近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

東大阪市の西ノ辻遺跡とは!そのⅠ

2010年08月26日 | 歴史
東大阪市の歴史は、生駒山麓から河内平野に広がり、今から数万年前、旧石器時代に始まったが、当時の市域の大部分は海で、生駒の山裾が生活の舞台であった。





写真は、西ノ辻付近市街地から見上げる生駒山光景及び旧石器時代に遡る西ノ辻遺跡現場から望む生駒山光景。

この地域で最も古い遺物が発見されたのは、市域東部の生駒山麓地帯で、数千年以前に遡る先土器時代から、縄文・弥生・古墳の各時代にわたる、100余の遺跡が点在しており、市域中部と南部の平野部でも弥生から古墳時代の遺跡が見つかっている。



写真は、西ノ辻遺跡が出土した近鉄枚岡車庫地の現在の光景。

史跡に恵まれた市域の中で、西ノ辻遺跡は、昭和16年に、写真のような現近鉄バス枚岡車庫付近で、多量の土器が出土したことが契機となり、“額田町宇西ノ辻”内の14地点において発掘調査が行なわれた。

本遺跡は、弥生時代から中近世まで継続して営まれた集落跡で、古墳時代後半には、集落の北を流れる谷川に、大きな貯水池を何段にも分けて造っている。

貯水池の石組みは、古墳葺石の施敷技術と似ており、高度な土木技術を当時から持っていたと云える。





写真は、西ノ辻遺跡が発見された、近鉄バス枚岡車庫付近の記念石碑及び昭和18年調査時の同遺跡発掘記念看板。

発掘調査で出土した土器は、地点及び地層ごとに形や製作手法などが詳細に検討された結果、調査地の一地点より出土した土器は、弥生後期の古相をよく示す標識として「西ノ辻式」の名が与えられた。

西ノ辻遺跡は、昭和57年以後、近鉄東大阪線建設や国道308号線拡幅工事、第二阪奈道路建設等の大規模開発に伴って、更に発掘調査が行われた。







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