伊豆地方には大型古墳はなく、前方後円墳は向山古墳群に1基あるのみ。
三島の古墳の大半は、中郷地域などの水田地帯を見下す箱根山麓の尾根上に造られている。
向山古墳群は、三島市南東部の向山小学校から東大場に続く、箱根丘陵上の道沿いに所在しているが、史跡指定されたのは、通称「向山」と呼ばれる丘陵の尾根上に展開する16基からなる古墳群。






写真は、向山3・4・5号墳墳頂状況、同7号墳墳丘、同8号墳墳丘、同10号墳墳丘、同11号墳墳丘及び工事中に削平された墳丘断面。
この向山丘陵は、幅20m~30mときわめて狭い痩せ尾根だが、尾根幅の広いところに大型の古墳が占めている傾向が窺える。
向山古墳は、前方後円墳と円墳の2種類があり、周りの溝土を盛土し、塚として築造している。
昭和50年、向山小学校建設に伴って調査された第1号墳(消滅)と第2号墳(消滅)を含めて、現在までに16基の古墳が確認されている。

写真は、最近第16基目が確認された、現在調査中の古墳現場。
確認された16基目の古墳は、尾根頂部から南斜面にかけて構築されており、10m~20m間隔でほぼ一線に並んでいる。
直線距離にして800mほどあるが、消滅した1・2号墳と13基の古墳群との間には長さ約350mの空白域があるため、向山小学校に所在した古墳をA群、指定を受けた範囲をB群とよび、本古墳群は2群構成で報告されている。
したがってB群は3号墳から15号墳まで13基あるが、平成4年に市道の拡幅工事に伴い、拡幅部の発掘調査が行われた折には、伊豆地方では初めての前方後円墳が発見された。




写真は、向山3号墳前方部から望む後円部、同後円部墳丘状況、同後円部西端の墳丘状況及び同墳頂から望む富士山と市街地光景。
発見された向山3号墳の前方後円墳は、13基の古墳の最東端に位置し、大きさは全長約21.5m・後円部の直径約11.6m・高さ1.9mほどであった。
写真のように、ここからは、市街地と富士山が一望できる。当日残念ながら富士山は、雲の中であった。
三島の古墳の大半は、中郷地域などの水田地帯を見下す箱根山麓の尾根上に造られている。
向山古墳群は、三島市南東部の向山小学校から東大場に続く、箱根丘陵上の道沿いに所在しているが、史跡指定されたのは、通称「向山」と呼ばれる丘陵の尾根上に展開する16基からなる古墳群。






写真は、向山3・4・5号墳墳頂状況、同7号墳墳丘、同8号墳墳丘、同10号墳墳丘、同11号墳墳丘及び工事中に削平された墳丘断面。
この向山丘陵は、幅20m~30mときわめて狭い痩せ尾根だが、尾根幅の広いところに大型の古墳が占めている傾向が窺える。
向山古墳は、前方後円墳と円墳の2種類があり、周りの溝土を盛土し、塚として築造している。
昭和50年、向山小学校建設に伴って調査された第1号墳(消滅)と第2号墳(消滅)を含めて、現在までに16基の古墳が確認されている。

写真は、最近第16基目が確認された、現在調査中の古墳現場。
確認された16基目の古墳は、尾根頂部から南斜面にかけて構築されており、10m~20m間隔でほぼ一線に並んでいる。
直線距離にして800mほどあるが、消滅した1・2号墳と13基の古墳群との間には長さ約350mの空白域があるため、向山小学校に所在した古墳をA群、指定を受けた範囲をB群とよび、本古墳群は2群構成で報告されている。
したがってB群は3号墳から15号墳まで13基あるが、平成4年に市道の拡幅工事に伴い、拡幅部の発掘調査が行われた折には、伊豆地方では初めての前方後円墳が発見された。





写真は、向山3号墳前方部から望む後円部、同後円部墳丘状況、同後円部西端の墳丘状況及び同墳頂から望む富士山と市街地光景。
発見された向山3号墳の前方後円墳は、13基の古墳の最東端に位置し、大きさは全長約21.5m・後円部の直径約11.6m・高さ1.9mほどであった。
写真のように、ここからは、市街地と富士山が一望できる。当日残念ながら富士山は、雲の中であった。
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