年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

桜谷枝垂れ桜

2010年05月06日 | 福神漬
桜谷枝垂れ桜
福島県三春町民俗資料館前に満開となった桜がありました。三春の滝桜は既に葉桜になっているようで観光客が少なくなっていた。ここの広場に自由民権家の河野広中の銅像があり、この地の自由民権運動の活動状況を展示してあった。
明治14年3月10日発行東北新報 第64号 『東北有志策を開く図』というのが以前の企画展の冊子の中にありました。その図に同じ釜の中の粥を東北の自由民間家が食べています。部屋の外にいる者に中に入るように誘っていて襟元に『福』の文字が見える着物を着ているのが河野広中と思われます。粥のお椀には『セミ』の絵が描いてあります。セミは『ミンミン(民)』と鳴くので民権を表しています。つまり既に『福』というのが福島人をあらわす一例です。福神漬が戯作者・團團珍聞編集者梅亭金鵞によって命名されたのが明治16年から18年頃ですが、福島事件のことは十分に知っていたと思われます。

1878(明治11)年には自由民権運動家が仙台で「東北有志会」を結成した。この『東北』という言葉が今の東北6県を意味する言葉となった初めという。
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