先日、訪問させていただいたあるチョーク工場のお話を申し上げます。
創業者である社長は、昭和三十四年の秋に、近所の養護学校の先生から頼まれて二人の卒業生を仮採用しました。毎日昼食のベルが鳴っても仕事をやめない二人に、女性工員たちは「彼女たちは私たちの娘みたいなもの。私たちが面倒みるから就職させてやってください」と懇願したそうです。そして、次の年も、また次の年も、養護学校からの採用が続きました。
ある年、とある会でお寺のご住職が、その社長の隣に座られました。
社長はご住職に質問しました。
「文字も数も読めない子どもたちです。施設にいた方がきっと幸せなのに、なぜ満員電車に揺られながら毎日遅れもせずに来て、一生懸命働くのでしょう?」
ご住職はこうおっしゃったそうです。
「ものやお金があれば幸せだと思いますか。」続いて、
「人間の究極の幸せは四つです。
愛されること、
ほめられること、
役に立つこと、
必要とされること。
働くことによって愛以外の三つの幸せが得られるのです。」
「その愛も一生懸命働くことによって得られるものだと思う」、これは社長の実体験を踏まえた感想です。
このチョーク工場は、従業員のうち七割が「障がい」という「試練」を与えられた、いわば「チャレンジド」の方々によって構成されていますが、粉の飛びにくい、いわゆるダストレスチョークでは、全国的に有名なリーディングカンパニーになっているそうです。障がいを持った方たちも、あるいは高齢者も、難病の患者さんも、人間は、人に評価され、感謝され、必要とされてこそ幸せを感じるということを、この逸話は物語っているのではないでしょうか。
私が尊敬するアインシュタイン博士も、次のように述べています。
「人は他人のために存在する。何よりもまず、その人の笑顔や喜びがそのまま自分の幸せである人たちのために。そして、共感という絆で結ばれている無数にいる見知らぬ人たちのために。」
とても素敵な演説だとは思いませんか。
そして、首相として、がんばって働いている障がい者の人たちを「チャレンジド」と初めて呼んでくれました。(「チャレンジド」の命名は「ナミ姉」こと竹中ナミさんです。)
どのような人にも、どのような立場の人にも、人間としての尊厳があると思うのです。
そのことをしっかりと語りかけてくれました。
リーダーとして、その優しさを疑問に思っておられる方もおられるようですが、政治家が本来最低限有して欲しいものだと思うのです。
創業者である社長は、昭和三十四年の秋に、近所の養護学校の先生から頼まれて二人の卒業生を仮採用しました。毎日昼食のベルが鳴っても仕事をやめない二人に、女性工員たちは「彼女たちは私たちの娘みたいなもの。私たちが面倒みるから就職させてやってください」と懇願したそうです。そして、次の年も、また次の年も、養護学校からの採用が続きました。
ある年、とある会でお寺のご住職が、その社長の隣に座られました。
社長はご住職に質問しました。
「文字も数も読めない子どもたちです。施設にいた方がきっと幸せなのに、なぜ満員電車に揺られながら毎日遅れもせずに来て、一生懸命働くのでしょう?」
ご住職はこうおっしゃったそうです。
「ものやお金があれば幸せだと思いますか。」続いて、
「人間の究極の幸せは四つです。
愛されること、
ほめられること、
役に立つこと、
必要とされること。
働くことによって愛以外の三つの幸せが得られるのです。」
「その愛も一生懸命働くことによって得られるものだと思う」、これは社長の実体験を踏まえた感想です。
このチョーク工場は、従業員のうち七割が「障がい」という「試練」を与えられた、いわば「チャレンジド」の方々によって構成されていますが、粉の飛びにくい、いわゆるダストレスチョークでは、全国的に有名なリーディングカンパニーになっているそうです。障がいを持った方たちも、あるいは高齢者も、難病の患者さんも、人間は、人に評価され、感謝され、必要とされてこそ幸せを感じるということを、この逸話は物語っているのではないでしょうか。
私が尊敬するアインシュタイン博士も、次のように述べています。
「人は他人のために存在する。何よりもまず、その人の笑顔や喜びがそのまま自分の幸せである人たちのために。そして、共感という絆で結ばれている無数にいる見知らぬ人たちのために。」
とても素敵な演説だとは思いませんか。
そして、首相として、がんばって働いている障がい者の人たちを「チャレンジド」と初めて呼んでくれました。(「チャレンジド」の命名は「ナミ姉」こと竹中ナミさんです。)
どのような人にも、どのような立場の人にも、人間としての尊厳があると思うのです。
そのことをしっかりと語りかけてくれました。
リーダーとして、その優しさを疑問に思っておられる方もおられるようですが、政治家が本来最低限有して欲しいものだと思うのです。