鴻ノ巣山古墳群は、番川の右岸、淡輪遺跡の背後、鴻ノ巣山丘陵尾根筋にあり、2つの尾根筋の北側の尾根に4基、南側尾根に5基の計9基からなる、経8m~10mの6世紀末円墳。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/97/c432b9388632bde5b4a8b9e727e6d69a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/e9/3448fed4c3e85883ff287b2bb91e58d1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/3a/98b3a3f4ce6a4fe104b0b43217d7d6f6.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/20/51be77dbeafbefc1f11ea02f2fb623cb.jpg)
写真は、鴻ノ巣山1号墳案内看板、鴻ノ巣山1号墳墳丘の様子、同古墳石室入口及び同古墳の石室側壁。
本古墳は民家に囲まれた、個人所有の大阪府指定史跡。
1970年の大阪府教育委員会の調査により、4基の古墳が調査され、横穴式石室を持っていることが確認されている。1号憤の石室は、玄室長約2.5m・玄室幅1.4~1.5mほど・玄門幅0.95m・羨道幅1.2m・羨道長さ1mほどを測る。
玄門の石材を内側に突出される構造は、8号・9号憤にも見られ、閾石(シキミイシ・小判形の石)の使用が9号憤に見られ、これらからは紀ノ川流域の影響が窺える。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_6.gif)
叉1号憤石室の天井はアーチ型になっており、1970年の発掘調査では須恵器・土師器・金銅環・滑石製紡錘車などが出土したらしい。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/e6/e2c20b6c1d0cbc81108ea0f020bff6cd.jpg)
写真は、同古墳墳頂から望む大阪湾の光景。
風光明媚な場所に位置し、復元された石室が完全に残り、個人所有ながら、1976年に大阪府指定の史跡になっている。![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/cat_8.gif)
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写真は、鴻ノ巣山1号墳案内看板、鴻ノ巣山1号墳墳丘の様子、同古墳石室入口及び同古墳の石室側壁。
本古墳は民家に囲まれた、個人所有の大阪府指定史跡。
1970年の大阪府教育委員会の調査により、4基の古墳が調査され、横穴式石室を持っていることが確認されている。1号憤の石室は、玄室長約2.5m・玄室幅1.4~1.5mほど・玄門幅0.95m・羨道幅1.2m・羨道長さ1mほどを測る。
玄門の石材を内側に突出される構造は、8号・9号憤にも見られ、閾石(シキミイシ・小判形の石)の使用が9号憤に見られ、これらからは紀ノ川流域の影響が窺える。
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叉1号憤石室の天井はアーチ型になっており、1970年の発掘調査では須恵器・土師器・金銅環・滑石製紡錘車などが出土したらしい。
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写真は、同古墳墳頂から望む大阪湾の光景。
風光明媚な場所に位置し、復元された石室が完全に残り、個人所有ながら、1976年に大阪府指定の史跡になっている。
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