年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

福神漬とはなんだったのか 1

2010年05月15日 | 福神漬
三菱1号館美術館の南
三菱1号館美術館の真南に大きな建物がある。元東京都庁で今は東京フォーラムとなっている。ここは江戸時代土佐藩上屋敷跡とされる。ここに上って上から三菱レンガ街を想像してみたい。しかし下から見上げると窓が無い。
 そろそろ福神漬の命名時に隠された意図がなぜ伝わらなかったか調べる時期となった。大正12年7月に日本缶詰協会が大手町にある三菱商事の会議室で会合を開いた。そこに出席した鶯亭金升(長井総太郎)いて、出席者に回想的な語り口で鶯亭の師匠・梅亭金鵞と福神漬命名時の話をした。この話が機関紙『缶詰時報』に掲載され、昭和9年輸入食品を中心として商っていた明治屋が従業員のための食品辞典を作ったとき、福神漬の由来を転載した。
今多くのカレー本に書かれている福神漬の由来の多くは明治屋の食品辞典からの引用と思われる。
 缶詰時報が発行されて間もなく関東大震災が起き、この伝承が食品関係者から忘れ去られた。つまり明治屋の食品辞典が無ければ福神漬の由来の多くは消えていたと思われる。
コメント
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