大阪中央区の道頓堀は、市内を流れる木津川と、東横堀川を結ぶ全長2.5kmほどの運河名及び町名であり、且つ大阪のブランドでもある。
1612年、安井道頓・安井道卜らが私財を投じて運河開削に着工、1615年に完成した。後に大坂町奉行・松平忠明が“道頓”の功績を評価して、道頓堀と名づけたと云う。
写真は、安井道頓の道頓堀興し記念碑。
1660年代から劇場ができ始め、中座・角座・竹本座・浪速座・弁天座・朝日座などの劇場で、上方歌舞伎・人形浄瑠璃など上方演芸が演じられた。
時代と共に、興行内容・劇場名・経営者も転々として、映画館や、演芸場や、新喜劇場などに変えたりと、生き残りをかけたが、平成のバブル崩壊と共に、劇場としての機能は消滅した。
写真は、いずれも現在の道頓堀街賑わいの光景。
現在の道頓堀は、大阪ミナミの繁華街として、特に道頓堀川に沿う商店街には飲食店が集中し、今も変わらぬ賑わいで、夜遅くまで人波が絶えることがないほどで、多種多様な看板・建物の店舗が溢れ、ネオンが眩しい歓楽街。
写真は、それぞれ中座・角座の名残。
中座・角座の名称が、かろうじて跡地に建った商業ビルの名前として復活している。
現在道頓堀に架かる“戎橋”の架け替え工事や、戎橋から両岸に「とんぼりリバーウォーク」という遊歩道などが整備工事中で、いずれ観光船が通い、川側から出入りができるようになり、繁華街の更なる活性化が期待されている。「さよか!」
写真は、戎橋を中心に進行している「とんぼりリバーウォーク」創りの工事現場。
道頓堀は、大阪の観光名所として外せないが、「とんぼりリバーウォーク」整備により、ますます観光名所として磨きがかけられると見られる。
一介の町人である“道頓”の地域開発から始まり、完成してから400年近く経った今日、道頓堀を中心に新たな開発・活性化・交流が繰返され、道頓堀に秘められたエネルギーは今なお健在と云える。
しかしながら、街の賑わいの中心が、飲食店・各種ゲームセンター・風俗店・コンビニなどで占められ、街づくり当初の伝統演芸・文化の風合いが失われた点は、時代のニーズを反映しているといえばそれまでだが、上方伝統文化の香りが失せてしまったことは否めない。
「しゃあない!」
1612年、安井道頓・安井道卜らが私財を投じて運河開削に着工、1615年に完成した。後に大坂町奉行・松平忠明が“道頓”の功績を評価して、道頓堀と名づけたと云う。
写真は、安井道頓の道頓堀興し記念碑。
1660年代から劇場ができ始め、中座・角座・竹本座・浪速座・弁天座・朝日座などの劇場で、上方歌舞伎・人形浄瑠璃など上方演芸が演じられた。
時代と共に、興行内容・劇場名・経営者も転々として、映画館や、演芸場や、新喜劇場などに変えたりと、生き残りをかけたが、平成のバブル崩壊と共に、劇場としての機能は消滅した。
写真は、いずれも現在の道頓堀街賑わいの光景。
現在の道頓堀は、大阪ミナミの繁華街として、特に道頓堀川に沿う商店街には飲食店が集中し、今も変わらぬ賑わいで、夜遅くまで人波が絶えることがないほどで、多種多様な看板・建物の店舗が溢れ、ネオンが眩しい歓楽街。
写真は、それぞれ中座・角座の名残。
中座・角座の名称が、かろうじて跡地に建った商業ビルの名前として復活している。
現在道頓堀に架かる“戎橋”の架け替え工事や、戎橋から両岸に「とんぼりリバーウォーク」という遊歩道などが整備工事中で、いずれ観光船が通い、川側から出入りができるようになり、繁華街の更なる活性化が期待されている。「さよか!」
写真は、戎橋を中心に進行している「とんぼりリバーウォーク」創りの工事現場。
道頓堀は、大阪の観光名所として外せないが、「とんぼりリバーウォーク」整備により、ますます観光名所として磨きがかけられると見られる。
一介の町人である“道頓”の地域開発から始まり、完成してから400年近く経った今日、道頓堀を中心に新たな開発・活性化・交流が繰返され、道頓堀に秘められたエネルギーは今なお健在と云える。
しかしながら、街の賑わいの中心が、飲食店・各種ゲームセンター・風俗店・コンビニなどで占められ、街づくり当初の伝統演芸・文化の風合いが失われた点は、時代のニーズを反映しているといえばそれまでだが、上方伝統文化の香りが失せてしまったことは否めない。
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