近畿地方の古墳巡り!

歴史シリーズ、第九話「近畿地方の古墳巡り」を紹介する。特に奈良盆地・河内平野の巨大古墳・天皇陵の謎などを取上げる。

楠木正成物語 思想・哲学・信仰・行動規範

2006年10月13日 | 歴史
ここでは、先ず正成の行動を支配した、基本的考え方・信念・思想などを列挙してみる。
次回には、それらの考え方を実行に移した具体的ストーリーについて触れてみたい。正成の考え方・信念・思想について、以下事例を紹介する。

軍記物語“太平記”には、正成について「智・仁・勇の三徳を備え、命をかけて善道を守った」と記述している。智・仁・勇を備えた人格者で、聖人とまで云われ・仰がれた人物。
逆賊であろうと、主君に忠誠を捧げた人間の鑑。天皇に忠誠を尽し切った武将。
誠忠と正義を以て生涯を貫かれた大楠公。
この精神は楠木一族子孫にまで受け継がれ、日本史上これほど偉大な影響を後世に及ぼした人物はほかにいない。



上の写真は正成・正行が桜井駅でご対面の場面。
正成の正行に対する桜井駅での別れの言葉、「武士は一時的に生き延びようとして、一旦決めた節義を変えてはいけない。」、「正成が討ち死にした後も、一族をまとめて戦い続けることが忠孝である」など。

湊川の戦に敗れ、正成が死の直前に弟・正季と誓い合った言葉は「七生報国、即ち七回まで人間に生まれ変わり、朝敵を滅ぼしたい」、一途な忠孝の信念。
笠置山の攻防で、正成が天皇方へ参戦したことは、それまで態度を保留し、形勢を観望していた武士達に決起を促すことになったが、正成は歴史の流れを冷静な視点で見つめ、忠孝の理想の下、北条氏の前途に疑念を抱き、朝廷に対して、確固たる自信を持って形勢を見極めていた。

正成の軍旗にしたためられた言葉「非利法権天」とは、利は非に勝ち、法は利に勝ち、権は法に勝ち、天は権に勝つ。即ち天こそが私心なき平等な心であり、真実に基づいて行動すれば、必ず至誠天に通ずる、とする正成の信念。
正成は民を弔うため、寺院を建立したり、法華経の写経もしたりといったように信仰心が篤かったと云う。

以上のような正成の思想・信念は、忠誠・誠忠・忠義・節義・忠孝・信仰などの言葉に代表されるように、朱子学・宋学に負うところが大きいので、後日朱子学・宋学について取上げ、検証する。

昨今小中学校生教育の在り方について、セキュリティー対策を含む学校内の環境保全、先生対生徒、父兄対学校・先生、生徒の家庭環境など、問題の本質にメスが入りつつあるが、安倍新政権も教育改革を優先的に取上げるほど、問題の根は深い。
父母・先生・先輩を敬い、教えを仰ぐとした目上の者に対する畏敬の念、即ち生徒の主従・縦の関係の在り方や、友を愛し、弱者を労わる博愛の心、即ち人間社会横の関係の在り方などについて先ず論じ、教え込むことが、教育の入口のように思える。
戦前・戦中の道徳教育を持ち込むつもりはないが、人間社会を成り立たせる精神的・道義的側面を語らず・教えずして、教育改革はあり得ないと信ずる。
このような視点から、楠木正成に学ぶことも選択肢の一つであると考えるが・・・・・・。


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