私たちの業界には、多くの秀才がいます。
残念ですが、私はこの秀才の中には入っていません。
落ちこぼれたわけでもありません。
最初から入っていなかったような気がします。
なぜなら、私は、鈍才だからです。
なぜこのようなことを言い出すかと言うと、仕事で何かを命じられたときに、秀才は前例があるかどうか、上司がうんと言うか、人間関係を乱さないか、現実になし得るためにはなにをしなければならないか、そして成し得た場合のメリットとデメリット、成さなかった場合のメリットとデメリットを瞬時のうち比較し少しでも成さなかった方がいいと判断すると、しないための理由付けを言い始めるのである。
恥ずかしい話だが、私にはこれが出来ない。
だから鈍才なのである。
振り返ったときに、このような時、私はどうやったら現実に成し得るための方策を考えてしまう。
よくよく考えたら、私のような鈍才を上司をもった部下たちはたまったものじゃない。
何でも受けて帰ってくるのだから、仕事のオーバーフローを起こしかねない。
どれだけ回りの人たちに迷惑をかけてきたことか。
だが、言い訳のように聞こえるかもしれないが、私の場合は命じられたときに達成したときのイメージが浮かんでしまうと、つい手がけてしまうのである。
そのイメージとは、映画のシーンのようにたくさんの人たちがハッピーエンドで終わるシーンのようなもの。
かならず、登場人物一人ひとりの笑顔で笑っている。
そして、その登場人物がはっきりとわかる。
そんなときは、「やれる!」と思ってしまうのである。
そのシーンが浮かんでこないときは、私だって丁重にお断りする。
そして、その行動がいつしか色々な分野でイノベーションを起こしていた。
こう考えると、世の中のイノベーションは秀才が起こすのではなく、鈍才が起こすことの方が多いのかもしれない。