近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

縄文人の謎・ロマン 茨城県稲敷市の“福田貝塚”とは!

2007年09月04日 | 歴史
福田貝塚は、霞ヶ浦南岸の阿波丘陵に位置し、標高は20~30mほどで、起伏の少ない丘陵に所在する。



写真は、本貝塚遺跡現場。
 本貝塚は大きく湾入した入江の最奥部の丘陵に立地し、利根川にも臨み、大小4つの貝塚から形成されていた。

 明治20年代以降、数十回の発掘調査の結果、土器・土偶、磨製石斧・砥石など石器類、骨角器などが多量に検出された。
特に縄文後・晩期の優れた土器・土偶が出土したことで知られている。

霞ヶ浦入江と利根川に囲まれた、土地柄・地理上の位置関係から、水との関わり・水との共存が、原始時代から現代まで生き残りをかけた軌跡として大変興味深い。



写真は、本貝塚から出土した、複製の注口土器。
人面装飾付注口土器で、国の重要文化財に指定された、縄文晩期の逸品。

津軽地方の亀ヶ岡式遮光器土偶を彷彿とさせる頭顔部は、当時津軽地方の交流関係を裏付けている。



写真は、本貝塚から出土した、亀型土製品。
注口土器にも見えるが、神秘的な輝きは、何らかの祭祀行事・儀式を連想させる。
霞ヶ浦や利根川などの浦や河川に於ける、活発な漁労活動によって、本貝塚のような縄文文化が開花したとも云える。

それほど漁夫の水運が、青森・津軽地方を含め、広く諸国との交流を可能にし、“漁夫の利”を得たと思われる。







写真は、本貝塚から出土した、完形土偶・糸巻式土製品及びスタンプ式土製品。
縦型の土偶が完形の姿で出土したのは、稀有な事例。

 他にも大変珍しい糸巻式土製品やスタンプ式土製品など、何らかの儀式用と見られる遺品が検出された。

霞ヶ浦沿岸の貝塚が立地する台地は、中世の城郭としても利用されており、今後の更なる発掘調査・研究成果が待たれる。



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