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近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

安土町の瓢箪山古墳とは!

2009年04月01日 | 歴史
近江では、古墳時代前期後半には、大和王権の前方後円墳と同一様式の安土町の瓢箪山古墳をはじめ、大津市膳所の茶臼山古墳、湖北町の若宮山古墳、志賀町の和邇大塚山古墳などが、琵琶湖を望む湖上交通の要衝の地に築かれている。

瓢箪山古墳は紀元400年頃に造られた、滋賀県で最古・最大級の古墳時代前期の古墳で、自然の山を利用した前方後円墳。





写真は、瓢箪山古墳登り口及び墳頂。

本古墳は、弥生時代の村として知られる大中の“湖南遺跡”から1kmほど離れた山の麓に造られた、全長160mほどの前方後円墳。

最古級の前方後円墳で、当時の蒲生・神崎両郡を支配していた古代豪族「狭狭城山君」(ささきやまのきみ)に関連すると考えられている。

昭和10年、土取り作業中、石棺が見つかったことを契機に、京都大学の手で発掘調査が実施され、その結果、前方部に2基の石棺、後円部に3基の竪穴式石室を持つことが明らかにされた。

特に後円部中央石室からは、銅鏡2面、鍬形石・石釧・車輪石などの腕飾り類、管玉、剣・刀、銅・鉄の鏃、短甲、斧、鎌、鉋などの遺物が出土した。
その種類の多彩で豊富なことから、被葬者は相当な権力者であったと推測されている。

自然の地形を利用した前方後円墳で、ちょうど瓢箪を二つに割ったような形をしているところからその名がついたらしい。

滋賀県下では、前期古墳以外にも中期のもので新旭町の稲荷山古墳、近江町の能登瀬山古墳があり、後期には大津市の百穴古墳群、能登川町の猪子山古墳、秦荘町の上蚊野古墳群などがある。

これらの古墳は地方豪族のものであるが、滋賀郡の春日山古墳群は和迩・真野・春日の各氏の墓であり、大津の穴太古墳は大友村主・穴太村主らのものであろうとされる。

被葬者と推測されている「狭狭城山君」とは、後の佐々木氏につながる豪族とされる。

日本書紀によれば、「狭狭城山君」の祖先は、第8代孝元天皇の子、大彦命だという。日本書紀には、「大彦命は、阿倍臣(安倍氏)、善臣、阿閉臣、狭狭城山君、筑紫國造、越國造、伊賀臣の祖なり。」とある。



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