走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

鳩山首相 所信表明②

2009年10月27日 17時28分27秒 | つぶやき
 先日、訪問させていただいたあるチョーク工場のお話を申し上げます。
 創業者である社長は、昭和三十四年の秋に、近所の養護学校の先生から頼まれて二人の卒業生を仮採用しました。毎日昼食のベルが鳴っても仕事をやめない二人に、女性工員たちは「彼女たちは私たちの娘みたいなもの。私たちが面倒みるから就職させてやってください」と懇願したそうです。そして、次の年も、また次の年も、養護学校からの採用が続きました。
 ある年、とある会でお寺のご住職が、その社長の隣に座られました。
 社長はご住職に質問しました。
「文字も数も読めない子どもたちです。施設にいた方がきっと幸せなのに、なぜ満員電車に揺られながら毎日遅れもせずに来て、一生懸命働くのでしょう?」
 ご住職はこうおっしゃったそうです。
「ものやお金があれば幸せだと思いますか。」続いて、

「人間の究極の幸せは四つです。
 愛されること、
 ほめられること、
 役に立つこと、
 必要とされること。
 働くことによって愛以外の三つの幸せが得られるのです。」

「その愛も一生懸命働くことによって得られるものだと思う」、これは社長の実体験を踏まえた感想です。

 このチョーク工場は、従業員のうち七割が「障がい」という「試練」を与えられた、いわば「チャレンジド」の方々によって構成されていますが、粉の飛びにくい、いわゆるダストレスチョークでは、全国的に有名なリーディングカンパニーになっているそうです。障がいを持った方たちも、あるいは高齢者も、難病の患者さんも、人間は、人に評価され、感謝され、必要とされてこそ幸せを感じるということを、この逸話は物語っているのではないでしょうか。

 私が尊敬するアインシュタイン博士も、次のように述べています。

「人は他人のために存在する。何よりもまず、その人の笑顔や喜びがそのまま自分の幸せである人たちのために。そして、共感という絆で結ばれている無数にいる見知らぬ人たちのために。」

 とても素敵な演説だとは思いませんか。
 そして、首相として、がんばって働いている障がい者の人たちを「チャレンジド」と初めて呼んでくれました。(「チャレンジド」の命名は「ナミ姉」こと竹中ナミさんです。)
 どのような人にも、どのような立場の人にも、人間としての尊厳があると思うのです。
そのことをしっかりと語りかけてくれました。

 リーダーとして、その優しさを疑問に思っておられる方もおられるようですが、政治家が本来最低限有して欲しいものだと思うのです。

鳩山首相 所信表明①

2009年10月27日 17時20分36秒 | つぶやき
 昨日、鳩山首相の所信表明がなされた。
 マスコミは、具体性が乏しかったため不満だったようであるが、読んでいてとても人間くさかったような気がする。
 国家を背負っていく首相が、これほどまでに感情を表し、自分の信念や理念を語った所信表明があっただろうか。

 政治家というものは大義によって支えられるものであるということを痛感した。
 自分なりに感動した部分を抜粋する。

 私もまた、この夏の選挙戦では、日本列島を北から南まで訪ね、多くの国民の皆さまの期待と悲痛な叫びを耳にしてきました。
 青森県に遊説に参った際、大勢の方々と握手させていただいた中で、私の手を離そうとしない、一人のおばあさんがいらっしゃいました。息子さんが職に就けず、自らのいのちを断つしか途がなかった、その哀しみを、そのおばあさんは私に対して切々と訴えられたのです。毎年三万人以上の方々のいのちが、絶望の中で断たれているのに、私も含め、政治にはその実感が乏しかったのではないか。おばあさんのその手の感触。その眼の中の悲しみ。私には忘れることができませんし、断じて忘れてはならない。社会の中に自らのささやかな「居場所」すら見つけることができず、いのちを断つ人が後を絶たない、しかも政治も行政もそのことに全く鈍感になっている、そのことの異常を正し、支え合いという日本の伝統を現代にふさわしいかたちで立て直すことが、私の第一の任務です。

 かつて、多くの政治家は、「政治は弱者のためにある」と断言してまいりました。大きな政府とか小さな政府とか申し上げるその前に、政治には弱い立場の人々、少数の人々の視点が尊重されなければならない。そのことだけは、私の友愛政治の原点として、ここに宣言させていただきます。