いたものの通称で通常『天衣紛上野初花』として上演される。明治14年3月に東京・新富座で初演された作品で極めて大入りした作品であった。この事から原は浮世絵の題を命名し、福島事件の6被告人と権威を笠に着る三島福島県令に当てつけたものだった。
『天衣紛上野初花』と『東山桜荘子=佐倉義民伝』は自由民権運動と関係があった。特に佐倉義民伝は松方デフレで不況となった農村に支持された演目で歌舞伎芝居に農民運動が登場する作品である。原と行動を共にしていた戸田欽堂の日本初の政治小説『民権演義 情海波瀾』の中で主人公が佐倉義民での芝居を観ている。自由民権運動が政府の様々な弾圧によって、小説・演劇・マンガ(戯画・風刺画)懇親会(政治の話をする)運動会(抗議や要求の主張を掲げて集会や行進を行い、団結の威力を示すこと。示威運動=今のデモンストレーション)演歌(演説を面白くするため節をつけて歌った)等で表現する方法に向かっていた。
団団珍聞の編集者であった梅亭金鵞が政府の弾圧を避けるため、新商品の『福神漬』という漬物中に寓意をいれても不思議ではない。
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