年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

福神漬とは何だったろうか2

2010年05月17日 | 福神漬
福神漬とは何だったろうか2
様々な関係から福神漬が命名されたのは明治16年から19年の頃と推定されるが命名者梅亭金駕が病床に付したのが明治23年2月で26年に死去している。しかし福神漬の缶詰入りは酒悦店主の努力にもかかわらず、高価のため一部の人達に売れたに過ぎないと推測される。酒悦主人の思惑もあり、戯作者梅亭金鵞に商品の販売促進法を依頼したと思われる。
命名の由来は『七福神めぐり』からと思われるのは当然の事となる。ただ梅亭が明治16年頃の政情から商品名に何か寓意(隠れたメッセージ)を入れなかったのだろうか。人気風刺雑誌であった団団珍聞に対して藩閥政府が新聞雑誌に対する弾圧を強めていた時でもあった。様々な手段によって政府の意に沿うような報道が要請されていた。しかし読者の希望する記事とはならず編集者の創意工夫が試されていた時代でもあった。もし寓意が漏れて裁判沙汰になった時十分勝訴できることを梅亭は命名時考えていたのではあるまいか。明治憲法が出来るまで日本の裁判で裁判官が政府の意向に沿わない判決を出すことは裁判官の地位が危険だった。
 ここに『なた豆』という野菜が福神漬にはいっている事が注目される。福神漬が売れてきたときには命名者が死去していてその中に寓意が入っていたかどうか語らず終わってしまった。
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