走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

地域の現場

2010年12月08日 00時09分09秒 | つぶやき
 最近地域の現場で仕事をしていて感じることがある。

 それは、自分たちで解決できないことを直接個人の単位で相談や依頼に来られるということ。
直接来られることがイヤだというわけではない。
ある日、フッと思ったのである。

 地域社会の中の「互助機能」が機能していないと...

 その原因を自分なりに分析してみた。
 大きく分けて2つある(その他に小さなことを挙げるときりがないので省略する)

 一つ目は、地域社会の中にあった互助機能をいつの間にか行政が軽んじて壊してしまった。

 具体的にいうと、松山市には「広報広聴」というユニークな組織とそれを機能させる仕組みが合った。
これを組織化した当時は、全国にも先駆けた素晴らしいものであったと聴く。
なぜなら、発信すると聴くという機能を一体化したというユニークさは、過去にあったようでなかったからである。
どのように進化させたかというと、広報委員会総務会を頭に、各地区に広報委員会を組織し、その中に町単位(地域事情があるので言い切れないが)に広報委員を置いた。
 そして、月に二度、広報委員さんは各戸を回って広報紙を配布して周り、声がけをしていたのである。
つまり、住民のリサーチ(元気なのかどうなのかも含めて)をしつつ、その時に受けた様々な相談や苦情を行政に伝えるという役割を担っていた。
 しかし、広報委員から広報紙を配布したくないという意見が相次ぎだし、いつしか業者委託による配布方法に切り替えた。
行政コストの削減も背景にあっただろう。
そこで、地域住民同士の絆が徐々にではあるが壊れ始めていく。

 二つ目は、ネットワーク社会の進展である。

 具体的にいうと、組織の階層を越えたデジタル目安箱が実現した。
メールという技術である。
組織のトップまで、さまざまな情報が取捨選択しないまま挙がる仕組みネットワーク社会が実現した。
このことについては賛否両論あろうが、投稿をする側にとっては地域の人の力を借りなくても行政のトップにだって直談判できる社会になったのである。

 どのような仕組みにも功罪はある。

 人は頼ることによって、その頼った人に協力する。
だが、今のやり方では地域のお世話する人の権限をことごとく消失させる方向にあり、
それがお世話をしてくれる人たちの信頼度は低下する一方である。
 
 つまり互助機能を低下させていったのは、行政の予測や広角的かつ鳥瞰的視野の欠如から来たものではないかと思い始めた。
そして、何よりもその要因の責任の一端に私もいる。

 このことを最近、よく後悔する。
壊れかけているものを再生するためのエネルギーは並大抵ではない。
また、完全に壊れてしまったら、手の施しようがない。
かといって新たなものから始めると、再生するまでにそれを支える人材がいなくなるという現実、危険性がある。
ジレンマの中で、今、自分自身できることはそれほどない。

 いかに地域の人たちの和(輪)をつくり、その絆を強めるアシストをするだけだ。
でも、何もしないよりはましだと思って、地域の人たちと今日もともに笑っている。