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母の歴史ー満州慰問旅行

2021-08-23 22:31:13 | おおはる話(母のこと)
母の歴史のファイルから。

もう10年近く前になるか、同期の石橋さんから
玉川に、お母さんが満州慰問旅行に行った時の写真があったよと
教えてもらった。
小原先生の生涯をたどったお仕事をなさっていたので
その資料を見直していたのだと思う。

その時は、写真を見せてもらっただけだったが
今回、玉川学園のホームページの中の歴史の項に
満州慰問旅行をみつけ、読んでみた。

読んで驚いたのは、
総勢35名で、45日間の旅行である。
(昭和15年の話で、先日も書いたが、母は小学部で数学を教えていた。)

45日間、それだけの時間を共に過ごしたのは、
かなり貴重な、でも苦労も多いことだったろうということだ。

今みたいに交通の便も快適さもないだろう。

35人のメンバーのうち、小原先生とおばさま、
小原先生のお子さんが3名いる。小原家で5名。
将来の哲郎先生の奥様を入れると6名。

母と一緒に参加したのは、S叔母、そして祖母の白石嵯峨の名前もある。
この家族でも3名。

先日S叔母にそのあたりを聞いたら、
当時祖母は女学部で洋裁を教えていたそうで、

一部参加で全行程一緒ではないらしい。
母は6人兄弟で、3人は女、その3人は全員玉川だった。

真ん中の叔母は、国立音楽学校に進んでいた。
たまたま国立が音大として文部省に認められるか否かの時代で
ピアノに精進していて、この旅行には加わらなかったとのこと。

「どじょっこふなっこ」が生まれた旅行では、
母が大けがをして不参加、H叔母とS叔母と、またまた祖母が参加している。

S叔母によれば、小原先生夫妻が海外旅行に出られた時には、
純子さん、百合子さんをお預かりして、一緒に暮らしたとのこと。

お二人とも、いつもだと、小原先生は学生みんなの親のようで、
家族だけの団欒というものがあまりないが、普通の家庭が印象に残ったらしい。

35名のうち、2家族で9名。
で、45日間起居をともにして、公演をいっぱいして、
びっくりした話であった。

母のファイルには、数行があった。(冒頭の写真)

満州慰問旅行のことは、ここに

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