走る営業公務員、奮闘記!!

地方分権が進展する中での地方からみた木っ端役人の奮闘記です。

イマジン

2007年12月11日 22時58分32秒 | その他
★★★ ジョンレノンのイマジン

 1980年12月8日は私の人生にとって忘れられない日になった。
 その日、親友の悲報が入った。
 友人たちと車で彼の自宅に向った。
 霙(みぞれ)とも雨ともつかない水滴がフロントガラスに当たり始める。
 ワイパーをかけると少しかすれた音を引きずりながら、動き始めた。
 カーラジオからは、ジョンレノンの「イマジン」が流れている。
 それまで寡黙だった車中の空気が、誰かの一言から変わっていく。
 「入院して、一年か。」
 「正確には、11ヶ月と5日だよ。」
 「長かったのか、短かったのか...」
 「あいつ、もっと生きたかったかなあ?」
 「ああ、『もっと生きたい。』と言ってた。」
 「え、竹村聞いたのか。」
 「ああ、一度だけね。」
 「どこで?」
 「病院の屋上で」
 「あいつ、自分が助からないと知ってたのか?いつくらいからだ?」
 「目が見えなくなり始めたころから。その頃、入院期間中の中で一番
  荒れてたと思う。」
 「何て?」
 「あの日、見舞いに行くと、あいつのお袋が泣いてたんだ。
  それで、気分転換に屋上にあいつを連れ出し、話をした。」
 「何話したんだ?」
 「目が見えなくなって八つ当たりしたい気持ちはわかるが、お前の
  看病でお袋さんがどれだけやつれたか、いさめたんだ。」
 「それで」
 「あいつ、痛いくらいわかってて。でも、どうしようもなく、あせってて。
  泣きながら、『もっと、生きたい』といってすがりついてきた。」
 「・・・」
 「最後には、落ち着きを取り戻して、『竹村、俺の分まで生きて
  くれ』と。」
 「・・・」

 カーラジオからジョン・レノンが暗殺されたという悲報が流れた。
 誰かが、
 「ジョン・レノン、死んだのか。ビートルズの復活は永遠になく
  なったなあ。」
 
 そして、私たちの青春という時計は、その日、24歳で止まったような気がする。
私が、今も不器用だけれども熱くがんばれるルーツがそこにある。