走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

松下村塾

2009年03月09日 21時05分15秒 | その他
 お昼休憩時に話をしていて、今、時代は幕末から明治維新に移行した激動の時期に類似しているのではないかという話になった。
まさに、大砲や鉄砲を使って時代を変えようという動きはないが、それほど劇的に時代が変化しているというのが共通の意見だった。

 そして、こういう大きな時代の変化の時に教育はどのようなことを教えるべきなのかということにいたった。
 誰かが、こういうときだから人間性を高める教育が重要だといったので、私は、吉田松陰が私塾としてつくった「松下村塾」は何を教えていたのか疑問に思った。

 なぜなら、その私塾を見たことがあるのだが、小さな離れ家のようなもので、大人数が入れる施設ではなかった。
 つまり、そう大したことは教えていなかったのではないかと思ったのである。
 しかし、明治新政府へと移行する原動力や確立する礎となった人物を多く輩出している。

 そこで、ホームページ(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)で調べると次のようなことが書かれてあった。

 「松陰が松下村塾で塾生たちの指導に当たった期間は、安政3年(1856年)
  8月から安政5年(1858年)12月までのわずか2年余りに過ぎない。
  しかし、その短い期間に、松陰は自分の信念を塾生たちにぶつけ、
  しかし一方的に教えるのではなく、塾生たちと一緒になって問題を
  考えていった。
  講義は室内だけでなく、農作業を共にしながら行なわれるなど、
  心身両面の鍛錬に重点が置かれたという。

  松陰は学問を「人間とは何かを学ぶことである」と言った。
  また「学者になってはいけない。 実行しなければならない」とも言い、
  学んだことを活かし実行に移す大切さを強く説いた。
  脱藩や密航を試みるなど、実行に実行を重ねる松陰であったからこそ、
  若者達の心は強く揺さぶられ、惹き付けられていった。」とある。

 まさに私たちが、社会教育・生涯学習の中で繰り返していっている「学び」から「実践」へにつながる。
 
 そして、なによりも大切なことは、教える側に確固たる信念が必要であるということ。

 私たちが次代に何を残せるかは、そんなに多くはない。
 だからこそ、私たちは真剣に子どもたちと向き合い、子どもたちの可能性をできるだけ引出すために、たくさんのチャンスをつくること。
 それが私たち、大人の使命だと思う。
 

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