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近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

古墳あれこれー前方後円墳から窺える古墳時代社会とは!そのⅧ

2011年11月12日 | 歴史
有力豪族首長の墳墓として、ここでは大阪岬町の淡輪西陵古墳を紹介する。







写真は上から、岬町内の古墳群マッピング、手前の淡輪漁港に面した、向かって右手の西陵古墳と左側の宇度墓古墳及び西陵古墳墳丘の実測図。

岬町の古墳群は、平野町域を北方に流れながら、和泉山脈から大阪湾に注いでいる、4つの大きな河川の河口付近に存在しているが、中でも番川流域には淡輪集落が存在し、これまでに特徴のある歴史文化を形成してきた。

西陵古墳の墳丘形態は7区型で、前述の島の山古墳と河内大塚山古墳と酷似している。

紀伊から和泉へ向かう海の交通路として、その中間地点となる岬町は、大阪湾の入り口であることから、非常に重要な地域であったようで、岬町には、200mを越える前方後円墳がこの狭い平野の中に2基も存在している。

大阪湾の淡輪漁港に面して造られた、墳長210mの“西陵古墳”と墳長170mほどの“宇度塚古墳”は、被葬者の海との関わりの深さが想像され、紀伊を本拠地とする人物の墓と考えられる。

宇度墓古墳と西陵古墳は、いずれも大きさで河内や奈良の大王墓にも匹敵する。


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